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安倍総理の志は死なない!!

「独立しない限り、弾圧なくならない」 中国逃れたウイグル男性 新宿で抗議

 東京・新宿の街頭で、中国政府による人権弾圧が行われている新疆ウイグル自治区から2カ国を経て、日本に逃れてきた男性が抗議活動を続けている。現地の家族は当局に拘束されたまま、今も行方が分からない。「ウイグル人が独立しない限り、弾圧は永遠になくならない」。男性はそう訴える。(共同通信=上松亮介)
 ▽中国語の罵声
 昨秋、買い物客が行き交うJR新宿駅西口で抗議の声を上げていたアブドゥルラフマン・ハサンさん(45)。母(71)と妻(24)、長男(6)、長女(5)の写真を印刷したプラカードを両腕に抱え「これが弾圧の結果だ。家族、仕事、すべてを奪われた」と通訳を通じ訴えた。他の在日ウイグル人らと毎週土曜日に続けてきた抗議は約1年にわたる。新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が出されている間は中断しているが、宣言解除後はまた街頭に立つつもりだ。
 ハサンさんは100万人以上ともされるウイグル人が正当な理由なく収容施設に送られたと主張、新疆ウイグル自治区に当たる地域で1944年にウイグル人らが樹立した「東トルキスタン共和国」の再興を訴える。チベットなど他の民族も抑圧的に統治してきた中国政府が最も敏感に反応するいわゆる独立運動だ。
 ハサンさんのそばで東トルキスタン共和国の真っ青な旗を掲げていた自営業の30代ウイグル人男性によると、抗議活動中には中国人とみられる通行人から中国語で「おまえらはテロリスト。受けている仕打ちは当然だ」と罵声を浴びせられ、もみ合いに発展したことも。取材した昨年11月21日には警視庁公安部の男性警察官が離れた距離で周囲を監視。警察官は「何かあるとだめですので…」と言葉少なに話していた。
 ▽暗転
 ハサンさんは新疆ウイグル自治区カシュガルで、リンゴやブドウを周辺の中央アジア諸国に輸出する貿易会社を営んでいた。「17歳から路上で果物を売り歩き、成り上がった」と抗議活動中は笑み一つ浮かべなかった彫りの深い顔をほころばせる。
 だが、順風満帆だった暮らしは2014年ごろから変わり始めた。親交があった地元の共産党幹部から「過激派対策を名目にウイグル人を収容する計画がある」と聞き、当初は半信半疑だったものの、実際に会社員の友人らが次々と拘束された。
© 全国新聞ネット 現在も連絡が取ることができないハサンさんの母や兄弟が映った写真。2016年8月に親族で集まった際、遊園地で撮影された。皆、カメラに笑みを浮かべているのが確認できる
 当時は独立運動などに関心はなく「言動に気を付けてきた自分は大丈夫だろう」と考えていたが、17年1月のある日、イスラム教の集団礼拝から帰ると、自宅周辺に公安当局の職員らしき4、5人の姿が。「いよいよ自分にもやってきた」と危険を感じ、妻と子どもは安全だろうと一人隣国キルギスの首都ビシケクに逃れた。
 現地で当局の動向を見極めるつもりだったが、人づてに妻や子どもを含め親族10人以上が拘束されたと耳に。だが、この情報を教えてくれた共産党幹部の連絡もしばらくして途絶えた。さらに中国と経済連携を強めるキルギスが亡命してきたウイグル人を強制送還していることを知り、半年もたたず居を移すことを決めた。
 ▽安息の地
 次の逃避先は宗教、民族的に近いウイグル人を多数受け入れてきたトルコの最大都市イスタンブール。貯蓄を取り崩しながら生活し、東トルキスタン共和国としての独立を街頭で訴え始めた。だが、自国内にクルド人の分離独立運動を抱えるトルコの当局を刺激したのか、活動をやめるよう執拗に警告されたという。
 そんな折に在日ウイグル人の招待を受け、18年11月に東京でのウイグル支援集会に出席するため来日。多くの参加者から受けた励ましに感激し、そのまま日本で暮らすことに。
 難民申請は認められていないものの、就労可能な在留資格「特定活動」を取得。現在は千葉市内のトルコ料理店でアルバイト店員として働いている。ハサンさんは新宿での活動が許可を受けた上で続けられていることに触れ「いつか日本のように、誰もが普通に声を上げることができる祖国を持ちたい」と話した。
 □取材を終えて
 ウイグル人は中国新疆ウイグル自治区を中心に1千万人以上が暮らし、大多数がイスラム教徒だ。古代の東西交通路「シルクロード」の一部として栄えたこの地に先住し、詩や踊りを愛するなど独自の文化を育んできた。ハサンさんは「ウイグル人と中国人に共通点はない。食べる物や言葉、宗教、顔、何もかも違う」と眉をひそめる。
 長年、中国政府による抑圧的統治に耐えてきたウイグル人にとって、もはや我慢の限界と言えるだろう。家族を思い、仕事に生きてきたハサンさんの人生をこうも変えてしまった中国の弾圧の峻烈さに憤りがこみ上げた。