中台対立で台湾を刺激したウクライナ人女性

台湾に帰化した女性への批判がアイデンティティー論争に
高橋 正成 : ジャーナリスト
2021年05月11日
台湾としては、中国が押しつける「同族意識」は受け入れられるものではないようだ
台湾で活躍する、ウクライナ出身で、元新体操の選手だったラリーサ・バクロワさん(中国語名「李瑞莎」)のSNSでの投稿が、台湾で大変な物議を醸した。「言われなき誹謗中傷で悲しみに暮れたが、それでも負けずに前向きに頑張る」という内容だった。それは、ある投稿者が匿名掲示板に、「ラリーサさんの運営する新体操団体が優秀な選手を引き抜いている、募金で得られた資金流用が不透明、所在地の桃園市がラリーサさんの団体だけに補助金を交付している」といった内容を投稿したからだった。
批判は中国の対台湾統一工作の一環?
ラリーサさんは台湾で芸能活動をしている有名人でもあったことから、ネット上でまたたく間に真相究明と犯人探しが始まった。その過程で、閉鎖的な台湾スポーツ界への批判とともに、投稿者の一人が中国出身の新体操指導者であることまで突き止めてしまった。さらに、「これは中国の統一工作の一環だ」とする意見も出現し、政治的に敏感なシーズンに入る台湾で、人々のアイデンティティーをかき立てる事件に発展している。
ラリーサさんは3歳から新体操を始め、16歳までウクライナ代表として数々の栄光を獲得した。チームメイトには、2004年のアテネ、2008年の北京両五輪で銅メダルを獲得したアンナ・ベッソノバさんがいる。ケガで選手生活に終止符を打った後、ファッションモデルや芸能活動をしながら経済学修士号を取得。アメリカで台湾人の夫と知り合い結婚、台湾に移住し国籍も取得した。2007年ごろから台湾で芸能活動を開始。その容姿端麗、あふれんばかりの台湾愛で人々を魅了し、多文化社会を掲げる今の台湾にあってシンボリックな存在でもある。
そんなラリーサさんがアスリートとしての心に再び火を灯したのは、2017年に台湾で行われたユニバーシアード大会だった。そこで、台湾新体操チームの演技にいたく感動し、台湾新体操界に力を尽くす決意を固める。
無給で始めた指導だが、ライセンスの問題にぶつかったため、国際ライセンスをシンガポールまで行って取得した。台湾で初めて国際ライセンスを取得したラリーサさんの下には全国から選手が集まるようになり、さまざまな試合で優秀な成績をたたき出すようになった。さらにウクライナでの人脈も使って、かつてのチームメイトでメダリストのアンナさんまでを台湾に呼んで指導したのだった。
台湾では有名なタレントでもあるラリーサさん(写真・本人のFacebookより)
世界トップレベルの元選手が、インフラも人気も今一つの台湾で指導する。新体操がメジャーとは言えない台湾で、メダリストがわざわざやって来て指導することは異例中の異例といえる。既存の協会団体がなかなかできないことを、ラリーサさんは個人の力でやっていたことになる。
旧態依然とした台湾のスポーツ団体
さらに2020年1月、ラリーサさんは選手を連れて、アメリカで行われた新体操の国際大会LA Lights 2020に参戦する。予想を大きく覆す奮闘ぶりで金2銅3のメダルを獲得し、悲願ともいえる国際試合での優秀な成績をたたき出した。しかもこの間の旅費などの費用は、すべてラリーサさんが拠出したという。選手たちに国際経験を積んでほしい一心だった。
台湾は中国国民党による長年の独裁的統治の影響もあり、さまざまな団体協会が本来の目的を見失い、利権や汚職の温床になってしまっている。とくにスポーツに関する団体協会は「お国のために」の号令で選手を招集し、一方的で不便なことを強いることが多い。
日本でも財政状況が厳しい団体協会でよく見られる現象だが、国際的に孤立する台湾にとって、国際試合は自国をアピールする重要な場でもある。そのため金銭問題だけでなく、政治も絡むやっかいな問題でもある。
そのような中、ラリーサさんの登場は、台湾新体操界にもある旧態依然とした体質に風穴を開けた形となった。当然、既得権益にあずかり快く思わない人々もいる。そのような人たちにより、先の匿名掲示板での中傷非難へとつながったのだった。
しかし、問題は単に個人への中傷非難で終わらなかったのがこの事件がどれほど特殊だったかを物語っている。台湾の小学校で指導する中国出身者がネット上での中傷非難に関わっていることがわかってきたのだ。
特定された人は新体操経験者で、桃園市の小学校で指導し、台湾国籍も取得している。ただ、4月22日にラリーサさんが鄭文燦・桃園市長の来訪を受け、一緒に写った写真をSNSへ投稿したことから、ラリーサさんへのやっかみで今回の匿名掲示板への投稿につながったと見られている。
中国が言う「同種同文」という虚構
さらにかつてSNSでの投稿で、中国人と台湾人は「同種同文」(ルーツが同じで、言葉も同じ)であることを強調した内容の投稿も、台湾のネット世論の火に油を注いだ。「同文で同種だと言う中国人が、なぜ無数のミサイルで恫喝し、軍機で頻繁に領空を侵犯するのか」、というのだ。
一方で、「ウクライナ国籍を捨ててまで台湾を愛するラリーサさんこそが真の台湾人だ」という声が相次いだ。人々の台湾アイデンティティーが刺激され、ラリーサさんの傷心ぶりをつづった投稿への励ましと擁護のコメントは今も続いている。ちなみに「炎上」ぶりが投稿者に伝わったのか、中傷非難した掲示板への投稿は削除されている。
これは本当に中国による「統一工作」の一環だったのか。その真偽は今でもよくわからない。ただ、現在の台湾社会が「言葉」や「ルーツ」よりも、台湾への認知や愛着の「台湾アイデンティティー」を重視している状況が改めてわかったことは間違いない。
台湾は2021年8月28日にエネルギー問題などに対する住民投票、2022年には地方統一選挙があり、政治家はこうしたアイデンティティーに関係する世論の動向に敏感になってきている。ラリーサさんの傷心投稿へ多くの政治家がコメントを残している状況から見ても、アイデンティティーの問題はどんなに些細な事件でも台湾では気になってしまう、目が離せないものとなった。
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