Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

高官会談で米国に喧嘩、中国は戦前の日本と同じ道をたどるのか?

ネコウヨ

(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)
 米国のアントニー・ブリンケン国務長官と楊潔篪(ようけつち)共産党政治局員が3月18日にアラスカで会談した。
 米国側はジェイク・サリバン大統領補佐官、中国側は王毅外相が同席した。普通の国だったら、国務長官のカウンターパートは外相である。だからブリンケンと王毅の会談になるはずなのだが、それが楊潔篪になるところに中国の特殊性がある。
 楊潔篪は中国共産党政治局員であり外交の責任者。現在共産党には25人の政治局員がいる。政治局員には序列があり、トップは習近平、2位は李克強だ。上位7人は最高指導部である常務委員会を構成する。楊潔篪の序列は16位。
 一方、王毅は政治局のメンバーではない。つまり共産党での地位は低い。米国では大統領補佐官程度なのだろう。だから米国側は王毅のカウンターパートとして大統領補佐官が登場した。
 外相の王毅が政治局のメンバーではないことは、中国が外交を重視していないことを示している。普通の国では外相は重要ポストであり、有力な政治家が就任する。米国では国務長官は大統領、副大統領に次ぐ重要ポストである。しかし中国では外相の地位は低く、共産党の外交責任者の指示に従わなければならないが、その楊潔篪も序列は16位に過ぎない。中国では外交は格下の官僚が行う仕事なのだ。
米国に喧嘩を売って英雄に
 その楊潔篪が今中国で英雄になっている。それはアラスカ会談で米国側に強硬な意見をまくし立てたからだ。
 中国国内に流れるニュースは編集されており、会談の全容は伝えられていないが、冒頭で楊潔篪がブリンケンに喧嘩腰でしゃべる場面は広く報道された。楊潔篪は「米国は自分のやり方が正しいと思ってそれを他国に押し付けるが、中国には中国のやり方がある」と言い放った。
 この姿に中国の庶民は興奮した。楊潔篪の発言は外交辞令に包まれたものでなく、直裁的な言葉で庶民にも理解しやすかった。そして、なによりも米国に喧嘩を売ったという事実に庶民は沸き、溜飲を下げた。その結果、政治家としてあまり有名でなかった楊潔篪がいきなり中国の英雄になった。
帰国した松岡洋右を出迎えた大群衆
 この話を聞いて戦前の政治家である松岡洋右(まつおか・ようすけ)を思い出した。
 中国が満州における日本の軍事行動を非難して国際連盟に提訴したことから、リットン調査団が派遣されたことはよく知られている。1933年のジュネーブでの総会で調査団の報告書をもとにした勧告書が採択されることになった。日本政府は勧告書が採択されれば連盟脱退も仕方がないと考えていた。それでも最後まで日本の主張が通るように外交努力を重ねたが、勧告書は賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)で採択されてしまった。それを受けて、日本代表である松岡は用意していた原稿を読み上げて決然と席を立った。
 松岡は帰りの船の中で沈んだ様子だったという。それは勧告案の採択を防ぐことができなかったからであり、国際協調主義者であった昭和天皇から叱られると思ったからでもある。
 しかし横浜に着くと、大群衆が歓呼の声で松岡を迎えた。松岡は若い時に苦学して米国で学んだ経験があり、英語が堪能だった。そんな松岡は国際連盟の総会でも臆するとことなく、英語で日本の主張をまくし立てた。それはニュースとして日本でも報じられた。
 多くの日本国民は、幕末以来、欧米に言われっぱなしで、なにも反論できなかったことを悔しいと感じていた。だから松岡が列強を相手に英語で啖呵を切ったことに感動した。まさに積年の溜飲が下がる思いだった。
 船の中では暗い顔をしていた松岡が、横浜に着くと英雄になった。その後の松岡の行動については記さないが、英雄になった松岡は強引な外交を推し進めることになった。
楊を英雄視する中国庶民の感情
 今回、楊が英雄になったことと、松岡が英雄になったことはよく似ている。思うに中国共産党はアラスカ会議に臨むにあたって、松岡の前例を研究したのではないだろうか。
 習近平は国内の反対勢力を恐れている。反対勢力は習近平が「中国の夢」などと称して対外強硬路線をとったことが、対米関係を悪化させて国難を招いたと非難している。油断していると反対派は対米協調を掲げて、習近平を政権の座から引きずり降ろしかねない。このような状況の中で、習近平はアラスカで楊に強硬な発言をさせて、それを中国国内に流したのだろう。
 それは極めて効果的な世論誘導であった。庶民は楊の発言に沸いた。大成功だった。その結果、習近平に反対するグループは外交の失敗を追求することができなくなってしまった。今後、対米協調を提唱した政治家は、それこそ「非国民」として中国の庶民から一斉攻撃を受けることになろう。アラスカ会談によって習近平は庶民を味方につけることができた。その立場は一層強化されたと言ってよい。
 このことは米中関係の将来を暗示している。日本が国際連盟を脱退したのは1933年だが、その後、日本はなにかものに憑かれたように戦争への道を突き進み、そして敗戦を迎える。その背後には、横浜港で松岡を歓呼の声で迎えた無数の庶民がいた。
 習近平の周辺が松岡の事例を研究して楊に芝居を打たせたとしても、中国の庶民がそれに反応しなければ、楊は英雄にはなれなかったはずである。中国の庶民は、欧米が押し付けてくる価値観に強い違和感を抱いている。それは戦前の日本人が欧米に抱いた気持ちによく似ている。
 そうであるなら、中国も戦前の日本と同じような道をたどる可能性が高い。戦前の日本がそうであったように、いったん庶民の反米感情に火がつくと、安易な妥協ができなくなってしまうからだ。
 中国が“熱い”戦争に突き進むことはないと思うが、戦前の日本がそうであったように、時間が経過すればするほど米中関係は悪化する。経済面における覇権争いはますます激化する。その結果、日本は早晩中国との経済関係を見直さなければならなくなろう。それは妥協を拒む中国に対して、米国が一層強硬な態度に出る可能性が高いからだ。
 そのような状況の中で、米国は、日本が中国との商売で利益を得ることを許さなくなる。日本は米国と中国の国論の推移をよく分析して、次の国家戦略を練るべき時に来ている。