Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

卒業が本当ならなぜ都知事は卒業証書提示を拒むのか

(黒木 亮:作家)
 小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑が取りざたされている。色々な情報があるので、このへんで一度整理することが必要だと考え、本稿を執筆した。
 筆者は5回の現地取材を含む2年以上にわたる調査を踏まえ、「小池氏がカイロ大学を卒業した事実はない」という結論に至った。その理由を以下に列挙する。
1、同居人女性の証言
 小池氏は1972年10月にカイロ大学に入学し、1976年10月に卒業したとしている。しかし、ノンフィクション作家の石井妙子氏が「文藝春秋」(2018年7月号)に発表した『小池百合子「虚飾の履歴書」』の中で、1972年6月19日から小池氏とカイロで同居した日本人女性が、これがまったくの嘘であると証言している。
 手帳のメモや日本の母親に頻繁に送っていた手紙にもとづく証言は次のようなものだ。
 当時、小池氏はアラビア語の勉強はほとんどしておらず、アルバイトに明け暮れていた。72年の7月30日からパリに出かけ、チュニジア経由で9月21日に戻って来た。小池氏がカイロ大学に入学したとしている10月の4日には、同居人女性が学んでいた国立サイディア・スクールのアラビア語初級コースを見学に行き、数回通った。11月には小池氏が、父親が持っていたエジプト副首相とのコネで、翌73年10月にカイロ大学に2年生として編入できることが決まり、缶詰の赤飯を食べて2人で祝った(このことは11月19日付の手紙に書かれている)。
 その後も小池氏はアルバイトに明け暮れ、長期の海外旅行にも頻繁に出かけていた。73年2月、小池氏はサイディア・スクールで知り合った日本人男性と結婚し、引っ越して行った。その後、小池氏は離婚し、3年後の1976年1月に再び女性との同居を始めた。同年5月の学年末試験で小池氏は落第し、4年生になれていなかったので、追試も受けられなかった。日本航空のカイロ支店で働き始めた小池氏は、10月、エジプトのサダト大統領夫人が来日した際、非公式のアテンド係として潜り込み、カイロ大学を首席で卒業したという嘘の経歴を使い始めた。11月にカイロに戻って来たとき、同居人女性に嘘をついたのかと尋ねられ、けろっとしてそれを認めた。
 これらの証言のもとになる手帳のメモや手紙のほぼすべてに日付の記載と消印があるそうなので、裁判において証拠能力を持つ。この女性の証言は首尾一貫しており、石井氏が取材した他の人々や、私が独自に取材した他の人々の話とも矛盾しない。3回続けて進級試験に落ちると、学部を変えるか退学というエジプトの国立大学の進級システムについても正しく述べられている。石井氏と文藝春秋が、名誉棄損で訴えられる可能性があるこの種の記事を公表したのは、裁判で勝つ自信があってのことだろう。これに対し、小池氏は訴えるどころか、反論すらしていない。
2、卒業証書類の提出を頑なに拒否
 去る3月の都議会において、自民党の小宮あんり、川松真一朗、田村利光、三宅正彦の4人の都議が、代わる代わる小池氏に卒業証書類の提出を要請したが、小池氏はことごとく拒んだ。「すでに何度も公開しているので、これ以上公開する気はない」というのが理由である。
 小池氏の議会答弁には嘘と誇張が多いが、これもその一つだ。小池氏がまがりなりにも卒業証書類を見せたのは、前回の知事選前のフジテレビの「とくダネ!」での1回だけだ。しかもスクリーンショットの卒業証明書は有効性の最重要要件であるスタンプの印影(鷲のマークと周囲の文字)がことごとく判読不明、4か所ある署名欄は2つの署名しか確認できない、発行日も判読不明、右下にある署名らしきものも何なのか不明で、到底有効なものとは認められない。卒業証書にいたっては、明らかに複数の要件を欠いている。
 この点を三宅正彦都議に指摘された小池氏は「えー、卒業証書、卒業証明書がよく判読できない。アラビア語で書いてあるからであります」と即座に問題をすり替え、「それからまたこれも、非常に鮮明でございます。えー、そしてそれについて、あの、アラブの専門家の方々はすでに判読もしておられ、えー、そしてこれは正しいと、いうことを述べておられる方々も、おー、おられます」と答弁した。これもまったくの嘘である。
 筆者はこの画像を複数のエジプト人に見せたが、全員が前記の点に関し「読めない」と答えた。エジプト人でも読めないものを誰が判読できるというのか。もちろんこの卒業証明書が真正なものだと述べたアラブの専門家など一人もいない。三宅議員からは、これで鮮明というのはまったく理解できず、証書類を出せばそれで済むことだとあらためて指摘された。
 小池氏はよほど卒業証書類を見せたくないらしい。見せたくないのは、何か問題があるからで、有印私文書偽造・同行使の疑いをかけられても文句は言えないだろう。そうでないと言うのなら、現物を堂々と都議会に提出し、疑惑を払拭すればいいだけのことだ。現物でない限り、コピーや切り貼りはいくらでも可能だ。
 これが小池氏の言うことが信じられない理由の2つ目である。
3、卒論に関する嘘
 小池氏は卒論に関しても嘘をついている。3月12日の都議会で、自民党の田村利光議員が、「(カイロ大学を)卒業したのなら、卒論を書いたのでしょうか? 書いたのならテーマをお聞かせ下さい」と質問したのに対し、小池氏は「卒論という制度は学部、学科によって異なる。自分が卒業した文学部社会学科には卒論はなかった。当時の同級生たちもそのように言っている。たぶん取材をなさったのは、別の学科の方ではないかと思います」と答えた。小池氏は以前、石井妙子氏の質問に対しても弁護士を通じて同様の回答をしている。
 これもまったく嘘だ。筆者は2018年9月17日にカイロ大学文学部社会学科を訪問し、小池氏が卒業したと称している1976年と同じ年に同学科を卒業した現役の社会学科の教授に会って、そのことを確かめた。同教授の発言は次のとおりである。
「カイロ大学文学部社会学科(1学年約150人)では、全員が卒論を書かなくてはなりません。4年生の1年間は卒論を書くためのプロジェクト立案、資料集め、インタビューなどに追われます。私の卒論のテーマは、『職業集団としての猿の調教師』で、分量はアラビア語で80~90ページでした。他の学生の卒論のテーマは、教育、社会統制、カイロの貧民街、犯罪学というようなものでした」。なお面談にはカイロで新聞社のリサーチャーを務めているエジプト人女性も同席し、私も彼女もそれぞれ面談記録を残している。
 小池氏は同居人女性が証言する通り、最終学年に到達していなかったので、卒論の有無を知らなかったのだろう。3月24日の都議会では、この点を三宅議員から再度尋ねられ、動揺していたのか、人に聞いて答えていたことを図らずも暴露するような答弁をした。これが小池氏の言うことが信じられない理由の3つ目だ。
4、学業に関する様々な嘘
 小池氏は、卒論の件以外でも様々な嘘をついている。嘘を嘘で塗り固めてきたため、もはや自分でも収拾がつかなくなっているようだ。これが小池氏の言うことが信じられない理由の4つ目だ。
(1)嘘の最たるものが首席で卒業したというものだ。これは都議会などで追及され、事実上撤回したが、小池氏は「卒業致した際に、教授からトップの成績だったと言われ、嬉しくてそのことを書いた」と記者会見や都議会で言い訳をしている。
 しかし、小池氏がフジテレビの番組で見せた卒業証書類には、成績は合格点の下から2番目の「ジャイイド(good)」と書かれており(カイロ大学の合格点は4段階ある)、あれが仮に本物であるとしても「成績はトップであった」と言われるはずがない。
 そもそも小池氏のアラビア語は、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣と正則アラビア語で話そうとしてしどろもどろになったり、カダフィ大佐訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルで、到底大学教育に耐えられるものではない。大半がエジプト人の約150人の同級生を差し押さえ、あのアラビア語と「ジャイイド」の成績で首席と言うのは、嘘をつくにもほどがある。
(2) 小池氏は自著『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったとはっきり書いている。エジプトの国立大学では、科目を3科目以上落とすと、次の学年に進級できない。したがって小池氏の場合、卒業に最低で5年かかり、早くても1977年となる。当たり前の話だが、エジプトも日本同様、1年落第すれば、卒業は1年延びる。この点は複数のエジプトの国立大学の卒業生にメールで確認をとったので、間違いはない。したがって、1年目に落第したにもかかわらず、1976年10月に4年で卒業したという小池氏の学歴は、制度上まったくあり得ない。
 エジプトの国立大学では、3年連続で落第すると退学になる(他学部へ転部を申請したり、大学の講義に一切出席できず、2年間を上限として落とした科目の試験を受けるという道もあるが、簡単ではない)。小池氏は1973年10月に2年に編入し、その後毎年落第し、76年5月の学年末試験で3度目の落第をしたので、退学の瀬戸際にあったと考えると辻褄が合う。
(3)これら以外にも小池氏は様々な嘘をついている。全部挙げるときりがないので、主要なものだけを記す。昭和51年10月22日付の「東京新聞」の小池氏のインタビュー記事では、同年9月にカイロ大学を卒業したと書かれているが、小池氏が卒業証書だとしている文書が仮に本物だったとしても、「10月に追試を受け、12月29日に学位を与えることが決まった」と書かれている。『振り袖、ピラミッドを登る』の奥付の著者略歴で、「1971年カイロ・アメリカ大学・東洋学科入学(翌年終了)」と、存在しない学科を終了したと書いている。都議会で「何度も卒業証書を公開した」と繰り返し答弁したことも、「卒業証書類を、複数のアラブの専門家が判読し、本物と認めた」という答弁も、前述のとおりまったくの嘘である。
5、「お使い」レベルのアラビア語
 別の場所で詳しく検証したが(https://bunshun.jp/articles/-/7909)、筆者のようにアラビア語をある程度勉強した人間にとっては、小池氏のアラビア語は、学歴詐称の最大の証拠である。語学は、誤魔化しがきかない。小池氏はアラビア語の通訳をやっていたと自称しているが、たとえその後の経過年数を考慮しても、これで通訳をやるのは不可能だ。もちろん大学レベルの読み書きができたはずもない。
 できるというのなら、外国人記者クラブで台本なしでアラブ圏の記者とやり取りをしてみせればいいだけのことだ。これが小池氏の言うことを信じられない5つ目の理由である。
6、有効性に疑義のある卒業証書類
 小池氏が一度だけフジテレビの「とくダネ!」で短時間公開した卒業証明書は、最重要要件であるスタンプの印影の鷲のマークも周囲の文字も判読不能で、有効なものとは言い難い。4か所ある署名欄は2つの署名しか確認できない、発行日も判読不明、右下にある署名らしきものも何なのか不明である。卒業証書にいたっては、有効であるための複数の要件を欠いており、卒業証明書以上に有効性に疑義がある。この点については現物がきちんと公開された段階で、あらためて指摘する。
 また石井妙子氏は、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉とフジテレビで公開された卒業証書のロゴが違うと指摘している(https://bunshun.jp/articles/-/7792)。これに対し、小池氏は記者会見で「卒業証書は1枚しかない。大学が発行した唯一のもので、それ以上のものはない」と反論した。しかし、両者が違っているのは一目瞭然で、ここでも小池氏は嘘をついている。論理的に言って、2枚のうち少なくとも1枚は(場合によっては2枚とも)偽物ということになる。
 小池氏があくまで現物の提出を拒み、フジテレビのスクリーンショットで判断しろと言うのなら、両方とも無効である。スクリーンショットは画像が不鮮明で、スタジオ内の強いスポットライトで一部が見えなくなっている可能性もあるので、きちんと公開することは、小池氏にとっても有利なことのはずだ。それをあくまで拒否するのなら、有印私文書偽造・同行使の嫌疑をかけられても、文句は言えないだろう。これが小池氏の言うことを信じられない理由の6つ目である。
(後編に続く)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60763