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安倍総理の志は死なない!!

中国船の日本漁船威嚇、戦術的にも能力向上! 「時機を見て攻撃してくるのでは」漁業者危惧も…玉城知事は“弱腰” 八重山日報・仲新城誠氏緊急寄稿

 習近平国家主席率いる中国共産党政権は1日、海警局に、海上保安庁の巡視船や日本漁船を含む、外国船への武器使用を認める「海警法」を施行した。沖縄県・尖閣諸島の周辺海域には、連日のように海警局船が侵入しているが、現地の状況はどうなっているのか。「領土・領海を守る」という地元漁業者の熱い思いと、離島の焦燥感が伝わらない沖縄県の玉城デニー知事の弱い発信とは。菅義偉首相は、国家的危機にどう対処するのか。沖縄の日刊紙「八重山日報」編集主幹の仲新城誠氏が緊急寄稿した。

中国船の日本漁船威嚇、戦術的にも能力向上! 「時機を見て攻撃してくるのでは」漁業者危惧も…玉城知事は“弱腰” 八重山日報・仲新城誠氏緊急寄稿© 産経新聞社 中国船の日本漁船威嚇、戦術的にも能力向上! 「時機を見て攻撃してくるのでは」漁業者危惧も…玉城知事は“弱腰” 八重山日報・仲新城誠氏緊急寄稿


 尖閣周辺海域で緊張感が高まっている。出漁した日本漁船が海警局船に威嚇される事態も頻発しているが、日本側は有効な対抗策を打ち出せず、じりじりとリング際に追い詰められているように見える。


 海警法施行後、海警局船は6、7日と15、16日、尖閣周辺で領海侵入し、沖縄県内の漁協に所属する漁船延べ5隻への接近、追尾を繰り返した。


 特に16日は、海警局船が2隻ずつのチームを組み、違う海域で操業していた漁船2隻を同時追尾する「チームプレー」を見せた。


 長期的に尖閣周辺に常駐し、日本の実効支配を打破するという戦略レベルの行動だけでなく、現場での日本漁船排除に向けた戦術レベルでも、中国の能力が向上していることをうかがわせる。


 海上保安庁が日本漁船の周辺に巡視船を配備し、漁業者の安全を確保した。だが、日本の漁業者にとって尖閣周辺はすでに、巡視船の警護がなければ漁ができない危険な海域と化している。


 16日から漁船「鶴丸」に乗って尖閣諸島・南小島周辺で操業した石垣市議の仲間均氏によると、「海警」は2隻が「鶴丸」を挟むように追尾し、一時、40~50メートルの距離まで接近した。


 仲間氏は海上で一夜を過ごしたが、「海警」も周辺で「鶴丸」の監視を続けた。「海警」の追尾時間は約26時間に及んだ。


 海警法施行前に、仲間氏が尖閣周辺で操業した際は、けたたましい汽笛を鳴らされたり、夜間にサーチライトで照射される嫌がらせを受けた。


 仲間氏は「南シナ海で起こっていることが、尖閣周辺でも現実になっている。時機を見て日本の漁船を攻撃してくるのではないか」と危惧し、「漁業者が尖閣周辺に行かなくなると中国の思うつぼだ。今後も漁を続ける」と語った。


 中国の王毅国務委員兼外相は昨年11月に来日した際、一方的に尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張したうえで、尖閣周辺で操業する日本漁船を「偽装漁船」と言い放った。沖縄でさえ中国に同調して、「漁船に乗船しているのは活動家だ」と報道するメディアがある。


 だが現在、尖閣周辺には石垣島だけでなく、宮古島、沖縄本島からも漁船が出漁している。いずれも漁協に所属するれっきとした漁業者で、仲間氏も政治家ではあるが、長年の漁業実績がある。


 どの漁業者も尖閣の現状に危機感を募らせ、「領土・領海を守る」という熱い思いから命懸けで尖閣に向かっている。中国の宣伝に乗せられ、彼らを非難するような風潮は絶対にあってはならない。


 ◆玉城知事の弱い発信


 石垣市は昨年、尖閣諸島の字名を「登野城尖閣」に変更した。市議会は変更後の字名を表示する標柱を島々に建立するよう求める決議を可決した。中山義隆市長も標柱設置のため、政府に上陸許可を求めている。


 一方、海警法では、他国の個人や組織や設置した建造物を中国側が強制的に取り壊せると規定した。仮に、市が現地に標柱を設置すれば、取り壊しを名目に中国の官憲が上陸を図るかもしれない。実効支配強化を求める石垣市の動きを、早くも牽制(けんせい)したかたちだ。日本は常に先手を取られているのである。


 尖閣諸島を死守するには、まずは沖縄県民が立ち上がらなくてはならない。ところが、沖縄本島ではいまだに米軍基地問題を優先するムードが強く、離島の焦燥感は全くと言っていいほど伝わっていない。


 玉城デニー知事は16日の所信表明演説で、尖閣問題について、「漁業者の安全確保を国に要請する」「冷静かつ平和的な外交を」と言及しただけだった。これでは地元のメッセージとしてあまりにも弱く、政府が動かないのも当然だ。沖縄県民自身の無関心が中国に付け入る隙を与えているのである。


 ■仲新城誠(なかしんじょう・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。現在、同社編集主幹。同県のメディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に『「軍神」を忘れた沖縄』(閣文社)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(産経新聞出版)、『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』(同)など。