Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

一触即発の台湾海峡、危機勃発の全シナリオ

今年8月10日、アレックス・アザー米厚生長官が台湾を訪問すると、中国軍の戦闘機が事実上の中台境界線として機能してきた台湾海峡上の中間線を越えて台湾を威嚇した。
 また、9月18日にもキース・クラック米国務次官の訪台に合わせ、中国軍が台湾海峡で軍事演習を行い、多くの戦闘機が中間線を越えた。
 8月26日には中国本土から南シナ海に向け、2発の中距離弾道ミサイルの発射訓練を実施した。
 香港紙によれば、浙江省から「東風21D」(射程1500キロ)、青海省から「東風26B」(射程4000キロ)が発射された。いずれも空母キラーと呼ばれる対艦弾道ミサイルで台湾をにらんだ米国へのシグナルと受け止められている。
 台湾危機が「難題」なのは、台湾海峡でいったん武力衡突が起これば問題は必ず国際化するからである。
 米国は米中国交樹立に際して「中華人民共和国を中国唯一の合法政府であること」を承認(recognize)するとともに、「中国はただ、一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場」を認識(acknowledge)した(1978年12月16日の米中共同コミュニケ)。
 だが一方で、上述の立場は台湾問題の平和的解決が前提であって、対台湾武力行使に対抗する米国の兵力を維持することを国内法(1979年4月10日の台湾関係法)で定めている。
 事実、1995~96年の台湾海峡ミサイル危機では中国が大規模なミサイル演習で威嚇した際に、すかさず米国が空母2隻等を急派して緊張が高まった経緯がある。
 ところで、2019年1月2日、中国の習近平国家主席は、中国が台湾に平和統一を呼び掛けた1979年の「台湾同胞に告げる書」の発表40年に当たり演説し、台湾との「統一」を確実にするための選択肢として軍事力の行使を排除しないと言明した。
 また、習近平主席は就任以来、「中国の夢」を盛んに唱えている。
 そして、中華人民共和国の建国100周年の2049年までに、「中華民族の偉大なる復興」、すなわち、台湾統一を成し遂げようとしている。
 一方、台湾独立を綱領に掲げる民主進歩党の蔡英文氏は、2020年5月20日の2期目の総統就任演説で、「北京当局が『一国二制度』をもって台湾を矮小化することは受け入れない」と述べた。
 中国共産党政権が香港やマカオと同じく、「台湾は中国の一部」として台湾を中国の主権下に置くとの主張を改めて拒否した。同時に、台湾海峡の現状を変えない原則を堅持する意向を強調した。
 中国は台湾の独立阻止で武力を行使する可能性を排除していない。台湾政府が、国連加盟要請や独立の可否を問う住民投票など独立に向けた動きをすれば地域の危機を招く公算が大きい。
 筆者は、台湾海峡危機が発生した場合、米国は台湾に軍事的支援を提供するものと確信している。
(本稿は、その論拠を明らかにすることを目的としている。いかんせん学問の徒でない筆者の私見である。皆様のご指導を賜りたい)
1.台湾の前史
(1)オランダ統治時代(1624~1662年)
 台湾島の領有を確認できる史上初めての勢力は、17世紀初頭に成立したオランダの東インド会社である。
 東インド会社はまず明朝領有下の澎湖諸島を占領した後、1624年に台湾島の大員(現在の台南市周辺)を中心とした地域を制圧して要塞を築いた。
 なお、同時期の1626年には、スペイン勢力が台湾島北部の基隆付近に進出し、要塞を築いて島の開発を始めていたが、東インド会社は1642年にスペイン勢力を台湾から追放することに成功している。
 台湾の東インド会社は1661年から「抗清復明」の旗印を掲げた鄭成功の攻撃を受け、翌1662年には最後の本拠地要塞であるゼーランディア城も陥落したために、進出開始から37年で台湾からすべて駆逐されていった。
(2)鄭氏政権時代(1662~1683年)
 1644年、李自成の反乱によって明朝が滅亡し、混乱状況にあった中国に満州族の王朝である清が進出してきた。
 これに対し、明朝の皇族・遺臣たちは、「反清復明」を掲げて南明朝を興し、清朝への反攻を繰り返したが、力及ばず1661年に滅亡させられた。
 そのために、「反清復明」を唱えて清朝に抵抗していた日本人を母にもつ鄭成功の軍勢は、清への反攻の拠点を確保するために台湾のオランダ・東インド会社を攻撃し、1662年に東インド会社を台湾から駆逐することに成功した。
 台湾の漢民族政権による統治は、この鄭成功の政権が史上初めてである。
 鄭成功は台湾を「反清復明」の拠点にすることを目指したが1662年に病気で死去した。
 そのために、彼の息子である鄭経たちが父の跡を継いで台湾の「反清復明」の拠点化を進めたが、反清勢力の撲滅を目指す清朝の攻撃を受けて1683年に降伏し、鄭氏一族による台湾統治は終了した。
(3)清朝統治時代(1683~1895年)
 清朝は、当初は台湾島を領有することに消極的であった。
 しかしながら、朝廷内での協議によって、最終的には軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で福建省の統治下に編入した。
 19世紀半ばには日本やヨーロッパ列強諸国の勢力が中国にまで進出してくると、台湾にもその影響が及ぶようになった。
 1874年には日本による台湾出兵(牡丹社事件)が行われた。また、1884年の清仏戦争の際にはフランスの艦隊が台湾北部への攻略を謀った。
 これらに伴い、清朝は日本や欧州列強の進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、台湾の防衛強化のために知事に当たる巡撫職を派遣した上で、1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設した。
 1894年に清朝が日清戦争に敗北したため、翌1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて台湾は、澎湖諸島とともに清朝から大日本帝国に割譲された。
 これに伴い台湾省は設置から約10年という短期間で廃止された。
(3)日本統治時代(1895~1945年)
 台湾が清朝から日本に割譲されたのを受けて、1895年6月17日、台北において始政式が行われ、台湾総督府による台湾統治が正式に開始された。
 それから、時代は下り、連合国に降伏した日本軍の武装解除のために、中華民国・南京国民政府軍が1945年10月17日に米軍の艦船から台湾に上陸して来た。
 南京国民政府は、1945年10月25日の日本軍の降伏式典後に、台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。
2.台湾人アイデンティティーが高まる背景
 中国大陸との関係をめぐって長年対立してきた外省人(国民党とともに台湾に移り住んだ中国大陸出身者とその家族)と本省人(1949年の中台分断前から台湾に住む人々)だが、2世、3世と世代が進むにつれて帰属意識に変化が出てきたのは「外省人」である。
 台湾生まれの増加に従って「台湾と中国は別だ」という考えが定着した。
 特に、1996年に初めてトップの総統を直接選挙で選べるようになるなど、民主や自由、それに人権といった普遍的な価値が認められてきた台湾に対し、共産党一党支配のもと締めつけを強める中国との違いはますます拡大した。
 外省人の間でも若い世代を中心に対中警戒感が高まってきた。
 さらに、前々回、2016年の総統選挙で民進党の蔡英文総統が圧勝した要因の一つとなったのが「天然独」と呼ばれる20代から30代の若者世代である。
 天然独は「生まれながらの独立派」という意味で、台湾の民主化が進んだ1990年代以降に教育を受けた若い人たちを指す。
 台湾が実質的に独立しているような状態で育ち、中国大陸との歴史や中国人意識とは無縁である。外省人や本省人といった区別はもはや意味をなさず、「台湾は台湾だ」と自然に考えるのが天然独の特徴といえる。
 こうした傾向は、台湾人のアイデンティティーなどに関する最新の意識調査で、自分を「台湾人」と認識する人が67%に上り、調査を開始した1992年以来最高となった。
 一方で、「中国人」と答えた人は2.4%、「台湾人で中国人」とした人は27.5%で、いずれも過去最低だった。
 ビジネスで中国との結びつきが強い台湾の人も多く、一概には言えないものの、台湾の人々が自らを台湾人と考え、中国と距離を置こうとする傾向は強まっているといえるであろう。(出典:NHK「国際報道」2019/10/18)
3.米国の中国・台湾政策の変遷
 米国の台湾政策は、米国の対中国外交戦略に決定づけられてきたといえる。以下、米国の対中国外交戦略を中心に時系列に沿って述べる。
 本項で、米中共同コミュニケについて言及するが、ここで、米中共同コミュニケの法的拘束力について述べる。
 外交上作成される文書には、「国際約束である文書」と「国際約束ではない文書」に大別されるという。
「国際約束である文書」は、当事者間に国際法上の権利義務を設定するもので、「条約」、「協定」、「憲章」、「交換公文」、「合意された議事録」などの標題を含むものとされている。
 一方、「国際約束ではない文書」とは、当事者間に国際法上の権利義務を設定しないもので、通常、「共同宣言」、「共同声明」、「共同発表」、「共同コミュニケ」、「共同新聞発表」などの標題が使用される。
 従って、共同コミュニケは、当事者に対する拘束力は政治的・道徳的なものにとどまるものである(出典:内閣法制局長官を歴任した小松一郎氏の著書『実践国際法(第二版)』)。
(1)中国を含む共産主義封じ込め政策
 米国は第2次世界大戦中から蔣介石政権崩壊の防止と共産主義拡大を防止する政策を行ってきた。
 日中戦争(または支那事変)開戦当初はアジアで膨張を続ける日本に対する牽制を狙い、援蔣ルートを通じて中華民国に武器や軍事物資、人材を提供した。
 第2次大戦後、米国は、戦後の東アジアの政治地図として、日本が再び台頭してくるのを抑えるためにも、中国に何らかの形で民主的な政権が生まれ、それが東アジアの安定勢力になることを期待していた。
 フランクリン・ルーズベルト政権を引き継いだハリー・トルーマン政権も国共内戦の調停を成立させ、中国共産党を含めた国民党主導下の統一政府樹立を目指していた。
 しかし、米国は国共両党の調停に失敗し、次第に東アジア政策の中心を中国から日本へと移すとともに、対外援助政策に「反共」の意味を持たせるようになっていった。
 1950年1月5日、台湾に移転した蒋介石率いる国党政府の腐敗と汚職に失望したトルーマン米大統領は、米国は台湾海峡に関するいかなる紛争にも関わることはなく、中華人民共和国の攻撃があっても一切介入することはないとする「台湾不干渉声明」を発表した。
 しかし1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、トルーマン政権は6月27日に「台湾中立化宣言」を発し、同年7月には米国第7艦隊の台湾海峡への派遣を開始するとともに、中華民国に対して再び大規模な軍事的・経済的支援を与えるようになったのである。
 米国は、台湾が共産化した場合、中華人民共和国と同盟関係にあるソ連が太平洋へ進出可能となり、アリューシャン列島・日本・韓国・沖縄・フィリピン・東南アジアと続く対ソ連の封じ込め戦略が無力化される恐れがあると見て台湾の中華民国と軍事同盟関係を構築し、ソ連および中華人民共和国に対抗することとしたのである。
 1953年1月にドワイト・アイゼンハワー政権が誕生すると、「台湾中立化宣言」の解除がなされた。
 当時米国は、台湾を「極東防衛網において不可欠な要素」と位置づけ、国民党政府の台湾移転後も「中国の政府として、または国連における代表として承認し支援」し続けてきた。
 これは第1に台湾が、共産主義中国と敵対している「自由主義国」であること。
 第2にアリュ―シャン列島からオーストラリアへといたる太平洋沿岸島嶼連鎖帯の真ん中に位置する地理的重要性、という2つの理由からであった。
(2)米台軍事同盟(米華相互防衛条約)
 1954年9月3日,中国は金門島に向けて砲撃を開始して、第1次台湾海峡危機(1954~1955年)が発生した。
 同危機を終息に導くために、米国政府と国民党政府との協議を経て,やがて国連安保理停戦案の実現が企図された。
 それとともに、1954年12月1日には米国と台湾の間に「米華相互防衛条約(Mutual Defense Treaty between the United States of America and the Republic of China)」が締結された。
 朝鮮戦争の休戦協定成立直後に締結された本条約は米国による対中国軍事包囲網の一環で有ると見られている。
(3)封じ込めから関与政策*1へ(米中国交正常化)
 リチャード・ニクソンが大統領に就任した1969年、中ソの緊張状態は戦争の危険性をはらむほどになっていた。
 一方、ニクソン大統領は、米軍のベトナム戦争からの名誉ある撤退という大きな課題を抱えていた。そのニクソンが政権につくと同時に外交問題のエキスパートとして選んだのが、当時ハーバード大学教授のキッシンジャーであった。
 キッシンジャーはいわゆる「力の均衡」論者で、イデオロギー的な外交を嫌い、また国務省などの専門の外交官を嫌い、徹底した秘密保持と個人的なルートを重んじるタイプであった。
 脱イデオロギー的な地政学、バランスオブパワーという考え方は、当時は国民も外交官も馴染みがなく、米国外交の主流を占める考え方ではなかった。
 そして、1972年2月21日にニクソン大統領が中華人民共和国を初めて訪問し、毛沢東主席や周恩来総理と会談を行い、2月27日「ニクソン米大統領の訪中に関する米中共同コミュニケ」(上海コミュニケ)を発表した。
 そのなかで両国は、平和5原則を認め合い、両国の関係が正常化に向うことはすべての国の利益に合致すること、両国はアジア・太平洋地域で覇権を求めるべきでなく、また他のいかなる国家あるいは国家集団の覇権樹立にも反対することを声明した。
 1973年5月に米中両国は正式な国交を樹立する準備のため、北京とワシントンD.C.に米中連絡事務所を設立した。
 1979年1月1日の「米中の外交関係樹立に関する共同コミュニケ」で米側は、「中華人民共和国を中国唯一の合法政府であること」を承認(recognize)するとともに、「中国はただ、一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場」を認知(acknowledge)し、台湾からすべての武力と軍事施設を撤去する最終目標を確認し、この地域の緊張緩和に応じて台湾におけるその武力と軍事施設を漸減することを声明した。
 これは、朝鮮戦争以来米国が一貫してとってきた中国封じ込め政策の大転換を意味する。
 1979年1月1日、米中両国が国交を樹立したため、台湾政府は米国との断交を宣言した。
*1=「関与政策」とは、相手国の経済力の増強を認めて貿易・投資を進め、それを通じて、米国の価値観が支配する「国際社会」に取り込み、それによって中長期的に国内体制の民主化を促進しようとするもの。「取り込み」政策ともいう。関与政策の前提には経済が発展すれば政治は民主化するという仮説がある。
(4)台湾との非公式同盟
 上記のとおり1979年1月1日に米国と台湾との国交は断絶された。ホワイトハウスのこの方針は、ソ連と中華人民共和国の離間を決定的なものとし、また、米国企業が将来中国大陸の巨大な市場を獲得するための重要な布石ともなった。
 しかし、同時に「米華相互防衛条約」の無効化(1980年に破棄)に伴い自由主義陣営の一員である台湾が中華人民共和国に占領される事態を避けるため、また台湾政府や在米国台湾人からの活発な働きかけもあって、「台湾関係法」が1979年4月に制定され、1月1日にさかのぼって施行された。
「台湾関係法」は、行政府に対して台湾が必要とする防衛用の兵器供与を義務付けている。同時に、台湾の安全を脅かすことに対しても米国が関与することをコミットしている。
 同法によって台湾と米国が依然として非公式とはいえ「同盟関係」にあると解釈することもできる。
(5)米中新冷戦時代
 バラク・オバマ政権(2009~2017年)の発足時は米中で共同覇権体制を組むのではないかといわれるほどの関与政策がとられた。
 それに対して、中国は傲慢な態度に出始めた。
 そのため、2010年には米中は激しく火花を散らしていた。2010年3月に訪中したジェイムズ・スタインバーグ国務副長官に対して、中国は「南シナ海は中国の核心的利益である」と公式に伝えた。
 しかも4月には中国は、艦隊を第1列島線を超え第2列島線まで進出させた。さらに中国はインド洋諸国と港湾建設の交渉を始めた。いわゆる「真珠の首飾り」戦略である。
 これらの行為は、米国の既存の権益に対する挑戦であると受け止められた。ここにきて米中軍事交流は途絶え、米中間の激しいさや当てが本格化し始めた。
 2017年1月に誕生したドナルド・トランプ政権における対中認識はこれまでの政権が継続してきた関与政策から大きく外れるものであった。
 その大きな転換点は、2017年末の「国家安全保障戦略」と 2018年の「国家防衛戦略」であると指摘される。
 国家安全保障戦略では、明示的に中国とロシアを「現状を変更する勢力」と規定し、政府の公式文書としては初めて、中国が米国の主要な競争相手とみなされている。
「現状を変更する勢力」の意味するところは、具体的には国際社会における米国の影響力を含めた米国の国力と利益に挑戦し、米国の安全と繁栄を傷つけようとする勢力と説明されている。
 米国が政府の公式文書に中国をそのような「修正主義国家」であると明示することの重みは非常に大きく、米国の対中認識、および、それに基づく対中政策がトランプ政権において大きく転換したことを示している。
4.台湾独立が契機、米中武力衝突シナリオ
 筆者は、先の拙稿「歴史検証が弾き出した『米中戦争勃発確率75%』https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61554」の中で、米国の著名な政治学者であるグレアム・アリソン氏の『米中戦争前夜』(2017年発刊)を引用した。
 アリソン氏は、同書の中で、米国と中国が戦争に突入する場合にたどりそうな5つのシナリオ(①海上での偶発的な衝突、②台湾独立シナリオ、③尖閣諸島、④北朝鮮崩壊、⑤経済戦争から軍事戦争へ)を提示している。
 筆者は5つのシナリオの中で米中戦争の引き金になりそうなものの筆頭は「台湾独立シナリオ」であるとみている。
 この「台湾独立のシナリオ」は次のようなものである。シナリオの内容は筆者が要約している。
●第1フェーズ:香港住民は、中国政府が「1国2制度」約束を破ったとして大規模なデモを組織した。中国政府は、1989年の天安門事件と同じくデモを強制排除した。
●第2フェーズ:その暴力的な手法は、台湾の若い世代に大きな衝撃を与え、独立の機運および中国政府に対する憎悪が急激に高まった。すると追い風を感じた総統は、台湾が独立し主権国家にならなければ、市民の自由は決して保証されないと訴えた。
 米大統領は総統の姿勢を支持し、台湾関係法に基づき、米国は台湾を中国の侵略から守ると宣言した。
●第3フェーズ:総統は米大統領の宣言を暗黙の独立支持と受け止めた。そして、独立国家として国連に正式加盟を求める意向を示した。
 中国は国連加盟を取り下げさせるために「軍事演習」と称して、台湾海峡に弾道ミサイルや巡航ミサイルを打ち込み、台湾の命綱である海運を妨害した。台湾が国連加盟申請の取り下げを拒否すると機雷を敷設した。
●第4フェーズ:米国は台湾の国連加盟には反対の立場をとったが、台湾の経済を絞め殺すのを阻止しなければならないと考えた。
 米政府は、中国の対艦ミサイルの攻撃を受ける恐れがあることから空母派遣に難色を示した。すると、太平洋軍が台湾の商船を護衛する案を出してきた。
 はたせるかな、中国の対艦ミサイルが台湾の商船を護衛中の米輸送揚陸艦を直撃する。約800人の船員と海兵隊員が全員死亡した。
●フェーズ5:中国は偶発的な事故だと主張したが、米国防長官と統合参謀本部議長は信じなかった。太平洋軍は「エア・シー・バトル戦略」*2を発動して中国本土の対艦ミサイル発射台を攻撃すべきだと大統領に訴えた。
 大統領は中国本土の対艦ミサイルシステムと弾道ミサイルシステムの攻撃を承認した。
●フェーズ6:中国政府は、米軍の奇襲攻撃が中国の核能力を奪う試みだと誤解した。中国はエスカレートすることにより緊張を縮小しようと、核弾道ミサイルを沖縄の南沖に向けて発射した。
 これによる死者はなかったが、事態はあっという間に全面的な核戦争に発展していく。
 米国の専門家が作成した上記の「台湾シナリオ」はリアリティのあるシナリオであると筆者は見ている。
 香港の情勢の悪化も現実に起こっている。それが、台湾の独立の機運を高めることも予想ができる。
 その後の流れは、登場人物の意思決定の問題であるが、本シナリオの第5フェーズまでの意思決定はいずれも想定できる範囲内である。
 しかし、第6フェーズの「全面的な核戦争への発展」は、若干飛躍しすぎている。筆者は核戦争の敷居はそんなに低くないと考えている。
 グレアム・アリソン氏の真意は不明であるが、筆者は、このシナリオを公表した狙いは、「米国は必要とあらば核兵器の使用も辞さない覚悟である」ことを中国に示すことではないかと推測する。
 相手に核兵器の使用を思いとどませるには、必要とあらば核兵器を使用するという「信憑性」が不可欠であるからである。
 付言するが、筆者は、台湾海峡危機での核戦争の恐れはないと見ている。
 中国は核の先制不使用を宣言している。一方、米国は通常戦力で中国を圧倒しており、核兵器に頼る必要がないからである。
*2=エア・シー・バトル(AirSea Battle)戦略とは、「アクセス拒否(anti-access)/領域拒否(area denial)」の高度な能力を持つ中国を打破するための米空軍と米海軍の統合作戦構想である。この戦略は米海軍艦艇並びに沖縄およびグアムの前進基地への通常兵器による攻撃に対して、中国本土へ反撃することを視野に入れている。
5.台湾海峡危機で米国が軍事介入する論拠
①米国は準同盟国・台湾を見捨てることはできない。
 米政府は、1979年締結した「台湾関係法」に基づき台湾の防衛を支援する道義的義務を負っている。
 事実、1996 年3月の台湾海峡ミサイル危機の際に、米国は、2個空母戦闘群(現 空母打撃群)台湾近海に派遣し、中国を牽制した。これは米台の事実上の「同盟関係」を証明することになった。
 また、バイデン次期米大統領は同盟重視を掲げている。本年11月24日、バイデン次期米大統領は演説の中で「米国は同盟国と協力した時に最強になる」と述べ、同盟関係を軽視した「米国第一」のトランプ外交から決別する姿勢を示した。
 米国が台湾を見捨てようとすれば、アジアだけでなく世界中の米国の同盟国は米国の誠意に対して深い疑念を抱くであろう。そうすれば、アジアにおける米国の地位だけでなく、欧州における地位にまで悪影響が及ぶことになる。
②台湾は民主主義の防波堤である。
 230年の歴史をもつ合衆国憲法のもと、世界の民主主義の先頭に立ってきた米国は、現在も自由と民主主義の盟主である。
 米国の中国に対する関与政策は失敗した。
 中国では民主化が起こらず、権威主義と国家主導資本主義の組み合わせにより経済発展した。そして今、世界では、民主主義国家と権威主義国家の角逐が起こっている。
 今年の大統領選中に、バイデン次期大統領は台湾や「志を同じくする民主主義国家」とのきずなを深めるべきだと訴えていた。
 今日、台湾は「共産主義の中国に民主主義が乗っ取られないよう防衛する最前線」(台湾の呉外交部長の発言)となっている。自由と民主主義の盟主である米国は、「民主主義の防波堤」を防護する責務がある。
③第1列島線のほぼ真ん中に位置する台湾は米軍にとって極めて重要な戦略的要衝である。
 第1列島線とは、千島列島の北端から日本本土、日本列島南端の沖縄へと延び、さらに南下して台湾を通過し、ルソン海峡とフイリッピンを抜けてマレーシア領ボルネオへと続く線である。
 中国は約1万8000キロの海岸線を持ちながら、第1列島線上の米軍基地や自衛隊基地、台湾などによって、外洋への出口を塞がれている。宮古海峡やバシー海峡といった航路が戦略的に重視されるのはこのためである。
 平和的な方法にせよ、武力にせよ、中国が台湾を併合することになれば中国は第1列島線を分断することになる。そうすれば、中国は第1列島線、さらに第2列島線を突破し、近い将来には米軍の世界的な制海権に挑戦することになるであろう。
 また、台湾を守ることは、第1列島線上に位置する日本などの同盟国の防衛を支援することに通じるのである。
④米国の対中強硬策は超党派のコンセンサスである。
 米国の経済は中国との貿易に大きく依存している。このためことを荒立てたくないという事情もある。
 また、ワシントンの政治家の多くは、対中貿易に既得権を持っている多国籍企業から寄せられる多額の選挙資金にも大きく依存している。そのため台湾への関与に慎重となる場合があるかもしれない。
 しかし、トランプ政権でエスカレートしてきた対中強硬策はトランプ政権単独によるものではなく、超党派のコンセンサスである。
 2020年1月、米中経済・貿易協定の第1段階の合意直前、議会民主党幹部のチャック・シューマー上院院内総務はトランプ大統領に宛てた公開書簡で、産業補助金、強制的な技術移転などの中国の構造的な課題是正に対する具体的なコミットがなしでの合意には断固反対する、と警告を発した。
 こうしたことから、政権が交代しても、議会の対中強硬姿勢は継続されることが見込まれる。
⑤米国ではここ数年台湾支持が強まっている。
 民主主義国では議会の支持、国民の支持が重要である。米国では軍隊を海外に派遣するには米議会の承認が必要である。
 米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)のボニー・グレイザー上級顧問は台湾の通信社である中央社の取材に対して、議会は間違いなく台湾を非常に支持していると強調し、今後はより多くの議員が台湾を訪問するだろうと述べた。
 また、台湾の新型コロナウイルス対策の成果は米議会や国民に認められ、台湾に多くの支持が集まっていると言及。
「数年前との比較にすぎないとしても、米国が台湾を見る目は以前とは全く異なっている。米台関係は間違いなく引き続き強くなっていく」との見解を示した(中央社2020/10/30)。
 台湾と米国の初の次官級協議「台米経済繁栄パートナーシップ対話(EPP)」が11月20日ワシントンで開かれ、期間5年の覚書(MOU)を取り交わした。
 米国では、マイク・ポンペオ国務長官が11月10日に同対話の開催を発表した際、同対話は「米国と信頼できるパートナー、台湾との経済関係が強化し、引き続き成長することを示している」と述べて、各分野における米台間の協力増進に役立つとの認識を示した(中央社2020/11/11)。
6.終わりに
 日本は1972年の日中国交正常化で中国を承認する一方、台湾とは外交関係を断絶した。
 このときから台湾は日本にとって「国」ではなくなったが、日本は窓口機関「日本台湾交流協会」を、台湾は「台湾日本関係協会」をそれぞれ設立、貿易や文化などの分野で台湾との実務的な関係を続けてきた。
 菅義偉官房長官(当時)は2020年5月20日の記者会見で、台湾の蔡英文総統が政権2期目をスタートさせたことに関し「祝意を表したい。台湾はわが国と基本的価値観を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナーであり、大切な友人だ」と述べた。
 日本の「重要なパートナーであり大切な友人」である台湾を中国が武力侵攻した場合、日本はどう行動するのであろうか。
 中国が台湾に侵攻したら台湾軍は即座に反撃するであろう。米軍も「台湾関係法」を根拠に何らかの軍事行動に出るであろう。
 在日米軍の出動は、出撃拠点となる嘉手納空軍基地がある沖縄本島などが中国からの攻撃の脅威に晒される可能性が高い。その意味で、台湾有事はまさに日本にとっても有事である。
 日本は、平時においても自衛隊法に基づき、米軍等への支援(艦艇防護など)が可能である。
 わが国の平和および安全に重要な影響を与える「重要影響事態」となれば、米軍などへの後方支援等が可能となる。
 わが国に対する外部からの武力攻撃事態となれば自衛権の発動が可能である。
 日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされる「存立危機事態」となれば、「他に適当な手段がない」および「必要最小限度の実力行使」の2つを条件として集団的自衛権の発動が可能となる。
 さらに、台湾在住の邦人が退避を考えなければならない。
 日本は以上の行動の準備ができているのであろうか。政府・防衛省は、平時より、邦人保護はもとより、日米の共同作戦計画を策定し、作戦および後方のあり方等の態勢整備を進める必要がある。