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「小池百合子さんはカイロ大学を首席卒業していません」元同居女性が証言《この記事が全ての発端だった!》

 ノンフィクション作家・石井妙子氏の『 女帝 小池百合子 』が大きな話題となっている。小池百合子東京都知事の“知られざる経歴”を暴いた同書の発行部数はすでに15万部を突破。その内容を受け、カイロ大学が小池都知事の卒業に関して声明を出すなど社会的事象となっている。
 同書の基になっているのは、石井氏が「文藝春秋」2018年7月号に寄稿した「小池百合子『虚飾の履歴書』」という記事だ。かつて、小池都知事とエジプトのカイロで同居していたという女性が、40年余の沈黙を破り、「小池さんはカイロ大学を首席で卒業していない」と証言したのである。今回、すべての発端となったオンライン記事を再公開する。(初公開:2018年6月8日)
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〈私は小池百合子さんとカイロで、同居しておりました者です。カイロ大学を卒業、しかも首席で、という肩書を掲げて小池さんは今日の栄光を勝ち得ましたが、彼女は実際にはカイロ大学を卒業していません〉
 今年1月、ノンフィクション作家の石井妙子氏宛てに一通の手紙が届いた。差出人は早川玲子さん(仮名)。小池百合子都知事がエジプトの首都カイロに留学していた時期に同居していた女性である。


 これまで早川さんはマスコミの取材を受けたことは一度もなく、40年以上も沈黙を守り抜いてきた。だが、早川さんは石井氏が「文藝春秋」2018年1月号に寄稿した「女たちが見た小池百合子『失敗の本質』」を読み、真実を話すことを決意したという。
 早川さんからの手紙にははっきりと、「彼女は実際にはカイロ大学を卒業していません」と書かれていた。
 小池氏がこれまで自著で記してきたカイロ時代の経歴は、主に、次のようなものだ。
「1971年秋にカイロ・アメリカン大学に入学してアラビア語を学ぶ。翌1972年10月、カイロ大学文学部社会学科に入学し、1976年10月、日本人女性として初めて、しかも首席で卒業」(『振り袖、ピラミッドを登る』1982年、講談社など)
 しかし小池氏の説明には矛盾も多い。例えば上記の『振り袖、ピラミッドを登る』には、「(カイロ大学を)一年目は落第し」と書いている。もしも1年、留年したのであれば、卒業は1977年でなければ、話が合わないはずだが、彼女は「1976年に卒業」とはっきり書いている。またアラビア語は非常に難解な言語で知られ、日本人で最初にカイロ大学を卒業した小笠原良治・大東文化大学名誉教授でさえ卒業までに7年もかかっている。4年で、しかも日本人の首席卒業はほとんど奇跡に近いという。
 それゆえ、これまでもたびたび、この「カイロ大学首席卒業」については、疑惑の目が向けられてきた。しかしそのたびに小池氏は、「卒業証書もある」と語ってきた。そして選挙公報にも「カイロ大学卒」と記している。
 真実は一体、どこにあるのか。
 石井氏は早川さんへのインタビューを重ね、彼女が保管していた膨大な量の手紙や手帖を検証し、それと同時に、当時の小池氏を知る関係者らへの取材を数カ月にもわたり続けてきた。カイロでは彼女たちが当時住んでいたマンションも訪ねた。
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 知られざる小池氏のカイロ時代の姿と「カイロ大学首席卒業」の謎は、発売中の『 女帝 小池百合子 』に詳述されている。
 また今回、石井氏は同書の“続編”ともいえる記事を「文藝春秋」7月号に寄稿した。2018年に希望の党が消滅した後、沈黙を貫き通していた小池氏は、なぜ今回のコロナ禍で不死鳥の如くよみがえったのか。感染が拡大する中、彼女が最優先に考えていたのは、コロナ対策でも都民の安全でもなかった。復活劇の裏で小池氏がとっていた行動とは――。
 その全貌は「文藝春秋」7月号及び「文藝春秋digital」に掲載の「 女帝・小池百合子が豹変するとき 」で詳述されている。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋)