ネコウヨの散歩

ネコと憂国

スー・チーは「ミャンマー民主化の旗手」たりえるか

 インパール作戦の生き残りの日本兵が、ビルマ軍の落ち武者狩りのような捜索から逃れ、寺の僧侶や村の住民に匿われた話を聞いた。追いつめられて、地元で結ばれた妻といっしょに隣国のタイに逃げて生涯を全うした残留日本兵も知っている。


 その当時のビルマ軍を率いて日本人を追い詰めていたのが、スー・チー氏の父親のアウンサン将軍だった。


英国に寝がえり、日本に銃口
 彼はもともとビルマの独立を目指した活動家だった。日本軍によって軍事訓練を受け、日本軍と共に宗主国だった英国と戦う。そして、国内から英軍を追い出すことに成功すると、日本を後ろ盾に新政府を樹立する。


 ところが、インパール作戦で日本が敗退すると、たちまち英国側について日本軍を掃討する。その首謀者だった。それも権力争いから戦後間もない1947年に暗殺されている。スー・チー氏が2歳のときだった。


 民政に移行して、軍の権益や影響力を失うことが今回のクーデターの理由とも指摘されている。だが、それだけだろうか。軍政当時は、中国とミャンマーの港湾を結ぶガスパイプラインの建設には同意したものの、中国の影響力を受けたくない思惑から、鉄道、道路の建設は拒否したとされる。ところが、国家顧問に就いたスー・チー氏は、道路、鉄道の建設を中国から受け入れる。国連が指摘したイスラム系少数民族ロヒンギャの迫害は存在しないとも断言して、国際的な批判を浴びている。


 そもそも、彼女は10年前に軟禁が解かれるまで、政治経験もなかった。1988年の演説がきっかけで、民主化の象徴に崇められた。そこから拘束がはじまっている。


 戦争の時代から他国に侵されてきた歴史のある国。多民族国家で紛争も絶えなかった。スー・チー氏の国家運営によって、再び異国の影響下に置かれたり、国益を失う懸念が軍部になかったのか。昨年11月の総選挙でスー・チー氏の率いる与党、国民民主連盟(NLD)が8割を超す議席を獲得した大勝が、不安を駆り立てることにならなかったのか。軍はこの選挙結果に不正があったと主張して、クーデターを起こしている。彼女の父親でこそ、私欲なのか国益なのか、かつての日本を見限り裏切っている。そしていま、彼女自身が国軍に裏切られている皮肉。


 もしも水島上等兵がこの経緯を現地で見ていたら、なにを思うのだろうか。


 かつて残留日本兵が身を案じて息子を祖国に送ったように、日に日に規模を増していく抗議デモが多数の犠牲者を出すような悲惨な事態にだけはつながらないことを願ってやまない。