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安倍総理の志は死なない!!

「武漢日記」が刻む「ちゃんと怒る」行為の重み

「しつこく覚えておく」ことがいちばん重要だ
武田 砂鉄 : フリーライター / 飯塚 容 : 中国文学者、翻訳家
2020年11月11日


今年1月から4月まで実施された中国・武漢の都市封鎖は世界に大きな衝撃を与えた(写真:Featurechin/アフロ)
いまだ世界で猛威をふるうコロナ禍を最初に体験した中国・武漢から、女性作家・方方(ファンファン)が発信し続けた60日間の記録『武漢日記』は、日本でも発売以降、大きな反響を呼んでいます。
『武漢日記』の訳者の1人である飯塚容さんと、著者のストロングスタイルにたくましさを感じた、と言うライターの武田砂鉄さんが、コロナ禍における政府の対応や日本人の災厄への向き合い方、いま多くの日記文学が生まれている理由まで、縦横無尽に語り合いました。「武漢を蔑む日本人は『中国人の本質』を知らない」(2020年11月10日配信)に続く後編をお届けします。
愛国心が「愛国心」に叩かれる
武田砂鉄(以下、武田):この本を読むと、「愛国心」という軸足を感じます。この国をどうしたらいいのか、どういうことを考えていけばいいのか、そして、誰に対して異議申し立てすればよいのか。国のことを愛しているがゆえに問題視する姿勢が、カギカッコつきの強固な「愛国心」に叩かれるというのは、日本でも、アメリカでも、そして中国でも、世界で共通することなんですね。
飯塚容(以下、飯塚):そういう世の中になってしまっていますね。SNSが発達したおかげで、方方さんはこうやって発信することができて、日本にいるわれわれもリアルタイムで読めたわけです。それはすばらしいことなんですが、逆に批判する人たちもたくさん出てきて、どんどん叩かれて、集中攻撃に遭う。これは痛し痒しというか、裏腹のことなんでしょうね。
武田:3月10日の日記に、方方さんが雑誌『騒客文芸』からのインタビューにメールで回答したものが転載されています。その中でインタビュアーが、メディアを信じるよりも、方方さんの日記に注目したほうがいい、などと言いながら、方方さんを機嫌よくするような質問をすると、方方さんは「メディアを信用しないというのも、あまりに偏った考え方ではないでしょうか」と返しています。
方方さんはさまざまな言説を読み解いているのでしょうが、おべんちゃらしかやらないジャーナリストもたくさんいるのでしょう。国民のメディアとの付き合い方は千差万別なのでしょうが、どのように付き合っている人が多いんでしょうか?
飯塚:政府系の巨大メディアがたくさんあります。方方さんは、別の日の「日記」では激しいメディア批判をしています。そういうメディアは「プラスのエネルギー」の情報しか流さないわけで、そうした点を強く批判しているんです。
一方、中国のメディアでも独立系というのか、反政府とまではいかなくても、いろいろな声を拾ってくれるメディアもありますから、中国社会で生きるには、そういうところを選びながら発信していくことが必要だと思います。
「女性」であることを理由に叩く日本
武田:今、日本で関連書籍が数多く翻訳されているように、韓国では、フェミニズムの流れがあり、それらに通底するのは、既存の家族観・男女格差への疑い、そして反権力の姿勢です。同じように日本でも問い直す流れが起きている。方方さんは女性の書き手ですが、中国の言論の世界で、女性の立ち位置、声の届き方というのはこの5年、10年で変わってきているのでしょうか?


飯塚容(いいづか ゆとり)/1954年、北海道生まれ。中央大学文学部教授。訳書に、高行健『霊山』『ある男の聖書』『母』(いずれも集英社)、閻連科『父を想う』、余華『ほんとうの中国の話をしよう』『中国では書けない中国の話』『死者たちの七日間』(いずれも河出書房新社)、鉄凝『大浴女』(中央公論新社)、蘇童『河・岸』、畢飛宇『ブラインド・マッサージ』(いずれも白水社)など
飯塚:この5年、10年ではなく、もっとずっと前から作家に占める女性の割合、その活躍の度合いというのは、中国ではものすごく大きいですね。作家に限らず、いろいろな職業、役人も含めてですが、女性が重要ポストについている比率はかなり高いと思います。最高指導部にはなかなかいないですが、ある程度のところの管理職のトップが女性であることは少なくありません。
だから中国では男女平等が実現してるかというと決してそうではないですが、日本に比べたら、女性の占める比率は高いだろうと思います。日本でも作家は女性が優位で、芥川賞の候補が全員女性ということも最近ありました。その他の分野では、女性の活躍がまだまだ少ないですが。
武田:先日、『TIME』誌が発表した「世界で最も影響力のある100人」に、日本からは大坂なおみさんと伊藤詩織さんが選ばれました。それに対して、女性であること、若いということに起因する文句を言う人が少なからずいた。まったく情けないことです。韓国のフェミニズムの流れは、「女がものを言うな」という日本にも似た社会構造への反動として出てきたわけですが、中国では、女性であることに対するバッシング、女性がものを言うことに対する寛容さが昔からあったんでしょうか。
飯塚:今回について言えば、方方さんが女性だから攻撃されたということはまったくないと思います。
武田:まったくない?
飯塚:ええ、女のくせに生意気だというような発想はあまりないと思います。男の作家が同じように発信していれば、同じように叩かれたんじゃないでしょうか。
武田:日本であれば、「女性」であることが持ち出されて叩かれたと思います。今年、ツイッターのハッシュタグで広がった「#検察庁法改正案に抗議します」でも、日本の若い女性アーティストがそれを発信すると、中年の政治評論家が「歌手やってて、知らないかもしれないけど……」などとマウンティングをした、なんてことがありました。まったくない、とは驚きです。
飯塚:それが当たり前のことなんでしょうね。


武田砂鉄(たけだ さてつ)/フリーライター。1982年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年からフリーに。『cakes』『文學界』『VERY』『暮しの手帖』などで連載を持つ。2015年、『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。ほかの著書に『芸能人寛容論』『コンプレックス文化論』『わかりやすさの罪』などがある。Twitter:@takedasatetsu
武田:この本って、書店店頭に数多く置かれている嫌中本を手にしている人も買っているのではないかと思います。どうせとんでもないことが起きたんだろ、という先入観を充足したい気持ちで。でも、読むと、出鼻をくじかれますね。上げた拳をどこに向ければいいんだ、という感じになる可能性はなきにしもあらずですね。
飯塚:そうした嫌中本のひとつとして受け止められることも覚悟はしていました。ただ、実際はそういう内容ではありませんよね。私は大学で中国の作品や資料を学生たちに読んでもらって、感想を聞くことが多いんですが、そのなかで、「中国って本当にひどい国なんですね、私は日本に生まれて本当によかった」といった反応がくると本当にがっかりします。
中国でも日本と同じ感覚で人が生きている
日本でも中国でも人が生きている以上、そこには悲しいこともあれば楽しいこともある、同じ感覚で生きている、そこをちゃんと見てもらいたい。また、中国で起こっていることは日本でも起こりうる、すでに起こっているかもしれないということを常に頭の片隅においてほしいですね。対岸の火事を見るように、自分は高みにたって、安心できれいで幸せな暮らしをしている、というふうに考えないでほしい、と強く思います。この本についても、やはり同じことを望んでいます。
武田:よし悪しありますが、中国は、対応するとなったら国が一丸となって動く。日本では、例えば、新型コロナウイルス接触確認アプリを作ってはみたものの、皆がアプリを入れてくれるわけではない。明らかなる第2波のときに、政府の中枢に「第2波ですか?」と聞いても、「いやぁ、第2波とは言えない」と言い、これだけ長引くと飲食店もやっていけないと申し出ても、「いやぁ、でもこないだ助成金・補助金は出したし」と、とにかくすべてがあいまいです。強大な力を求めているわけではないですが、まずは政府が方針を出せよ、と感じることが多々ありました。
そのうえで、私たちは従うか、異議を唱えるか、自ら選んで声を発することができるのだけど、常に曖昧なことをやられるから、異議を申し立てるのではなく、中途半端に受け入れてしまう。それこそが狙いなのでしょうが、突っ込みにくい。この本を読んだうえで、中国社会に親しみを覚えることはしないですが、方方さんの、あからさまな権力に突っ込んでいくというストロングスタイル、この言論の在り方というのはたくましいですね。
飯塚:中国のおかしなところはおかしいと言わなきゃいけないんですが、一方で参考になるところもたくさんあります。例えば、われわれはコロナ禍の中で、これからどうしていったらいいのか。やはり自分の身は自分で守らなければならない、ということをだんだん感じるようになってきました。誰も救ってくれません。『自助、共助、公助』の自助が最初に来る国ですから、自ら助けないとどうにもならない、そういうことなのかな、と思います。
日記は思考の変遷がダダ漏れになる
武田:「常識」という言葉が中盤で重要な言葉として出てきます。「常識とはとりわけ深刻なものである」など、印象的でした。内心でうごめいている感情、そして今、目の前で起きている現状を描写していく。読みものとしてとても没入させられました。日本でも、3・11のときに「震災文学」なんて言われかたがあり、それは書いた側がそう意識したというより、外側からくくったという感じでしたが、このコロナ禍で、国内外問わず、物書き、とりわけ小説家の人たちがどういう作品を残していくのかが気になります。
飯塚:『武漢日記』のようなルポルタージュ、記録文学はすぐに出てくると思いますが、こういう体験が小説などになって結実するには、かなりの時間を要するでしょうね。やはり、すぐには受け止めきれないですから。
武田:日本でもこのコロナ禍を綴った日記本がいくつか出ています。日記の場合、月曜日と金曜日で考え方が変わっていて、その思考の変遷がダダ漏れになる、という面白さがあって、だからこそ、今、書かれて読まれている。ただ方方さんの場合は、変化があるというよりも、どんどん層が厚くなってくる感じがあって、そこに読み物としての強度がある。本になる前にネットで見ていた人、更新を待ち構えていた人にとっては、本当に大きな勇気になったんだろうと思います。
飯塚:確かに空気感が伝わってきます。武漢のなかでも封鎖が行われた当初と、封鎖が長期化して、いつ解除されるかわからない状況になってきた頃で、人々の反応や考え方も変わってくる、そういう雰囲気がわかるという意味でも貴重な記録です。
武田:4月に緊急事態宣言が出た際、家の周りを散歩することくらいしかできなくなったのですが、毎日のように散歩をしていると、ああ、こんなところにこんな人が住んでたんだとか、あとなぜか、やたらとバドミントンしてる人がたくさんいて、そうか、人は出かけられなくなるとバドミントンするんだな、なんてことを思っていた(笑)。


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周りにこれだけの人間がいて、こういう生活して、あそこのおばあちゃん、歩きにくそうにしてるなとか、あそこに公園があったんだ、でも今は子どもがあんまいないな、みたいな、自分たちの住んでいる周りの情景・光景が見えてきたというのはプラスのことだと思っています。で、そうしたことって『武漢日記』にもふんだんに書かれている。
「絶対に忘れない」ための記録
武田:これって、おそらく全世界共通だったと思うんです。近くにいる人たちが見えた。今、偉い人たちが使う「絆」という言葉、彼らにその言葉を使わせるのではなくて、私たちが日々生きる周りのなかでこそ、そういう言葉を使わないといけないな、と、この本を読みながら自分の生活を振り返りました。


『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(河出書房新社)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら
誰もがそうだと思いますが、「死」というものが目の前に迫ってきた。第1波の流行期には、突然、「死」がやってくるかもしれない、と恐れました。でも、半年くらい経つとみんなもう慣れてしまっている。それこそ、新しい政権の支持率も格段に高い。いつも言ってることなんですが、忘れないでしつこく覚えておく、ということが一番重要だと思います。『武漢日記』は、まさにその「覚えておく」ということと、「覚えながら怒る」ということを実践している、非常に重要かつ尊敬されるべきテキストだと思いました。
飯塚:日本人は中国人よりもっと、「過去のことは水に流す」という傾向が強いかもしれません。何でもすぐに忘れてしまいます。それを方方さんは絶対に忘れない。結果がよかったんだからそれでいいじゃないか、と言われるようなことでも、「いや最初の時点でまちがいがあった、その責任を負うべき人たちを絶対に許してはいけない」とこだわるわけです。そういう姿勢は大事なことで、忘れないために必要な記録を残す。『武漢日記』はまさにそういう記録のための本だと思います。