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安倍総理の志は死なない!!

香港に中国流民主制、「暴走」はどこまで続くか

共産党主導の「法治」、見えぬ西側諸国の対抗策
薬師寺 克行 : 東洋大学教授
2021年03月17日
中国が香港の統治システムから民主派を徹底的に排除するための選挙制度の見直しを全国人民代表大会(全人代)で決定した。その内容はわれわれの感覚からすれば、およそ「選挙」とはいえないものだ。
西側諸国は一斉に中国の対応を非難している。しかし、こうした批判は今の中国にとっては痛くもかゆくもないだろう。
中国は表向き、香港の「一国二制度」や「高度な自治」を認めている。しかし、今回の選挙制度見直しでそれらは完全に否定される。行政長官選挙や立法会選挙から民主派を排除する制度改正になぜいま踏み切ったのか。全人代での王晨・常任委員会副委員長の説明や人民日報の記事などから中国の論理を整理すると以下のようになる。
「愛国者」だけが統治を担う
香港はイギリスから中国に返還された時点で中国の国家統治システムに再び組み込まれた。香港にとって選挙制度は重要な政治体制の一部である。一方で、香港では近年、急進的分離主義者が「香港独立」などを公然と主張し、活発な運動をしている。その一部は立法院の議員であり、香港の行政を妨害した。
さらに外国勢力の干渉もあった。こうした動きは中国憲法や香港基本法への挑戦であり、国家にとって深刻な危機となる。その原因は香港の選挙制度に明らかな抜け穴があるためだ。したがって、選挙制度を改善し、愛国者を主体として香港国民が香港を支配できる制度が必要である。
つまり、香港の現行選挙制度には反体制派(民主派)が議会などに入り込むことを可能にする欠陥があり、それをふさいで体制に従順な愛国者だけが統治を担う制度を作るというのである。
民主主義的な制度のもとでの選挙は、国民の多様な意見や主張、利害などを反映した代表者を選ぶためのものだ。その結果、政権を担う政党や大統領などの為政者が交代することもある。政権交代を前提とした制度なのだ。
ところが、中国では憲法に「中国共産党による指導は中国的な特色のある社会主義の最も本質的な特徴」などと書かれており、共産党一党支配が政治制度の大前提となっている。つまり、選挙で政権政党が変わるなどということは想定されておらず、選挙は共産党支配を認め、その方針を支持する愛国者を国民の代表に選出するためのものでしかない。
外形的には民意を反映した立法、行政が行われているように装っている。しかし、選出された議員は共産党の提起する法案を機械的に承認するだけだ。これが中国流の「民主主義」なのである。
民主主義は政治制度の1つにすぎない
したがって、政権交代の可能性を前提としている西側諸国の選挙制度には欠陥があり、受け入れることができない。中国の一部となった香港の選挙制度には西側の制度の残滓があり、それが香港を不安定な状況に陥れている。ゆえに全人代の決議という合法的な手続きを経て、不安定要素を排除するのだ。
中国共産党一党支配の政治体制からすると当然の対応であり、それを西側諸国が批判することは内政干渉にほかならない。
多様な価値観や利害関係を反映させる政治制度に慣れ親しんでいるわれわれからすると、想像もつかない。しかし、中国では「民主主義制度というのは数ある政治制度の1つでしかなく、どの政治制度を選択するかはその国の判断である」という考え方が広く定着している。
10年ほど前、筆者が北京大学で講演した時、約200人の学生に民主主義をどう思うか聞いたことがある。「民主主義が今の世界で必ずしもうまくいっているとは思えない」「中国の政治制度の方が民主主義国よりも経済成長などで大きな発展を実現させている」などと民主主義に否定的な意見が相次ぎ、肯定的な意見はわずか2人だった。
習近平主席は講演などで「中国は西側の憲政、三権分立、司法の独立などという道を歩まない」「他国の制度を模倣する必要はない」と繰り返し主張し、中国の歴史や国情などを反映した「中国の特色ある社会主義法治の道を歩む」と強調している。
「中国流法治」の意味
中国の言う「法治」や「法の支配」という言葉の意味も西側とはまったく異なる。西側民主主義国における法治は、一般的に国民が守るべきルールというだけでなく、国家権力を法律で拘束するという権力抑制の意味が込められている。
権力者はしばしば暴走しかねない。だから法律によって被治者の権利や自由を保障するという立憲主義に基づいた考え方だ。
ところが中国流の「法治」「法の支配」は正反対である。中国共産党が最高権力であり、法律は共産党が統治するための道具である。国民や企業はすべて法律に従わなければならない。そして、習近平主席が言及したように司法の独立は存在せず、裁判所の判断も共産党の方針に従わなければならない。それに反すると、非愛国者となる。つまり中国流法治とは、共産党主導のもとで作られた「法律による支配」なのである。
1990年代、中国は鄧小平氏を中心に「自分の力を隠して蓄える」という意味の「韜光養晦」(とうこうようかい)という言葉を対外政策の中心に置き、腰を低くして西側先進国の技術などを見習う姿勢を示していた。西側諸国も経済発展とともに中国は民主主義的制度を取り入れていくだろうと期待した。しかし、その見通しは完全に見誤っていた。習近平主席のもと、中国はますます独自の路線を突っ走っている。
その背景には鄧小平氏が1978年に打ち出した改革開放路線の成功がある。2008年のリーマンショックでは先進国に先駆けて、いち早く経済の回復に成功。コロナ禍の経済への影響も最小限にとどめ、2020年は主要国で唯一プラスの経済成長を遂げた。
2030年ごろにはGDPがアメリカを上回ると予測されている。つまり中国は今、自分たちの制度が西側の先進民主主義諸国以上に成果を上げ、西側諸国との制度間競争に勝利できるという自信を強めているのだ。
究極的には政治的、経済的、軍事的、そして科学技術の分野でもアメリカを凌駕し、アメリカ中心に構築された現行の国際社会のシステムを自分たちに都合よく作り変え、国際社会で主導的地位を確立する。それが習近平のいう「中国の夢」であり「中華民族の復興」であろう。そんな遠大な目標の前で、香港の選挙制度改正は数ある課題の1つでしかない。
民主主義的な政治に慣れ親しんだ立場から見ると、民意が反映されない政治や権力が長続きするのか、やがて国民の不満や批判が爆発するのではないかと思える。
しかし、中国はそれも抑え込むことに自信があるようだ。すでに述べたように共産党一党支配を正統化する教育の徹底は、共産党を相対化するという発想の芽を摘んでいる。また中国共産党はイデオロギーを前面に出すのではなく、経済成長によって生み出される富を国民に配分し続けるという「実利の政治」に重きを置いている。
民主主義の再構築が不可欠
李克強首相は全人代の「政府活動報告」で、「農村の貧困層5575万人が貧困から脱却した」「絶対的貧困の根絶という極めて困難な任務を完了した」と強調した。数字の信憑性はともかく、経済的利益の分配に力を置く政治を強調している。
それ以上に中国の特徴は、最先端のデジタル技術を使って反政府の動きなどを徹底的に監視する「デジタル監視社会」の構築だ。国民一人ひとりの行動がデジタル技術を駆使して管理され、反政府運動の動きだけでなく、犯罪者の逮捕など問題があれば当局が直ちに対応できるシステムが完成しつつある。これは過去にないまったく新しい統治体制である。
今後、中国が西側民主主義制度を否定し、デジタル技術を駆使した共産党一党支配による国家体制の強化と国際社会への挑戦を続けることは間違いないだろう。もちろんこうした「中国の夢」が直線的に実現するとは思わない。
しかし、先進民主主義国の側に、中国に対抗する十分な戦略や覚悟があるのかとなると甚だ心もとない。民主主義制度もさまざまな問題を抱え弱体化が指摘されている。中国を批判することも重要だが、同時に民主主義制度を再考し、より力強いものに作り替えていくことも必要だろう。