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安倍総理の志は死なない!!

高速鉄道「頓挫」でも懲りない中国のマレー戦略

マラッカ海峡を回避する戦略ルート「東海岸線」
さかい もとみ : 在英ジャーナリスト
2021年02月07日
シンガポールとマレーシアの首都・クアラルンプールを結ぶ高速鉄道計画について、両国政府は1月1日に計画撤回を発表、ついに破談となった。
高速鉄道は2013年に両国が敷設に基本合意。クアラルンプール―シンガポール間の距離は東京―名古屋間とほぼ同じ350kmで、両都市間を最速90分で結ぶ計画だった。
一時は中国や日本など各国が受注を競った高速鉄道計画。とくに「一帯一路」と呼ばれる国際的なインフラプロジェクトを世界中で展開する中国は、一見すると今回の計画断念によって東南アジア展開の壮大な思惑が崩れ去ったようにも見える。
だが、マレーシアでは中国による別の鉄道プロジェクトが進行中だ。ラオスでの鉄道建設も進んでおり、着々と東南アジアにネットワークを築こうとしている。
計画断念を惜しむ声
東南アジアの新たな観光ルートの軸になる可能性もあった高速鉄道。プロジェクトの消滅を惜しむ声はあちこちから聞こえる。
国際的なビジネス需要を考えても、クアラルンプール―シンガポール間の高速移動の実現は魅力的だ。この2都市間を結ぶフライトは年間3万便、座席供給数は556万席(いずれも片道ベース)と世界の国際線便数ランキングでトップ3に入る。国際線で1日当たり40往復に達するのは驚異的と言えよう。
クアラルンプールの在住邦人向けフリーペーパー「Mタウン」発行人、広岡昌史氏は高速鉄道について「シンガポールとの行き来が手軽で便利になることが想定され、メリットを感じていた。観光需要はもちろん、両国でのビジネスを展開している日系企業も多いので、事業断念は個人的には残念に思う」と語る。
ただ、2013年の基本合意以降の経過は決して順調ではなかった。これまでにもマレーシア側が財政の悪化への懸念などから凍結を複数回提案し、そのたびに2国間での調整が行われてきた経緯がある。
基本合意から7年が経ち、すでに一部区間では土木工事が進んでいたプロジェクト。一方、導入される車両や運行システムをめぐってはとうとう発注先が未定のまま幕を閉じた。
【プロジェクトの流れ】
2013年2月:両国首脳により、建設に合意。「2020年の開通目指す」
2016年7月:両国の運輸当局者により覚書を締結
2018年5月:プロジェクト凍結を掲げたマハティール元首相(当時)が総選挙に勝利
2018年6月:マハティール前首相「高コストのためプロジェクトは延期」とコメント
2018年9月:前首相「開通は2031年」と明言。一方で両国首脳は2020年5月末までの事業凍結で合意
2020年2月:ムヒディン首相率いる新政権誕生。同年5月末までの凍結期限を同年末まで延長で合意
2020年12月31日:凍結期限最終日
2021年1月1日:両国首脳、事業断念を共同発表
マレーシア政府は、2020年末の高速鉄道プロジェクト凍結期限到来を前に、事業断念を回避すべく、さまざまなコスト削減策を検討した。事業構造や契約で示されたビジネスモデルなどについて改めて精査する一方、欧州や英国、日本、韓国の高速鉄道のビジネスモデルの比較、検討を進めた。また、30%前後のコスト削減を目標に、線路設計や駅所在地にもメスを入れたという。
コロナ禍が断念の決め手に
あらゆる方法を使ってマレーシア政府は事業存続を目指したが、新型コロナウイルスの感染拡大による財政悪化は深刻で、新たなインフラ開発に回せる資金はないと判断した。
こうした背景もあり、12月2日に両国首脳間で行われたテレビ会議の席上、プロジェクト断念で合意。凍結の期限が切れた翌日となる2021年の元日に、両国首脳が正式に計画の断念を発表した。


マレーシアは高速鉄道計画の一方で在来線の近代化・高速化も進めてきた。都市間を走る特急電車(編集部撮影)
事業の中止決定を受け、マレーシア側は補償金をシンガポール側へ支払う義務が発生する。今後、シンガポール政府が金額の詳細を通告し、マレーシア政府が精査するという。
ムスタパ首相府相(経済担当)は補償金額について、「シンガポール側との契約上、開示できない」としているが、2020年5月までの事業凍結が決まった際は、マレーシア側は補償金として1500万シンガポールドルを支払うべきと提示されている。
一時は中国、韓国や日本が受注競争に参戦した高速鉄道計画。それぞれの国がパッケージで輸出すべく、運輸当局者だけでなく、一般市民にも自国の高速鉄道の水準の高さをアピールするため、 クアラルンプール市内で積極的にロードショーを実施したのが目をひいた。
日本は同市中心部にある伊勢丹の店舗内で、JR東日本が新幹線の安全性や定時性を強調するパネルなどとともに、プラレールを使って来場者の目を引く作戦に出た。韓国は、マレーシア国鉄(KTM)のメインターミナルであるKLセントラル駅隣接のショッピングモール内に店舗スペースを借り、長期にわたって同国の高速鉄道、KTXに関する紹介を行った。


中国がKLセントラル駅のコンコースに設置した高速鉄道のPRブース(筆者撮影)
一方、今世紀になって急激に高速鉄道網を広げた中国は、KLセントラル駅のコンコースに大型ポップアップブースを設置し、自国の高速鉄道に関する動画や模型を展示した。
中国はマレーシア国鉄に車両を供給するなどすでに関係は深く、海を挟んで隣国のインドネシアでは高速鉄道の受注に成功している。今回の高速鉄道計画断念は、中国の東南アジア展開に影響を与えそうにも思える。
だが、中国はマレーシアで、別ルートの鉄道開発を着々と進めているのだ。
「抜け道」確保を狙う中国
一般的に「マレー鉄道」と言われるルートは、タイの首都バンコクからシンガポールまで、マレー半島のインド洋側に面する西海岸を通っている。一方、中国はマレーシアの北東側にあるタイ国境から半島を縦断し、最終的にクアラルンプール郊外のマレーシア最大の貿易港クラン港に至るルートの構築を目指している。
マレーシアの輸送需要にはそれほど貢献しないようにも見えるルートだが、これが中国にとっては重要な意味を持つ。


マレー半島東海岸を通る国鉄在来線の中間駅。ローカル線の雰囲気が強い路線だ=2012年(編集部撮影)
中国は中東の原油への依存が高く、その大部分がマラッカ海峡を通過している。だが、有事の際にはシンガポール駐留の米軍が海峡封鎖に動く可能性がある。そうなればエネルギーの供給路が大打撃を受け、一巻の終わりだ。そのため、中国にとってはマラッカ海峡を通らずにインド洋から南シナ海への「抜け道」を確保することが重要な課題なのだ。
前述したルートに沿う新線、東海岸線(ECRL)を敷くプロジェクトはすでに進んでいる。全長640kmで、日本の在来線よりやや狭い線路幅(軌間)1mのマレーシア在来線とは異なり、中国本土と同じ軌間1435mmの標準軌となる。
ECRLは2017年夏に着工したものの、約1年後に政権奪取したマハティール前首相がECRLプロジェクトの中止を中国に向け宣言した。


東海岸線のルート概略図。クアラルンプール周辺のルートは変更の可能性もある(資料を基に編集部作成)
ところが中国にとって、緊急時の抜け道となるECRLが頓挫してしまうのは何としても避けたい。最終的にマハティール前首相が中国と交渉し、建設コストの圧縮と自社企業による土木工事への関与比率を上げることで妥結に持ち込んだ。現時点では2026年の開通を目指して建設が進んでおり、最高時速160kmの旅客列車をメインに運行することになっている。
ただ、「抜け道」といっても中国とマレーシアは国境を接しておらず、鉄道でつなぐとしても途中にタイやラオス、ベトナムといった国が横たわっている。この間を接続するため、中国は西南部の雲南省と、国境を接するラオスを縦断する鉄道新線の敷設を進めている。「中国・ラオス鉄道」はタイの鉄道との接続を前提とするとともに、最終的にマレーシアへの乗り入れも可能とするという。
中国の鉄道は東南アジアを席巻するか
中国・ラオス鉄道は全長422km。雲南省南部の中国国境の街・磨憨(モーハン)と接するボーテンとラオスの首都・ビエンチャンを結ぶ。最高速度は旅客列車が時速160km、貨物列車は120kmを想定しているという。中国側報道によると、同線にはトンネルが75本あり、距離にすると延べ198km。半分近くがトンネルの中という路線になる。


中国・ラオス鉄道のルート概略図(資料を基に編集部作成)
内陸国で国土のほぼ全体が山がちなラオスにとって、基幹交通網の整備は念願とも言える課題だった。鉄道の建設は2016年12月に開始。コロナ禍にもかかわらず建設は予定通り進んでおり、今年の年末には営業運転開始にこぎつけるという。
ただ、同鉄道の敷設資金のうち6割はラオス政府が中国輸出入銀行からの借り入れで賄い、残りは中国・ラオス合弁会社が出資するという形を取っている。また、建設は一貫して中国資本の企業が請け負っている。このため、「一帯一路」のインフラプロジェクトで危惧される「債務漬け」にラオスが陥る懸念もあるといえよう。
クアラルンプール―シンガポール間の高速鉄道プロジェクトは頓挫してしまったが、中国の東南アジア戦略により、2020年代後半にはASEANを取り巻く鉄道網は大きな変革を迎えることだろう。高速鉄道が実現しなくても、気づけば中国製の標準軌鉄道が東南アジア諸国を走り回るという事態になっているかもしれない。