「1970年大阪万博」公式ガイドを読み返してよみがえってきた小学5年生当時の強烈な記憶

広尾 晃 : ライター
2025年03月20日
筆者の手元に1冊のガイドブックがある。1970年に行われた「EXPO‘70 大阪万国博覧会」の公式ガイドだ。定価は300円、発行は「電通」とある。
筆者はこの間、数回は引っ越しをしているし、このガイドを買った父は24年も前に死んでいる。しかし、捨てられたり、どこかに紛れることもなく、本棚にひっそりと収まってきた。55年の歳月を経た割には、痛みもそれほどひどくはない。
小学5年生のときに行った大阪万博の記憶
1970年の大阪万博の年、筆者は小学5年生、「万博に行ったこと」は、今も強烈に記憶に残っている。
父母に連れられて2回くらいは行ったと思う。徳島から出てきた父は、何事にもものおじする人で「日本館」「アメリカ館」「ソビエト館」など、巨大で前評判の高いパビリオンには並ぼうとしなかった。
行列のできていないアフリカ、アジアの小規模な展示ばかり回った記憶がある。小さなパビリオンばかり回っているうち「これは何かな」と入ってみると、公衆トイレだったりした。
しかしモノレールの車窓から竹林を切り拓いた土地に巨大なパビリオン群が見えたときは、本当に感動したものだ。
学校からは、遠足で行った。こちらは大きなパビリオンもしっかり予定が組まれていて、日本館にも入った。「太陽の塔」内部の「生命の樹」を登っていったときの高揚感は、今も心のうちに再現することができる。
本体352ページ、持ち重りのするこの公式ガイドを開くと、そうした思いがよみがえってくる。今、読み返して驚くのは、EXPO‘70に関わった顔ぶれの豪華さだ。
以下、「※」は文化勲章受章者。
公式ガイド1つとっても、表紙は戦後を代表する洋画家、猪熊弦一郎の『斜線都市』。猪熊は建築家、丹下健三※と仕事をすることが多かった。丹下はEXPO‘70では基幹施設設計のプロデューサーであるとともに公式ガイドの編集委員だ。
このガイドブックには、いくつかの挿画があるが、描いたのは日本画家、東山魁夷※、平山郁夫※洋画家の杉本健吉だ。
写真は文豪の肖像写真で知られる林忠彦など、イラストにはおおば比呂司の名前がある。
他にも豪華な顔ぶれが多数
日本万国博覧会協会の名誉会長は総理大臣の佐藤栄作、安倍晋三元首相の大叔父だ。実質的な組織トップの会長は経団連会長で「財界総理」と言われた石坂泰三、理事には国鉄総裁の磯崎叡、東大総長、茅誠司※、日本医師会会長の武見太郎の名がある。
テーマ館専門委員には作家、大佛次郎※、今年2月に亡くなった作家、曽野綾子、中国史学者の貝塚茂樹※、その弟でノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹※。
場内輸送委員会には新幹線生みの親の島秀雄※、財務委員会には松下グループ創業者の松下幸之助、催し物顧問には作家、文化庁長官の今日出海、作曲家、團伊玖磨、万国博ホステス指導顧問には裏千家家元夫人の千登三子、美術顧問には細川護熙元首相の父で、元首相秘書官の細川護貞、テーマ展示プロデューサーに芸術家、岡本太郎、サブプロデューサーに作家の小松左京、作曲家の黛敏郎、公式記録映画の総監督に映画監督の谷口千吉。
岡本太郎は、丹下健三が設計した「お祭り広場」の大屋根を突き抜けてそびえるランドマークタワーの「太陽の塔」をデザインして、丹下と大げんかになったとの逸話がある。
各パビリオンでも錚々たる名前が連なる。サントリーグループの「サントリー館」の代表はサントリー社長の佐治敬三、日本専売公社(現JT)の「虹の塔」の設計は建築家の清家清、構成演出は映画監督、松山善三、日本ガス協会の「ガス・パビリオン」の壁画はスペインの画家ジョアン・ミロ、タカラ・グループの「タカラ・ビューティリオン」と東芝IHIグループの「東芝IHI館」の建設設計は、丹下健三門下の建築家、黒川紀章、フジパンの「フジパン・ロボット館」のプロデューサーは漫画家、手塚治虫、バチカン市国の「キリスト教館」のプロデューサーに作家の遠藤周作※、曽野綾子の夫で作家の三浦朱門。
これらの参画者の中で、現存しているのは名誉総裁を務めた皇太子明仁殿下(現上皇)くらいだろうか?
万博を推進した事務方を率いたのが、通産官僚の池口小太郎、のちの作家・堺屋太一だ。今年の関西・大阪万博の開催を橋下徹など大阪維新の政治家に提言したといわれている。まさに「戦後日本」を築いた各界の偉人が、大阪に集結して万博を実現させたといえよう。
豪華だった会期中のイベントの数々
会期中のイベントも、今から思うと信じられないようなスケールだ。
万国博ホールでは開幕の3月15~22日、当時、アメリカで圧倒的な人気があったTVショー「エド・サリバンショー」の公開放送が行われた。7月4~7日は、イギリスで人気絶頂のメリー・ホプキンなどのコンサート。9~12日はフランスの国民的歌手ダリダなどのシャンソン・フェスティバル。
万博会場ではなく、大阪市内のフェスティバルホールでは、29もの万博コンサートが開催された。
5月8~14日には「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるベルリン・フィルハーモニーが来日、ベートーベンの連続演奏会を行った。7月1~5日はエフゲニ・ムラビンスキーのレニングラード・フィルハーモニーが来日。
8月29日から9月1日は、レナード・バーンスタイン、小澤征爾率いるニューヨーク・フィルハーモニーが来日、マーラー交響曲「第9番」などを公演。
9月3日、5日は、幻のピアニストと言われたスヴャトスラフ・リヒテルのコンサート。
クラシック音楽ファンだった筆者の高校の教師は、このときに聞いた「カラヤン」について、感動の面持ちで語っていたものだ。
異様な熱気にあふれていた1970年の大阪
万国博美術館には、海外40カ国以上から300件、国内から400件の絵画、彫刻などの美術品が集められた。
中には、アンソニー・ヴァン・ダイクの「キリストの埋葬」、ポール・セザンヌの「ギャスケ氏の肖像」、パブロ・ピカソ「三人の楽士」など、世界的な名作も含まれていた。
メイン会場である「お祭り広場」では、半年間の会期中、ほぼ毎日、何らかの「まつり」「イベント」が行われていた。
とにかく1970年の大阪は、異様な熱気にあふれていた。「成功させようEXPO‘70」の標語を、いろいろなところで見た記憶がある。
EXPO‘70では、これまで日本人になじみがないグルメも多数紹介された。もっとも当時の筆者らは「高いから」と弁当持参で、飲食の思い出はあまりないのだが……
マクドナルドが日本に来る前のハンバーガー
公式ガイドからいくつか紹介してみよう。
日本ハム ハンバーガー 400円
くいだおれ 万博ずし 200円
和幸 とんかつ 300円
サントリースナック 200円
フジパン売店 エキスポランチワイン付き 500円
1970年の大卒初任給の平均は3万9900円、昨年は22万5457円、単純計算では当時の100円は今の550円ということになる。
日本ハムのハンバーガー1個は、ざっと2200円だ。今回の大阪・関西万博ではラーメン一杯2000円が話題になっているが、この時も相当なものだったのだ。
アメリカのマクドナルドが、日本でハンバーガーの販売を始めたのは、1971年だから当時、ハンバーガーという食べ物を食べたことがある人は、ほとんどいなかったはずだ。
筆者も当然、食べたことはなかったが、それでも「ハンバーガー」は、当時の子どもはたいてい知っていた。アニメ「ポパイ」の登場人物、ウインピーが、テレビで大量のハンバーガーをむしゃむしゃと食べ続けていたからだ。
一番高いのは、エキスポランチの500円。今の価格で2750円というところ。
EXPO‘70では、パビリオン出展者以外にも多くの企業や団体がいろいろな分野で協力した。会場内のさまざまな施設を作るのに協力金を出したり、人手を出したりしたのだ。
それも公式ガイドには載っている。
山際電気は迎賓館内のシャンデリア、服部時計店はEXPO‘70オフィシャルタイムシステム、および時計並びに案内所。公益財団法人全日本仏教会は西口付近休憩所、京都商工会議所は日本庭園茶室。抹茶の各流家元は、日本庭園茶室の賓客もてなしに人を出している。
そうした施設備品で目に付くのは「吸い殻入れ」の多さだ。13もの企業が、会場内の各エリアに大量の吸い殻入れを寄付している。
今回の大阪・関西万博は「全面禁煙」のはずだったが、反対の声もあり2カ所に喫煙所が設けられたが、当時は当然ながら、いたるところに紫煙が漂っていたのだ。現代の人が足を踏み入れれば、いがらっぽさに辟易するかもしれない。
ほかにも大阪府傷痍軍人会東住吉支部などが、身体障がい者用ベンチを寄贈している。戦後まだ25年、傷痍軍人はあちこちで見かけたものだ。
パンフレットの値段は跳ね上がった
こうして振り返ると、当時の日本は「一生懸命」を通り越して「必死」に万博を成功させようとしていたように思う。「世界の人が来るから、恥をかきたくない」という思いも大きかったのだ。
筆者は小学校から行ったときに、何でもない外国人に群がってサインをねだった記憶もあるが、とにかく高揚感は半端ではなかった。
思い立って、久々に万博会場に行ってみた。今は万博記念公園となっている。入り口には、万博を推進した「財界総理」石坂泰三の胸像がひっそりと建っている。
「太陽の塔」は、あの日のままのように見えるが、実は「黄金の顔」は2代目だ。インバウンドの団体客が記念写真を撮っていた。裏の顔や、保存されているお祭り広場の大屋根の一部も撮った。
このパンフレット、保存している人が結構いたようで、以前、アマゾンでは1000円くらいで売られていたが、少し前に見ると1.65万円に跳ね上がり、今は売り切れている。
大阪・関西万博の高まりとともに55年前の熱気を感じたい人が増えているのだろう。
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