Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

対中強硬派を再び襲うバイデン&キャンベルの悪夢

JBpress 提供 台湾海峡を南下する米駆逐艦マケイン(出所:米海軍、以下同)
(北村 淳:軍事社会学者)
 アメリカでバイデン政権が発足して3週間ほど経ったが、その間、アメリカ海軍艦艇は活発に中国に対する牽制活動を実施している。
 1月23日にはバリンタン海峡(台湾とフィリピンの間のルソン海峡のフィリピン寄りの海峡)をセオドア・ルーズベルト空母打撃群が南下して南シナ海に入り、南シナ海で各種訓練を実施。訓練を終えると2月1日にグアムに帰還した(本コラム2021年2月4日「台湾接近の中国爆撃機、米空母攻撃訓練をしていた!」参照)
 引き続いて2月4日には、駆逐艦ジョン・S・マケインが台湾海峡(台湾と中国大陸の間の海峡)を南下して南シナ海に入り、翌5日には、西沙諸島沿海域で「FONOP」(公海航行自由原則維持のための作戦)を実施した。バイデン政権下で、南シナ海におけるFONOPが実施されたのは初めてである。そしてやはり5日には、ニミッツ空母打撃群がマラッカ海峡からシンガポールを回り込んで南シナ海に入り北上を開始した。

© JBpress 提供 南シナ海でFONOP実施中の米駆逐艦マケイン
 このような米海軍艦艇の動きを見ると、あたかもバイデン政権がトランプ政権の強硬路線を踏襲しているかのような印象を受けるかもしれない。しかしながらこれらは、バイデン政権が中国の海洋拡張戦略を牽制するために太平洋艦隊に司令したわけではない。以前より(すなわちトランプ政権の時期に)計画されていた行動である。たとえば、ニミッツは8カ月にもわたってアラビア海からインド洋にかけて展開していたため、アメリカ西海岸のシアトル郊外のブレマートン基地に帰還する途中に南シナ海を通過しただけである。

© JBpress 提供 1月23日から2月7日にかけてのアメリカ海軍の南シナ海航行の航路
大いに悲観する対中警戒派
 米海軍関係者の中でも、オバマ政権時代に自らの対中強硬策の提言を却下され続けた対中警戒派の人々は、「少なくとも対中軍事政策に関しては『オバマ3.0』(第3期オバマ政権)になってしまうことは避けられない」と確信している。
 なぜならば、バイデン政権の対アジア軍事政策を左右することになる国家安全保障会議(NSC)インド太平洋調整官にカート・キャンベル氏が就任したからである。
 対中警戒派の人々によると、キャンベル氏が設立したコンサルティング会社は、アメリカのクライアントたちに中国共産党系企業に対する投資を促進し、中国共産党政権による一帯一路政策に相乗りする形でビジネスを大いに成功させた、まさに習近平率いる中国共産党の協力者そのものである、という。
 もっとも、バイデン大統領自身も、近親者が関係しているビジネスが中国共産党系企業と密接な関係があるとの疑いを受けている。そのバイデン大統領自身があえてキャンベル氏を対中軍事政策の司令塔に据えたことから、対中警戒派、とりわけ常日頃中国海洋戦力と対峙し続けている米海軍対中強硬派の人々は、「南シナ海や東シナ海での対中軍事政策において、バイデン政権は当面は馬脚を現さないものの、やがてオバマ時代以上に“中国の思いのまま”にされてしまいかねない」と大いに悲観している。
スカボロー礁での大失態
 バイデン大統領もキャンベル調整官も、中国共産党に関連した私的なビジネスで利益を上げたということ以上に、オバマ政権期の対中取り込み政策、あるいは対中融和政策を牽引したという事実は消すことができない。
 とりわけ「スカボロー礁スタンドオフ」事件が発生した当時、国務次官補であったキャンベル氏の大失態は、対中警戒派の人々によると、アメリカがベトナム戦争で敗北を喫しサイゴンから海兵隊ヘリコプターが最後の撤収をして以来、最大のアメリカ外交の失策であったという。
 スカボロー礁スタンドオフというのは、南シナ海の環礁であるスカボロー礁(中国名、民主礁)を巡るフィリピンと中国の領域紛争に関して、2012年4月から6月にかけて、双方が巡視船や軍艦まで派遣して軍事衝突に発展しかねない状況に立ち至った事件を指す。
 フィリピンはアメリカと米比相互防衛条約を締結している。その内容は、日米安保条約に類似しており、かねてよりアメリカ側は、フィリピンの施政権下にあるスカボロー礁は米比相互防衛条約の適用範囲内であるとして、同盟国であるフィリピンの立場を支持し、中国側を牽制するかのような姿勢を示していた(ただし、アメリカ外交の鉄則に則り、第三国間の領土紛争に対しては直接介入はしない、という立場は維持していた)。
 海洋戦力は中国軍がフィリピン軍を圧倒的に上回っている。そのためフィリピン政府は、万が一にも中国との間で軍事衝突が勃発してしまった場合、なんとか軍事衝突を回避するべくアメリカ政府の支援を期待した。
 しかし、国務次官補としてこの問題を担当することになったキャンベル氏は、これまで同様にアメリカ政府は「条約上のコミットメントをする」との方針を示すに留まった。
 中国側は、フィリピン政府に対して、スカボロー礁から撤収しない場合には軍事攻撃をも辞さないといった内容の威嚇を続けた。そこでフィリピン政府は、アメリカ政府に条約に基づく最大限の介入をするように要請した。しかしながら、アメリカ側は対中威嚇のための軍艦や航空機の派遣はおろか、フィリピン支援の断固たる態度を明確に示すことはなく、曖昧な姿勢に終始したのである。
 米比相互防衛条約が存在するにもかかわらず、アメリカ政府には苦境に陥った同盟国を軍事力を持ってして救援する意思がないことを見て取った中国は、スカボロー礁周辺へ艦艇や巡視船を繰り出して、全てのフィリピン巡視船や漁船群を追い払ってしまった。それ以降今日に至るまで、スカボロー礁すなわち民主礁は中国の実効支配下にある。
歴史は繰り返す?
 米比相互防衛条約と日米安全保障条約、中比スカボロー礁領域紛争と日中尖閣領域紛争、そしてカート・キャンベル氏が率いるアメリカ対中政策ときわめて似通った前提条件が出そろっている。
 当時のフィリピンのように同盟国頼みだけでは、日本にも惨めな結果が待っているだけである。