Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

日本は韓国の二の舞か、敵基地攻撃能力保有の先送り

敵基地攻撃能力の保有に関する結論先送り
 政府は12月18日、「敵基地攻撃能力」の保有について、年内に結論を出すことなく、「抑止力の強化について、引き続き政府において検討を行う」と結論先送りを発表しました。


 安倍政権の政策を継承すると明言した菅義偉首相ですが、結局は「敵基地攻撃能力」という日本防衛の重要事項に関しては継承しなかったのです。残念でなりません。


 安倍晋三前首相に近い安全保障を重視する人々はこの決定に反発しています。


 なぜなら、安倍前首相は、退陣直前の9月11日に談話を発表し、「配備手続きの停止を決めた地上配備型迎撃ミサイル(イージス・アショア)の代替を検討し、迎撃能力を確保すべきだ。そして、迎撃だけで本当に国民の命を守り抜くことができるのか」と問題を提起していたからです。


 また、「抑止力強化のため、ミサイルを防ぐ安全保障政策の新たな方針を与党と協議して年末までにその姿を示すよう」菅政権に期待していたからです。


 自民党も8月、「相手領域内でも、弾道ミサイルなどを阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組みが必要だ」と提案しています。


 つまり、「敵基地攻撃能力」という語句は使わずに、「相手領域内でも、弾道ミサイルなどを阻止する能力」と言い換えて、その保有を提言しています。


 一方、立憲民主党などの特定野党、公明党や一部のマスメディアは、専守防衛を根拠に敵基地攻撃能力の保有に反対しています。


 我が国の安全保障政策議論には、世界の標準からかけ離れた非論理的なものが目立ちます。敵基地攻撃能力に関する反対論もその一つです。


 また、「専守防衛」、「相手に脅威を与えない防衛力」など、憲法第9条に起因する不適切な主張が我が国の安全保障態勢をいびつなものにしてきたと私は思います。


 軍事力を急速に増強し、非常に戦闘的な戦狼外交を展開する中国の脅威を考えた場合、敵基地攻撃能力に関する議論は避けては通れません。


 拙著「自衛隊は中国人民解放軍に敗北する!?」(扶桑社新書)で詳しく書きましたが、中国の急速な軍事力増強の結果、自衛隊は多くの分野で中国人民解放軍(=解放軍)に凌駕されるようになりました。


 その不利な状況をさらに助長するのが敵基地攻撃能力反対論や専守防衛などであり、この状況に危機感を抱きます。


敵基地攻撃能力
 敵基地攻撃能力という言葉を聞くと条件反射的に身構える人もいるかと思います。しかし、スポーツを連想してみてください。


 柔道やボクシングで明らかなように、ひたすら防御のみで攻撃をしなければ、敗北は明らかです。防御のみの戦法は100戦100敗の戦法であり、攻撃と防御のバランスが大切なのです。


 このことは軍事においても当てはまります。ある国が日本の領土に存在する目標を攻撃した場合、その国に対して反撃するのは当然の行為です。


 もしも反撃しないと、戦場になるのは常に日本であり、日本は膨大な損害を受け、結局は敗北します。


 攻撃してくる相手の基地に対し反撃すると相手にも被害が出ます。被害が出ると敵が理解すれば、攻撃を思いとどまるかもしれません。これが敵の攻撃を抑止するということです。


 敵の攻撃に対する反撃能力を保有することは独立国家として当然の権利であり、日本の憲法でも許されています。


 政府は敵基地攻撃能力の保持は憲法上可能であると答弁しています。


 昭和31(1956)年2月29日の衆議院内閣委員会において、当時の船田中防衛庁長官が「我が国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、他の手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」という政府答弁を行っています。


 ただ、敵基地攻撃能力の保持は憲法上認められていますが、自衛隊は現在、敵基地攻撃能力を保有していません。


 政府が過去の国会議論において野党の反対を受けて敵基地攻撃能力を保有することを躊躇してきたからです。


 結果として、中国や北朝鮮から弾道ミサイルの攻撃を受けたとしても反撃する能力を持っていないのです。


 自衛隊は、政府の解釈として攻撃的兵器と規定されている長距離戦略爆撃機、攻撃型空母、大陸間弾道ミサイル(ICBMなど)を保有していません。そして、「F-2」や「F-15」に敵基地を攻撃して日本に帰還する能力はありません。


 反撃能力は米軍に頼るというのが建前であり、相手が日本を攻撃しても相手の本土に存在する目標に反撃する能力がないのです。


 つまり、日本単独では、敵の攻撃を抑止する能力を持っていません。


 安全保障の本質は戦争を抑止することですから、抑止力を持たないということは日本の安全保障上の致命的欠陥となります。


「専守防衛に反する」という決まり文句
 敵基地攻撃能力の保有に関し、特定の野党は憲法や国際法に抵触する「先制攻撃」と区別がつきにくいとして問題視しています。


 共産党の田村智子政策委員長は12月18日の会見で「専守防衛をかなぐり捨てるものだ」と猛反発しました(12月19日付の時事通信)。


 この記事で「先制攻撃」が出ていますが、特定野党の得意な論理のすり替えです。


 歴代政権が言及してきた敵基地攻撃能力は、相手の攻撃を抑止するための能力であり、相手が先に攻撃するのに対し反撃するための能力です。先制攻撃のための能力ではありません。


 特定野党などは、防衛省が予算要求している国産の長射程巡航ミサイル「スタンド・オフ・ミサイル」の開発にも反対しています。


 12月19日付の東京新聞は「国民的議論がないまま、閣議決定によって実質的に(筆者注:敵基地攻撃能力の)保有を進める形となり」と記述し、安住淳・立憲民主党国対委員長の言として「専守防衛と戦後歩んできた防衛政策から逸脱する恐れがある」と紹介しています。


 そして、同じく12月19日付の朝日新聞は「保有装備は『自衛のための必要最小限度』とした専守防衛の理念に反しないか。他国への打撃力の『矛』は米軍が担い、日本は日本防衛の『盾』に徹するとした、日米安保条約などで規定した日米の『盾と矛』の役割分担は変化するのか。あいまいなまま、敵基地攻撃の『手段』になりうる長射程ミサイルの整備だけが着々と進みそうだ」と批判的に記述しています。


 上記の東京新聞と朝日新聞の「専守防衛」という語句を使った敵基地攻撃能力批判には、正直言って「またか」とげんなりします。


 世界標準のまともな安全保障論議を否定するために彼らが常にワンパターンで利用する便利な言葉が専守防衛だからです。


専守防衛から積極防衛へ政策変更が急務
 我が国の憲法は、平和主義の理想を掲げ、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を規定しています。


 そして平和憲法に基づく安全保障の基本政策として、専守防衛 、軍事大国にならない、非核三原則などが列挙されています。


 これらの安全保障上極めて抑制的な言葉、とくに専守防衛が日本の安全保障論議を極めていびつなものにしてきました。しかし、専守防衛では日本を守ることはできません。


 我が国は先の大戦における敗戦後、日本国憲法が施行されてから、世界でも類のない極めて不毛な安全保障議論を繰り返してきました。


 その象徴が「専守防衛」という世界の常識ではあり得ない政策です。


 防衛白書によると、専守防衛とは「相手から武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と定義されています。


 専守防衛は、極めて問題のある政治的な用語です。


 専守防衛を国是とする限り、抑止力は脆弱なものにならざるを得ません。自衛隊単独では中国などの脅威に対抗できず、米軍の助けが不可欠ですが、米軍の力も相対的に低下していることが問題なのです。


 抑止および対処の観点から非常に問題の多い専守防衛ではなく、「積極防衛(Active Defense)」を政策として採用すべきです。


 積極防衛は、「相手から武力攻撃を受けたときに初めて必要な防衛力を行使して反撃する」という防衛政策です。


 つまり、「日本は先制攻撃をしない。しかし相手から攻撃されたならば、自衛のために必要な防衛力で反撃する」という常識的な防衛政策が「積極防衛」です。


 専守防衛の定義で使われている「防衛力の行使を自衛のための必要最小限にとどめ」とか「保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」などという過度に抑制的な表現を使いません。


 単純に「自衛のために必要な防衛力で反撃する」という表現が妥当なのです。


 参考までに、日本の最大の脅威になっている解放軍の伝統的な戦略が「積極防御」です。


 積極防御については、「積極防御戦略が中国共産党の軍事戦略の基本であり、戦略上は防御、自衛および後発制人(攻撃された後に反撃する)を堅持する」と定義されています。


 つまり、私が主張する「積極防衛」と意味は同じです。積極防御を主張する中国に対応するためには、日本も「積極防衛」を主張するのは妥当です。


中国の脅威を直視した安全保障議論不可欠
 我が国周辺には我が国にとって脅威となる中国、北朝鮮、ロシアが存在します。これらの国々は力の信奉者です。


 とくに中国は「中華民族の偉大なる復興」をスローガンに、急速に軍事力の増強を図り、2049年には米国を追い抜き世界一の大国になる野望を公言しています。


 また、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大を契機として、中国への批判を許さない非常に強圧的な戦狼外交を展開しています。


 日中関係においても、口では日中平和友好を唱えながら、尖閣諸島をめぐって日本領海への不法な侵入を繰り返しています。


 中国の考える日中友好は、あくまでも「日本が中国に従うこと」であって、対等の立場での関係ではありません。


 このことは、中国のサイレント・インベージョンに対し立ち上がった豪州に対する容赦ない制裁、屈服させようとする中国の姿勢を見ても明らかです。


 米中覇権争いを背景として、習近平政権の戦争をも辞さない危険な動きが目立ってきました。


 習近平主席自身が10月13日、海軍陸戦隊(海兵隊に相当)の司令部を訪問し、「全身全霊で戦争に備え、高レベルの警戒態勢を維持しなければいけない」と激しい檄を飛ばしています。


 また、解放軍の最近の増強には目覚ましいものがありますが、その背景には、解放軍の「三段階発展戦略」があります。


 各段階の目標は共産党建党100年(2020年)の「軍の機械化と情報化の実現」、35年の「国防と軍の現代化の実現」、建国100年(49年)の「世界一流の軍隊の実現」が従来発表されていた内容です。


 しかし、10月末に開催された共産党の重要会議「五中全会」では、解放軍の建軍100年(27年)の「奮闘目標」が新たに付加されました。


 コミュニケでは「全面的に戦争に備え…国家主権、安全、発展利益を防衛する戦略能力を高め、27年に建軍100年奮闘目標の実現を確実にする」と記述されています。


 つまり、2027年に解放軍を太平洋地域で作戦する米軍と同等のレベルの現代的な軍隊にするということであり、解放軍が台湾併合作戦を妨害する米軍に対抗する軍隊になることを要求しているのです。


 日本の対中政策において「政経分離」を主張する人は政界、経済界、メディアなどにおける親中派に多いと思います。


「政経分離」は、イデオロギーや政治体制の違い、外交・安全保障上の対立を棚上げにして、経済での連携を深める政策です。


 しかし、日本の「政経分離」に対して、中国は「政経不可分」を基本として対応してきています。


 とくに米中覇権争いが激しくなる状況において、日本の「政経分離」という対中政策を推進することは不適切です。韓国は良い例です。


 韓国は「安全保障は米国、経済は中国」という虫の良い政策をとりましたが、中国の「政経不可分」の原則にひどい目に遭っています。


 日本は中国の軍事的脅威を直視し、中国との経済的なデカップリングを徐々に進めていくのが妥当だと思います。


 以上のような中国の状況にもかかわらず、日本の安全保障態勢を弱体化させるに等しい主張を展開する特定野党、公明党、メディアには唖然とするばかりです。


 とくに政権与党である公明党が、日本を強くする安保政策にことごとく反対している状況は問題です。


おわりに
 バラク・オバマ大統領(当時)は、「米国は世界の警察官ではない」と発言し、米国の国際的な地位の低下を認めました。


 そして、アメリカ・ファーストを公約とするドナルド・トランプ大統領もまた、「各国は自らの責任で国防努力をすべきだ」と主張し、世界の警察官としての米国の役割を認めませんでした。


 米国は現在、日本に対して自立を求めています。


 米軍が攻撃を意味する「矛」の役割を果たし、自衛隊は防御を意味する「盾」のみの役割を果たせばよいという時代は過ぎ去ったと認識すべきです。


 我が国のより自律的な防衛努力が求められているのです。


 菅政権は、スピード重視で携帯電話料金の値下げ、行政のデジタル化など分かりやすいテーマを追求していて、その姿勢は評価できます。


 しかし、安倍路線の継承を言いながら、目指すべき国家像や安全保障観が明確ではありません。


 携帯電話が日本を守ってくれるわけではありません。


 我が国は、米中覇権争い中で難しい立ち位置にありますが、「名誉ある独立国家」として存続するためには、何よりもまず憲法を改正し、専守防衛をはじめとする極めて消極的な防衛政策を廃し、国家ぐるみでこの難局を乗り切る態勢を構築すべきでしょう。