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天安門当日、日本政府「対中制裁に反対」打ち出す…「戦後賠償」の考え背景に円借款継続

読売新聞 人民解放軍により制圧された天安門広場近くの大通りで、戦車の列を阻止する中国人男性(1989年6月)=AP
 1989年6月に中国で起きた天安門事件を巡り、日本政府が事件直後から、人権問題よりも、中国に改革・開放政策を維持させるための対中経済関与の継続を重視していた実態が、23日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。
 事件が起きた6月4日付の「中国情勢に対する我が国の立場」と題する1枚紙の文書では、事件は「人道的見地から容認出来ない」としつつ、「基本的に我々とは政治社会体制及び価値観を異にする中国の国内問題」と指摘。そのうえで、「(西側先進諸国が)制裁措置等を共同して採ることには、日本は反対」との方針を打ち出していた。
 22日付の首相への説明用文書「我が国の今後の対中政策」では、「我が国が有する価値観(民主・人権)」と「長期的、大局的見地からみて中国の改革・開放政策は支持」という「2つの相反する側面の調整」が課題だとしたうえで、「結論は、長期的・大局的見地の重視」と強調している。
 実際、21日付の「今後の対中経協政策について」と題した文書では、日本の経済協力が「中国の近代化、開放化」を支援してきたとし、事件によっても、「近代化、開放化の大筋が維持される限りこれを変更すべき理由はなし」と断言していた。
 具体的な対応として、中国への第3次円借款(8100億円)を含む新規案件は「当面は延期の姿勢」とする一方、継続案件は「原則としては続ける」とした。ただ、欧米諸国が対中制裁を打ち出す中で、「日本政府や日本企業の対応が突出し、火事場泥棒と映るような行為となるのを極力控える」とも付記した。
 26日の日米外相会談に向けて作成された三塚博外相(当時)の発言要領では、日本政府のこうした立場の背景として、「これまで営々として築いてきた幅広い日中関係を無に帰することは是非とも避けたい」という国民の気持ちがあるとしている。
 一方、20日付の文書では、日本の経済協力に関連し、「日中関係には欧米諸国とは同一視できない特殊な面がある」とし、「戦争を含む過去の歴史的関係」を挙げた。対中経済援助に「戦後賠償」の意味合いがあるとの考えが背景にあったとみられる。
 ◆天安門事件=1989年6月3日夜から4日にかけ、民主化を要求して北京中心部の天安門広場を埋め尽くした学生らを、共産党政権が「反革命暴乱」とみなし、軍を投入して戦車などで鎮圧した事件。4月に始まった学生デモの参加者は最大で100万人規模に上ったとされる。中国政府は死者数を319人と発表しているが、実際はこれをはるかに上回り、1000~3000人との推計もある。