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安倍総理の志は死なない!!

竹島が映す韓国の「言った者勝ち、やった者勝ち」

金 遥楽


2021/02/19 06:00

© JBpress 提供 竹島で軍事訓練を実施する韓国海軍(提供:South Korea's Navy/AP/アフロ)
(金 遥楽:フリーライター)
 2月22日は島根県が条例で定めた「竹島の日」だ。竹島を巡っては、日韓間で終わりの見えない論争が続いている。その「竹島の日」を目前に控えた今、過去の文献や地図、歴史などをあらためて検証してみたい。
 竹島(韓国名トクト<独島>)の領土問題を語る時、当然ながら過去の地図や文献を根拠に論ずるべきだが、過去の名称と現在の名称が異なっているなど、明確にし難い部分がある。韓国の過去の地図や文献には、鬱陵島(ウルルンド)や于山島(ウサンド)などさまざまな記述があり、文献上の名称がどの島嶼を指すのか特定する必要があるが、異なる複数の解釈があり、どの説を根拠にするかで変わってしまう。
 韓国には1900年の大韓帝国皇帝勅令に出てくる「石島」(ソクト)が、今のトクト(日本名・竹島)だと主張する説がある。しかし、「石島」という名称は、それ以前の文献にはなく、また勅令の後も行政区域の改編で消えてしまって、今となってはどの島を指すのかわからない。
 鬱陵島の近くに「観音島(クァヌムド)」と「竹島(チュクト)」という2つの島がある。この「観音島」は「石島」の可能性が高いが、過去にたった一度だけ登場し、すぐに消えてしまった「石島」という名前を根拠にトクトと主張するのはあまりにもお粗末だ。なお、「チュクト(竹島)」は日本の「竹島(韓国名トクト)」とは別の島である。
 竹島は、1402年に李氏朝鮮で作成された世界地図 「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」には記載されておらず、朝鮮王朝が竹島を認知していなかったと考えるのが妥当だろう。その後は、18世紀まで島の記載がある地図とない地図があり、また位置の誤りなどもある。朝鮮王朝が竹島を認識していたかどうか疑問である。
李氏朝鮮の時代も今も変わらぬ精神性
 江戸時代、竹島は「松島」と呼ばれた無人島で、鬱陵島に向かう航行の目印や停泊地として利用され、のちに江戸幕府の許可を得てアワビ漁なども行われていた。
 18世紀中期に作成された朝鮮の地図帳「海東地図」の「鬱陵島図」には鬱陵島に日本人が出入りしていたという記載がある。もし韓国がトクトを認識していたのなら、当時の日本人が鬱陵島へ向かう中間地点として竹島を利用していたことは理解していたはずだし、その記述があっても不思議ではない。
 しかし、「鬱陵島図」にトクトに関する記述はない。1417年から1881年まで朝鮮は鬱陵島への渡航・居住を禁止していたことから、19世紀後半にはまだ竹島を認識していなかった可能性が高いと考えられる。

© JBpress 提供 鬱陵島への渡航や居住を禁止していた朝鮮(写真:Topic Images Inc./アフロ)
 竹島問題の解決を図るには、1876年の日朝修好条規以降の日韓それぞれの記録を照合して、比較検証すべきだろう。
 西欧諸国がアジアに侵攻し始めた時代、朝鮮は清国との伝統的な関係を維持しつつ、西欧列強侵攻からの「一定の保護」を求めて日朝修好条規を結んだ。いまだ清の力を信じていた朝鮮は、清には属国のような曖昧な態度を取りながら、諸外国と条約を結んで良いとこ取りをする外交を目論んだのだ。どっちつかずの態度が垣間見えるが、現政権の外交姿勢とそれほど変わらないようにも思う。
 日朝修好条規は不平等条約だったという主張がある。だが、当時、西欧に対して鎖国をしていた朝鮮は国際情勢が変わっていることを部分的には知っていても全体的に把握することはなく、先に開国した日本から西洋式文化をとり入れようとする声が上がっており、日本からの一方的な強要で結ばれた条約では決してなかった。
 後から知らぬ存ぜぬで被害者意識を前面に主張して反故にしようとする姿は、現在の悪化している日韓関係の根底にある心理と重なり、昔と変わらぬ韓国の姿を想起させる。
曖昧な態度が韓国の姿勢を増長させる
 その後、独立した韓国は第二次大戦後のサンフランシスコ講和会議に参加できなかった。その会議で調印された平和条約で済州島、巨文島及び欝陵島を含む韓国の独立が認められたが、会議に参加できなかった韓国は竹島が日本領になっていることを認めないと主張し、1951年から1965年まで行われた日韓会談でも竹島に言及した。
 竹島については、紛争に関する交換公文で「別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかった場合は、両国政府が合意する手続きに従い調停によって解決を図る」ことになっているが、外交にせよ、調停にせよ、双方の歩み寄りがなければ始まらず、日本の提案に韓国がノーと言えば何も進まない。
 実際、日本側が国際司法裁判所に提訴しようにも韓国側が応訴の要請を聞き入れず、問題を先送りにした状態のまま、韓国は竹島を占拠して軍事訓練や観光ツアーを開始するなど、竹島がまるで韓国の領土であるかのように振舞うことで実効支配を目論んでいる。慰安婦像の勝手な設置も竹島の不法占拠も、「言った者勝ち、やった者勝ち」の心理から来る韓国のお家芸だ。
 日韓会談で韓国は竹島問題よりも、補償問題の解決に重きを置き、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルの提供を受ける内容で決着した。当時、韓国の国家予算は3.5億ドルである。この金銭で 「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を果たしたが、国民に明確に示さなかった徴用工問題は、その後に提起された慰安婦問題と併せて現在も禍根を残している。竹島も然りで、日韓会談で曖昧な決着を出した結果が今の竹島問題の深刻化につながり、自分勝手な主張を押し通す韓国の姿勢を増長させた。
 結局、日韓合意の内容を詳細に確認し合わなければ竹島問題のみならず、日韓間の歴史的諸問題は真の解決をみないのだ。新年の会見で文大統領は65年の日韓合意を「両国政府間の公式合意」と認めたが、竹島問題についても日韓条約の交換公文に倣った態度で臨んでほしいものだ。