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安倍総理の志は死なない!!

李登輝氏、強い指導力で民主化実現=「元日本人」の哲人政治家

時事通信 提供 台湾初の総統直接選挙で勝利し支持者に手を振って応える李登輝総統(当時)=1996年3月、台北(AFP時事)
 台湾の李登輝元総統は戦後、中国大陸から渡って来た蒋介石元総統が築いた国民党による一党独裁体制を解体し、強力なリーダーシップで自らが生まれ育った台湾を民主化へと導いた。世界に胸を張れる民主主義を根付かせ一時代を築いた。
 李氏は日本統治下の1923年に生まれた。父親が警察官の比較的裕福な家庭に育ち、旧制台北高校、京都帝国大学と当時の台湾人としては一握りのエリートコースを歩んだ。
 旧制高校時代は西田幾多郎、和辻哲郎らの哲学書を愛読。京都帝大では共産主義に傾倒し「資本論」を繰り返し読んだという。「人間はいかに生きるべきか」と自問し続けた青年期の思想遍歴は、後に哲人政治家と呼ばれる李氏の知的バックボーンを形成した。李氏は当時、「岩里政男」と名乗っていた。


 43年に学徒出陣で陸軍に入隊した李氏は、少尉として日本で終戦を迎えた。神奈川県の浦賀港から引き揚げ船に乗り、46年に「中華民国」へと生まれ変わった故郷の台湾に戻った。20代前半までの多感な時期を日本人として生きた李氏にとって日本は「第二の祖国」となった。
 国民党政権が本省人を武力弾圧した「2・28事件」は帰郷の翌年に発生した。官憲による白色テロが吹き荒れる中、日本帰りの知識人である李氏もマークされ、いつ連行されてもおかしくない状況に置かれた。当時の緊迫した日々を「枕を高くして寝たことがなかった」と振り返った。
 戦前、戦後の若き日の経験が、李氏のその後の人生を左右したことは間違いない。日本時代の教育については「私の人生に一番影響を与えた」と語っている。白色テロの恐怖体験は民主化を目指す原点となった。民主化の集大成といえる総統直接選挙は帰郷から半世紀後の96年に実現した。
 作家の司馬遼太郎氏との対談で、李氏は日本に続き、中国大陸から渡ってきた蒋介石氏ら外省人の統治を受けた同胞の運命を「台湾人に生まれた悲哀」と表現した。台湾に住む人々が台湾人としてのアイデンティティーを確立する必要性を説き、中国史ではなく、台湾に特化した歴史教科書「認識台湾」の編さんを指示した。
 一方、中国に対しては硬軟取り交ぜた現実的な対応に徹した。91年に中国との内戦状態の終結を宣言、93年にシンガポールで双方の窓口機関のトップ会談を実現させたが、99年には台湾と中国を「特殊な国と国との関係」とする「二国論」を打ち出した。「一つの中国」を原則とする中国はこれに激怒し、李氏は「台湾独立分子」のレッテルを貼られた。
 晩年は、台湾各地に自ら足を運び、講演などを通して地方分権や住民参加を推進する「第二次民主改革」を提唱した。心臓病や糖尿病、がんなどの病気を押しての行脚だったが、台湾という故郷と、そこに住む人々に寄せる深い愛情がなせる業だった。