Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「過去最高の防衛費」報道がもたらす日本の危機

 中国の武漢で発生したとみられる新型コロナウイルスによって世界が呻吟するのを横目に開いた全国人民代表大会(全人代)で、中国は自由主義国家の弱点露呈は攻勢のチャンスととらえ、覇権を目指す意図を一層堅固にしたようである。
 米国で新たに登場したジョー・バイデン政権は、軍事力増強で目的達成に邁進する中国を牽制するために、価値観を同じくする諸国、中でも同盟国と連携して中国の覇権指向に対処する方針を打ち出した。
 早速、日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)が対面形式で開かれ、共同声明で日本は「国家の防衛を強固なものとし、日米同盟をさらに強化するために能力を向上させることを決意した」と明記した。
 2020年末に令和3年度の防衛予算案が公表されたとき、各紙は「7年連続・過去最高の防衛予算」と書いたが、間もなく正式に決まる。
 その時はより大きなゴシック字体で類似の文句が紙面を飾るに違いない。それを見る国民の中には自衛隊が戦争準備をしていると思う人がいるかもしれない。
 計上された防衛予算で、本当に「国家の防衛を強固なもの」にすると言えるのだろうか。
 また、「日米同盟をさらに強化するために能力を向上させる」という決意は、しばしば米国の要求として語られる「応分の負担」に応えるのだろうか。また、米国がNATO(北大西洋条約機構)に要求しているものと同水準のものだろうか。
草笛光子さんの憤り
『週刊文春』(2021.3.11号)に女優の草笛光子さんが書いたエッセー「きれいに生きましょうね」を読んで、「感激した」という感想と共にコピーを友人が送ってきた。
 エッセーは令和元年に来日したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が戦争の恐ろしさ、愚かさを訴えるために持ち込んだ「焼き場に立つ少年」という写真をみながら綴られている。
 この写真を多くの人は見たことがあるに違いないが、参考までに申し添えると、小学校中学年くらいの坊主頭で汚れた裸足の少年が、歯を食いしばって頭を後ろに垂れた死んだ弟を背負い火葬の順番を待つ姿である。
 戦時中の疎開先で5歳の妹を亡くした草笛さんは、件の写真を前に「ローマ教皇がこの写真で、戦争や原爆の怖さを世界へ知らしめようとしているのに、日本は何をやっているんでしょう。それが恥ずかしくて私は憤っているんです」という。
 続けて「日本を守っているつもりになっている方々は、あの少年の写真を見て、絶対に戦争をしないと念じて欲しいと思います。私たちが涙を流すだけでは、どうにもなりませんもの。もしも日本が戦争のほうへ向かいそうになったら、あの写真を持って行って見せればいい。それで気付かないようなら、国を守る立場をやめていただきたい」と書いている。
 この部分に友人は赤線を引いていた。
自衛隊は戦争抑止のため存在する
 現在の日本の法体系で、国を守るかどうかを決めるのは政治であり、政治家を選んだ国民である。
 その国民の負託を担い、政治の決定に基づいて行動するのが自衛隊である。この過程はシビリアン・コントロール(文民統制)と呼ばれる。
 このことからは「日本を守っているつもりになっている方々」というのは正確には首相や防衛大臣を含む政治指導者を指しているとみるべきであろうが、実際はシビリアン・コントロールを知らない国民も多い。
 また、「日本を守る」という場合は政治家というよりも、より直截に「自衛隊」を想定される人が多い。
 草笛さんがどちらを意識して書かれたかは判然としないが、以下では自衛隊を前提に考えることにする。
 最初の文節、「日本を守っているつもりになっている方々は・・・絶対に戦争をしないと念じて欲しい」とあるが、筆者が自衛隊にいたときも、それから4半世紀経つ最新の防衛白書をみてもこの姿勢は変わっていない。
 そもそも、国家の根本規範である憲法で戦争を禁止している。それを自衛隊が逸脱するはずがないし、日本は戦争しない理念で一貫している。
 次の文節は「もしも日本が戦争のほうへ向かいそうになったら、(中略)国を守る立場をやめていただきたい」となっている。
 先述のように、日本は自ら戦争を仕掛けることはないが、外国が攻めてきた場合には領域(領土・領海・領空)を守るために立ち向かわなければならない。そのための自衛隊である。
 国際社会が国家の集合体である今日においては、領土などの国家主権は絶対的なものであり、戦ってでも守ることを是としている。
 当然、領域に居住する国民の生命や財産を保全する結果に結びつく。このことを日本では「専守防衛」と言い慣わしている。
 以上から、「(相手に仕掛けられて)戦争のほうに向かいそうになったら」、草笛さんの期待に反して「国を守る立場をやめる」わけにはいかない。
 しかし、相手に戦争を起こさせない手立てがある。それは相手に侵略しようというよからぬ考えを起こさせないことである。
 そこで、万一侵略などを起こしたら、甚大な被害を与えるぞという「意志と能力」を普段から準備し、見せつけることである。
 ある程度お金がかかるが、戦争になって国土が蹂躙され、国民が塗炭の苦しみを味わうよりはましである。
 先進諸国においてはおおむねGNP(国民総生産)の約2%を軍事費に充当しており、国民約500人に1人の陸軍規模で、加えて現役を上回る予備兵力を準備している。
 一方、日本の場合はほとんどの年度で対GNP比は1%以下であり、国民対陸上自衛官比は約900対1、予備自衛官は現役の約5分の1で、抑止力としてさえ少なすぎる現実である。
誤解生む「7年連続・過去最高」報道
 中国の2021年の軍事費は約22兆6200億円(1兆3553億元)で、前年より1兆4500億円(約873億元)の増加は6.8%伸び率である。
 対する日本の令和3年度の防衛費(予算案)は5兆1235億円(駐留米軍関係費を含めると2187億円増)で、伸び率は0.5%である。
 単純に見ても今年の中国の軍事予算は日本の防衛費の4.4倍であり、しかも伸び率に至っては13倍超で差は拡大の一途である。
 新聞が決まり文句で報道する「〇年連続」「過去最高」は間違いではないが、国民にはいかにも日本が軍事大国へ向かっている誤解を与えかねない。草笛さんの憤りもこうした誤解に発しているのではないだろうか。
 抑止力は相対的な力のバランスで機能するわけで、差が拡大しすぎると機能しなくなる。
 機能しているか否かは、相手の行動、例えば領空侵犯などに対するスクランブルの回数や尖閣諸島の領海侵入の増え具合などによって判定することができる。
 そうした兆候のここ数年の増加ぶりからは、日本の抑止力が効かなくなりつつあるともいえる。海警法の制定で危機が増大したという見方が強い。
 今年度の防衛予算案は昨年暮れに査定され、中国の今次の全人代を反映したわけではないが、先の2+2を受けて声明したように、「国家の防衛を強固なものとし、日米同盟をさらに強化するために能力を向上させる」決意と読み取れるであろうか。
 防衛予算の僅かな増加を「過去最高」などと称して安穏としておれないわけで、本来は「これでいいのか防衛費」とか、「微増で抑止力さらに低下」などの書き方(キャッチフレーズ)で国民に警報を発する必要がある。
戦時予算と称される規模は?
 ちなみに、日本が日清戦争や日露戦争、さらには大東亜戦争に突入したときの国家予算に占める軍事費は70~80%台で、開戦に至るまでの何十年にもわたって毎年20~40%を充当して軍事力の整備を行い、相手国に急追している。
 戦争を実行するにはこれくらいの軍事予算が必要であるが、今の自衛隊に充当されている防衛予算は一般会計(106兆6009億円)の4%弱でしかない。
 他方、中国の予算では兵器の研究開発などは他の科目とされ、自衛隊や米軍流の予算計上では中国の軍事関係予算はさらに50%以上の積み増しになるともいわれる。
 その分だけでも10兆円超で、総計では日本の防衛予算の6倍以上で、急追どころの話ではない。
 中国の軍事力増強は異常であり、2021年は国家予算が前年度より少なく計上されているが、国防費は増大で正しく戦時に必要な予算に類似しており、香港や台湾を軍事力で取り込み、日本の抑止力を崩壊させる意図としか思えない。
 筆者は、医療崩壊の危機が騒がれるのを奇貨として、目に見えなない形であるが「国防崩壊」はすでに起きていると訴えてきた。
 国防崩壊は医療崩壊の危機のように普段は国民に見えない。国民に見える時は、勝敗が決したときで、それでは遅きに失する。
国防に関心を持つ女性が増えてきた
 自衛隊の勤務環境は男の世界であったが、今では女性自衛官も増えてきた。しかも一般隊員はおろか指揮官も増え、かつては絶対にあり得なかった戦闘機パイロットやイージス艦の艦長もいる。
「週刊文春」(2021.2.11~)はこうした女性自衛官を「日本を護る女たち」として連載している。
 他方で、自衛隊の世界をルポルタージュして、国民に訴えようとする女性のルポ・ライターや作家も出てきた。
 女性の目で捉え、書かれるために筆致は柔らかく、国民にも親近感を持って読まれる。
 そうした一人に「自衛官の待遇改善を進める自衛官守る会」の代表小笠原理恵氏がいる。
 氏は隊員の隊内生活の必需品であるトイレットペーパーさえ自衛隊では不足している現実を指摘して、国会に請願をして自衛官の待遇改善に努力をしている。
 防衛大綱、自民党の平成31年度活動方針にも自衛官の待遇改善の文言が入ったほどである。
 また、「無料」と言われてきた食費などが実は天引きされているカラクリ(実は財務省の姑息)や自衛官の給料体系なども検証し、『自衛隊員は「基地」のトイレットペーパーを「自腹」で買う』で暴露している。
 桜林美沙*1氏は自衛隊が使う兵器や装備品を製造している企業を取材し、『誰も語らなかった防衛産業』を上梓した。
 これによると、防衛産業には町工場なども含め多くの企業が関わり、しかも、そうした小さな企業から宇宙衛星などにもつながる素晴らしい技術が生み出されていることなどを明らかにした。
 災害派遣等を通じて自衛隊と国民の間合いが縮まり、国民にも親近感がもたれるようになってきたと同時に、女性ジャーナリストのたちの活躍も自衛隊と国民を近づける力になっている。
*1=編集部注:JBpressで2012~2013年に連載あり。(一例は「自衛隊の活動を支えていた防衛関連企業の見えない『やり繰り』https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36888」)
「国防崩壊」を言い続ける理由
 戦車は千社だと冗談がてらに言われ、桜林氏の著書にもあるが、戦車製造には1300社くらいが関係している。
 戦闘機にはさらに多く、護衛艦に至っては国内の約8300社が関わりすそ野が広く、兵器・装備の自国生産は国内産業の活性化にもつながる。
 しかし、残念ながら、自衛隊が憲法違反などと批判されるために、防衛関係産業が「武器商人」などと悪い印象で告げ口されることを嫌い撤退する企業も出て外国から調達せざるを得ない状況になりつつあり、全調達額に占める2011年度の海外調達額は7.4%でしかなかったが、2019年度は27.8%まで上昇している。
 海外調達品にはホークやペトリオット・ミサイル、「F-35」戦闘機などに組み込まれている最重要部品が含まれ、ブラックボックスとなっているものも多い。
 自国では製造できないし、事故時の調査もできない。肝心な兵器の部品供給が外国に握られているわけで、国際情勢次第では必要な時に部品の入手ができず、兵器として機能しない危険性がある。
 また、災害派遣などの頻出で、訓練が阻害されることになる。隊員は休暇も消化できず、各省庁比較では最悪となっている。
 国民や市町村などの理解が得られず隊員募集も困難を極め、隊員の充足が十分でなく現役隊員に過重な負担がかかっている。
 生活必需品が逼迫する状況からも想像できるように、兵器調達や部隊編成、さらには訓練などにも大きな欠落が生じている。
 こうした欠落を埋める予算要求を行うが、認められなくても現役隊員は不平不満も言わずに日々の教育訓練に精励している。
 例えば、4個連隊編制の師団で1個連隊は司令部機能だけを残して実隊員がいない、4~6個中隊からなる連隊は1~2個中隊を欠くなどである。
 コンパクト化や効率化などの表現で美化されるが、実情は募集難で隊員不足が編み出した苦肉の策でしかない。
 ホーク部隊は米国での毎年の訓練射撃が必須であった。
 しかし、地対艦ミサイルが導入されると従来のホーク予算から対艦ミサイル訓練に充当することになり、結果的にホークの年次射撃が半減した。場合によっては実射経験のないホーク部隊の中隊長さえでるわけである。
 セットで機能する兵器も初年度は半セット導入という具合である。当然のことながら、全体がそろい、十分な訓練ができるまでは機能しない。
 いうなれば今の自衛隊では、「形」は整っても「容(中身)」が十分でない形容不一致も甚だしいのだ。
迷彩服を自前で準備する?
 過日、小池百合子東京都知事が政府に圧力をかけるために、1都3県の知事が緊急事態宣言の延長を纏まって要請しているように繕ったことが暴露された。政府に圧力をかける力を持っている小池という「映え」を見せようとしたわけである。
 筆者は同様な状況を自衛隊で勤務していた折に経験した。自衛隊は階級組織で、隊務に関しては命令・服従で動く。
 しかし、上昇志向の強い上司は「我々はプロだ。プロならば投資を惜しむべきではない」を口癖に、隊務以外のことでも次々に無理難題を持ち出して要求してきた。
 その一つに迷彩服問題があった。
 自衛隊に迷彩服が導入され始めたころ、支給は戦闘部隊優先で筆者が所属した後方・兵站部隊は後回しになっていた。
 しかし、利に聡い商売人はさっそく模造品を売り出していた。それに目を付けた上司はプロだから迷彩服を自費で購入しようと提案してきたのだ。
 自衛隊では迷彩服という訓練衣服さえ、一度には準備できないほど予算がなかったわけである。
 しかし本来支給されるべき迷彩服を私費で準備せよとはそもそも言語道断であるし、高価で家庭生活にも影響を及ぼす。
 百数十人の隊員を預かる中隊長は部下のことも考えて反対した。しかし、服装の統一(すなわち見映え)などを統率力の「映え」とみていた上司は、何としても準備させたいと強い思いを抱いていた。
 そこで行うのが判断力も鈍っている深夜の電話作戦であった。上司は各中隊長に「(もっとも反対する)A中隊長も賛成してくれた」と嘘の電話で説得する。ほとんどの中隊長は「Aが賛成ならば」と良い感触を示すと、今度はA中隊長に「他の中隊長たちは賛成してくれた」と迫るわけである。
 迷彩服のほかにも、課外のスポーツシャツを統一しよう、加入する生命保険会社を1社に絞ろうなど、隊務とは関係のない〝余計なお世話″のオンパレードであった。
 訓練などによる精強化で部隊の評価を高めるのではなく、訓練外のところで自己(上司)を「映え」させ「自己の評価」につなげたい一心であったのだ。
おわりに
 自衛隊員は弱音を吐くことはない。どんな状況でも与えられた環境で歯を食いしばって任務を完遂しようと努力する。
 こうしたことをいいことに、国会では安全保障についての真剣な議論が行われてこなかった。
 政府与党が安全保障や緊急事態条項、あるいは最小限の憲法での自衛隊認知を論戦しようとしても、野党は戦争法案などと称して「論戦」自体を入り口で阻止してきた。
 しかし、兵器が足りない、訓練が十分できない、民間企業や大学等の協力が得られない、生活環境が悪いなどなど、予算不足や国民の理解不足などからくる困難が幾重にも積み重なっている現実がようやく国民の前に明かされつつある。
 元来、命を犠牲にする軍人のための叙勲制度も、戦後においては自衛官よりも民間人優遇で倒錯している。
 自衛隊は平時においては抑止力として機能している。しかし万一、侵略されて自衛戦争をしなければならない状況に追い込まれたら、たとえ持てる力を十二分に発揮しても、いろんなものが不足し十分な対応ができないということだけは国民に認識しておいてもらわなければならない。
 この「不十分な状態」を、筆者は「国防崩壊(の危機)」と称して警報を鳴らし続けてきた。
 自衛隊は予算を要求し、配分された分で最善を尽くすだけである。そして普段は「抑止力」として相手に日本を攻撃することを思いとどまらせる最善の努力をしている。
 しかし、現実は直視しなければならない。
「過去最高」などに惑わされることなく、すべては国会で真摯な論戦を行い、国民に自衛隊の現実を正しく認識もらうことから始まる。