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天安門事件…現地から 情報提供者「殺戮は第27軍」、米大使館「書類は焼却」

 23日に一般公開された1989年の中国で発生した天安門事件に関する外交文書には、北京の日本大使館からの報告なども含まれている。当時の事件や政権内部に対する見方、各国大使館の動向などを知ることができる。
 戒厳令公布で「新局面」
 天安門事件のきっかけは89年4月、政治改革に前向きだった胡耀邦元総書記の死去だ。大学生の追悼活動が大規模な民主化要求運動に発展し、5月には北京の天安門広場で一般市民も参加した100万人のデモが行われた。危機感を強めた●(=登におおざと)小平氏ら指導部は学生に理解を示していた趙紫陽総書記を事実上解任し、戒厳令を布告。6月3日夜から4日未明にかけ、軍が学生らの占拠する天安門広場の制圧に乗り出し、多数の死傷者が出た。
 外務省の5月18日付文書は、学生デモが17日に軍人や政府職員らも参加して最大規模になったことに触れ、「一部指導者への批判も出てきている」と指摘。潜在的原因に、インフレのほか、官僚の腐敗や民主化の遅れに対する不満を挙げた。22日付文書では、戒厳令布告を受け「新たな局面。当局側の力による抑え込みにより事態収拾が図られる様相が濃くなった」と分析した。
 情報提供者「スターリン彷彿」
 事件前日の6月3日付文書は、大使館員が同日午後7時ごろに目撃した人民解放軍の様子を記録。大型トラック約50台、各車両には20~30人の兵士が乗車し、「自動小銃で武装して、ヘルメットを装着し、弾倉を各自6ケ以上所持している」「市民は各車両を取り囲み兵士を説得しているが大部分の兵士は押し黙ったままでやや不安げに見える」とした。
 12日の極秘扱いの公電は、大使館職員と中国側の情報提供者とのやりとりを記載。その人物は「李鵬(元首相)や楊尚昆(元国家主席)らが武力鎮圧を推進したのは確かだが、最終決定を下したのは●(=登におおざと)小平だ」と説明。「広場に向けて進軍し、発砲、殺戮を行ったのは(楊氏支配下の)第27軍だった」と明かした。また、「中央党校と社会科学院が粛清の2大目標とされている」とし、「反対派への弾圧はスターリンを彷彿させるもので、●(=登におおざと)、李らが権力を握っている限り、中国に希望はない」と悲観的な見方を示した。
 ソ連接近は「ない」
 北京の各国大使館とのやりとりも興味深い。
 日本政府は中国が孤立化し、ソ連に接近するのを警戒していた。ただ、大使館職員がソ連大使館の書記官と面会した際のやりとりを記録した10日の公電によると、書記官は「中国がソ連に接近するのではないかとの見方があるが、そうは思わない」と説明。「ソ連も国内問題で手いっぱいで、経済面で中国の期待に応えることはできない」などと語った。
 15日の公電では、米大使館の書記官が、日本の大使館員に、民主化運動で学生らの精神的支柱と位置づけられた学者の方励之氏を保護していることを明かし、「海兵隊などを使っての救出作戦は不可能と考えている」と述べた。また、「明日のことは予想がつかないのが中国」として、重要書類の3分の2は焼却済みだと語った。