Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

 マイケル・サンデルの 「能力主義」批判と大統領選挙

 From 施 光恒(せ・てるひさ)
    @九州大学



こんにちは~(^_^)/(遅くなりますた…)


米国の大統領選挙、まだ結果が出ず、揉めていますね。長引きそうです。


前回、私はこのメルマガで、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏の論説を引きつつ、「トランプ再選を望むトッドの議論に共感」という記事を書きました。
https://38news.jp/politics/16939


ごく簡潔に言えば、トッド氏の議論は次のようなものでした。


***
現在の民主党は、労働者の味方だったかつての伝統的性格を失った結果、大都市に住むリベラルな価値観を持つ高学歴エリート層を中心的な支持基盤とする政党になっている。


これらの人々は、「自由貿易」の理念に固執し、新自由主義に基づくグローバル化路線を押し進めてきた。高学歴エリート層は、この路線のせいで拡大した経済的格差を直視せず、庶民層、貧困層の生活の苦しさを顧みない。


庶民層、貧困層の状態を改善し、米国社会の経済的・イデオロギー的分断を解消するには、高学歴エリート層、および彼らが主な支持層の民主党の側に「意識変革」が必要であり、それを促すためにもトランプを再選させた方がいい。
***


前回はこのようなトッドの論説に触れたのですが、今回も、米大統領選挙に関する欧米の識者の記事(インタビュー記事)に言及したいと思います。


米国の政治哲学者マイケル・サンデル氏の「バイデンが大統領選で勝っても、根本的な問題は消えない」(『クーリエ・ジャポン』2020年11月1日付)という記事です。
https://courrier.jp/news/archives/217431/
(有料記事なので、概要を私なりに紹介しながら書きます。)


サンデル氏は日本でもよく知られた人ですね。10年ほど前にNHKで放映された「ハーバード白熱教室」で有名になったハーバード大学の政治哲学の教授です。


サンデル氏の政治的立場は、米国の大半の知識人がそうであるようにリベラル派(左派)で民主党寄りですが、トッド氏と同様、この記事では民主党の主な支持基盤である高学歴エリート層を批判しています。


サンデル氏は、トッド氏と異なり、大統領選でバイデン候補を支持していますが、バイデンが大統領になったとしても、民主党、並びにその中心的支持層である高学歴エリート層が大きく変わらなければならないと論じます。


サンデル氏は、現在の米国の政治状況を次のように見ます。


***
ここ数十年、リベラル派の政治家などのエリート層は、グローバル化に対応するために「能力主義」(成績主義、メリトクラシー)の文化を持ち上げた。つまり、高学歴のエリート層の立場がますます強くなる社会や文化を作り上げてしまった。


その結果、労働者層、庶民層は当然ながら反発し、大きな社会的分断が生じることになった。本来であれば、民主党のような中道左派政党こそ、労働者層、庶民層の声に耳を傾け、社会の公正さを取り戻すよう努めるべきだったが、民主党はそうしなかった。


かつての民主党は、労働者層や庶民層の政党だったが、1970~80年代ごろから変わり始め、1990年代のビル・クリントンの時代には、新自由主義的なグローバル化や金融の規制緩和を推し進めるようになった。経済的格差を気にかけず、高学歴の官僚やビジネスエリートの価値観に自分たちを合わせていき、労働者の支持を失った。


いまでは、高学歴者が民主党に投票し、低学歴者がトランプに投票するようになった。「高学歴エリート層 対 労働者層・庶民層」という分断が生じている。教育が米国政治を分断する最大の要因になっている。
***


以上のように、トッド氏と同様、サンデル氏も、左派政党でありながら労働者層、庶民層を切り捨てた民主党の変質を批判します。


そのうえで、現在の高学歴エリート層が、ますます広げようとしている「能力主義」の文化事態を変えなければならないと言うのです。


サンデル氏によれば、高学歴エリート層は、自分が手にした成功や恵まれた地位は、自分が努力し、独力で獲得したものだと考える傾向が強い。しかし、実際は、「自分が育った地域社会、お世話になった教師、祖国、人生の巡り合わせ」など、「運」による部分もあったのではないかと問い直すべきだとサンデル氏は述べます。


つまり、今のエリートは傲慢で、謙虚な心が欠けており、けしからん。そこから改めるべきだというのです。


確かにそうでしょう。米国でも日本でも同様ですが、例えば、ハーバード大学や東大などの高学歴エリートは経済的に恵まれ、教育熱心な両親のいる家庭に育った者が圧倒的に多いのです。


このことから見ても、彼らの現在の恵まれた地位や収入は、自分たちの努力で得たものではなく、サンデル氏が指摘するように、「運」というか巡り合わせによるところが大きいわけです。


サンデル氏は政治学者らしく、「謙虚なエリート」を育むために「民主主義国の市民が分かち合う公共空間」が必要だと述べます。


生活インフラを作り直し、階級が異なる人や生活条件が異なる人と出会えるようにする必要があるというのです。サンデル氏は次のように語ります。「民主主義国にふさわしい暮らしに必要な市民のインフラを作り直し、階級が異なる人や生活条件が異なる人と出会えるようにするのです。市民社会を刷新して、活性化させていくのです」。


より具体的に言えば、公立の学校を充実させ、様々な社会階層の子が一緒に学び合える環境を作るなどの方策でしょう。


サンデル氏のこうした議論、まあ、もっともだと思います。


ただ、物足りなさも感じます。


もっと踏み込んで、新自由主義に基づくグローバル化の進んだ社会では、高学歴エリート層などの「勝ち組」が、自分たちの都合のいいように、経済政策を策定したり、貿易協定や知的財産権、企業統治などの市場経済のあり方自体を改造したりしてきたことの不公正さも正面から批判すべきです。


その点では、前回取り上げたトッドの論説のほうが適切な批判を提示していました。公が塢学歴エリート層は、「自由貿易」という大義名分を隠れ蓑にしつつ、実際のところ、彼らに都合のいい社会を作ってきたことを明確に指摘しました。


報道によれば、現時点では、民主党が選挙戦を制し、結局、バイデンが次期大統領になる見込みが高そうです。そうなった場合、サンデル氏が期待するように、バイデン民主党政権の下で米国民の分断が解消されるのでしょうか。


私はあまり期待できないと思います。米国のマスコミの報道を見る限り、米国のジャーナリズムは相変わらず、トランプ支持層を馬鹿にしまくっています。「謙虚なエリート」など、なかなか生まれそうもありません。


米国では、ますます学歴による分断や、「大都市 対 地方」の分断などが進むのではないでしょうか。そして、その分断に乗じて、新自由主義に基づくグローバル化路線もさらに続くのではないでしょうか。


歪んだ能力主義(学歴主義)の跋扈や国民の分断という米国の現状をみると、かつての日本、つまり終戦から90年代半ばぐらいまでの日本は結構よかったのではないかと感じます。


確かに、その頃の日本でも「学歴社会」だとか「受験戦争」だとかいろいろと言われていました。ですが、大卒者でも、大学を出ていない人でも、まじめにこつこつ努力する者であれば、「一億総中流」と言われたように中流の生活ができた人が多かったのです。また、都市と地方の格差も、諸外国に比べれば、非常に小さかったと言えます。


米国に比べればかなりましですが、近年の日本でも、中間層の生活の不安定化など、新自由主義に基づくグローバル化の弊害が多々出てきています。ですが日本は、現在の状態を改めようとする際に、わりと身近な時代に、参考になる例を見出すことができる点で恵まれています。


「エリートの傲慢さ」という点でも、日本には「恩」の考え方がいまでもわりと根強く行き渡っているため、米国ほど深刻な問題にはなりにくそうです。つまり、「おかげさま」という考え方がいまでも比較的自然に人々に受け入れられるため、米国に比べてだいぶましではないでしょうか。サンデル氏も、日本の「恩」の考え方を知れば、参考にするのではないかと思います。


(「恩」という考え方の可能性については以下をご覧ください)。
施 光恒「防災と「恩」の思想」(『表現者クライテリオン・メールマガジン』2019年1月20日配信)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190120/


施「『ポスト・グローバル人材』の時代」(『表現者クライテリオン・メールマガジン』2018年12月7日付配信)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20181207/


バイデンが勝利すれば、エリート層は反省などせず、新自由主義に基づくグローバル化の時代は、残念ながら、まだ結構長く続きそうです。


日本はやはり、米国にあまり期待せず、日本なりに新自由主義的グローバル化の不公正さをしっかりと見つめ、多くの人の共通認識とし、まっとうな社会を自力で取り戻すように努めるしかないようです。


長々と失礼しますた…
<(_ _)>