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安倍総理の志は死なない!!

英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳

ネコウヨ

奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…
安部 雅延 : 国際ジャーナリスト(フランス在住)
2021年05月07日


フランスの英雄、ナポレオンに対する批判が高まっている


最近のフランス国内のいくつかの世論調査によると、「フランスの歴史上最も誇れる英雄」のトップはジャンヌ・ダルクでも、ドゴール将軍でもなく、ナポレオン・ボナパルト(1世)だという。今年はセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月5日に51歳で他界してから200年になる。そのため、フランス各地でイベントが企画されている。
ナポレオンは君主制を打倒した大革命後に登場した皇帝だ。イギリスやオーストリア、ロシアなど君主制の国が自分の地位を危ぶみ、フランス封じ込めに動く中、それらの国々を跳ね除け、近代戦争の軍隊の礎を築いた人物として知られる。生涯戦績は38戦35勝と圧倒的な強さだ。
ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており、特に敵の動き始めた「動的」状態に勝機を見出す戦術は有名だ。戦争だけでなく、世界のビジネススクールでも、机上の戦略ではなく、物事を進行させながら機会を捉える戦い方が、競争の激化するビジネス界で有効だという理由で教えられている。
戦争以外でのナポレオンの最大の功績は、革命が目指した理念を法的に体系化したフランス民法法典(ナポレオン法典)を書いたことにある。ナポレオンは、ただ権力を振るう皇帝ではなかった。ナポレオン法典は過去の封建制を終わらせ、自由、平等、人権を尊重するフランスを築く基礎になっただけでなく、日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり、フランス人が自画自賛するゆえんとなっている。
活発化する「キャンセルカルチャー」
ところが、フランスでは現在、ナポレオン没後200年を手放しで祝えない雰囲気が漂っている。
欧米ではこの1年間、奴隷制に関与しながら英雄視される歴史上の人物の像を破壊する運動が繰り返された。いわゆるキャンセルカルチャー(本来はコールアウト・カルチャー)の運動が活発化し、21世紀の価値観に沿わない主張をしたり、行動したりした人物を英雄の座から引きずり下ろす運動が繰り返されている。
実はナポレオンもその運動のやり玉にあげられているのだ。ナポレオンは奴隷制を復活させて有色人種を隷属させ、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたためだ。その2つがある限り、英雄としての資格はないという主張がキャンセルカルチャーの運動をする人々からなされ、フランス国民や政府を困惑させている。
アメリカでは2013年に黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が起こった。
昨年夏、黒人のジョージ・フロイドさんが警官の暴力で死亡したとされる事件で運動はさらに拡散。南北戦争で奴隷制存続を指示した南軍に関係する像など記念碑の破壊や撤去が急増した。イギリスで、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像がデモ隊によって破壊されるなど、ヨーロッパにも波及している。
これら人種差別を批判する潮流とともに、差別者の認定を受けた人物がSNS上などで徹底的に批判され、辱められるキャンセルカルチャーも横行している。日本でも性的マイノリティー(LGBT)への差別(それ自体は不当)に敏感となり、差別者へのバッシングは厳しさを増している。
イギリスでは海に放り込まれたコルストンの銅像を博物館に陳列し、いいことと悪いことの正確な史実の説明を加える方針を打ち出した。なぜなら、英国近代史の最高の英雄ウィンストン・チャーチルもアジア人蔑視で知られ、過去の英雄を今の価値観に照らせば、問題のない英雄はいないという事情もある。
廃止していた奴隷制度を復活させたナポレオン
フランスでは、革命後の1791年に植民地だった現在のハイチで黒人奴隷反乱が起き、国民公会は1794年に奴隷制度を廃止した。ところが権力を掌握したナポレオン1世は、1802年に奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした。その後、ハイチは1804年に独立し、奴隷制度が廃止されたのは1848年の2月革命で樹立された共和制政府によってだった。
奴隷制の残酷さは日本ではあまり知られていないが、奴隷商人によって家族はバラバラに売買され、人間として扱われなかった。今でもその扱いを受けた先祖を持つ人々の恨みは消えていない。
3月18日付のニューヨーク・タイムズはハイチ出身の黒人女性の研究者、マルリーン・ダート教授の寄稿を掲載し、「フランス人はナポレオンが行った奴隷制復活の暴挙を知りながら、まるで何事もなかったかのように、その歴史的罪を論じようとしない」という批判の記事を掲載した。
彼女の批判は、ナポレオンだけでなく彼の政策を支持したフランス国民やフランス軍にも向けられ、「恥ずべき歴史と向き合おうとしていない」「BLM運動の潮流を無視して、ナポレオン没後200年を祝おうとしている」と批判し、キャンセルカルチャーにも影響を与えている。
無論、フランスでも議論がないわけではない。パリ北東部、ラ・ヴィレット公園内にある「グラン・アール・ドゥ・ラ・ヴィレット」で大規模な「ナポレオン展」が本来は4月14日から開催予定だったが、コロナ禍のロックダウンで延期されている。このイベントの企画段階で、歴史学者から、ナポレオンの失政部分を隠蔽すべきではないという指摘があった。
奴隷制復活だけでなく、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたことへの批判も根強い。
ナポレオンが定めた民法では、妻と子供に対する家長の権力は絶対的であり、妻は夫に従わなければならないと定められている。さらに1810年のナポレオン民法の下では、夫が自宅で妻の不貞行為に遭遇した場合、妻を殺害したとしても罪に問われないと定められていた。
ナポレオン自身、生涯に2度結婚したが、そのほかに少なくとも3人以上の愛人がいたとされる。男性中心社会であったことは確かで、そもそも革命後の「人権宣言」には女性の権利が含まれていなかった。ナポレオンの民法が原因かどうかはわからないが、婦人参政権法案が採択されたのは1945年4月と欧米主要国の中では最も遅かった。
自由、平等、友愛をうたう大革命で、女性はほとんどの政策意思決定に関わっていなかった。カトリックの教えでは家父長制度が当然とされ、女性聖職者は今でも認められていない。フランスの歴史に深く関わってきたとされるフリーメイソンも男性の秘密結社だ。筆者のフリーメイソンの友人は「女性は政治に向いていない」と言い切っている。
当時の社会慣習からすれば当然といえるもの
ナポレオンの定めた民法での妻の夫への絶対従属は、イスラム教の教えにも似ているが、当時の社会慣習からすれば、当然ともいえるものだった。
ナポレオン民法は当時、女性の従属的地位を決定的なものにした。そこから女性が社会的、政治的に平等な地位が与えられるまでに100年以上の年を要した。
1970年代以降、フランスでのフェミニズム運動が世界的に知られるようになった背景に、ナポレオンの存在があると主張するフェミニズム活動家は少なくない。フェニミズム運動家もまた、ナポレオンを称賛することを認めない勢力として、没後200年のイベントに注文をつけている。
しかし、フランスはヒステリックなキャンセルカルチャーに加わるつもりはないようだ。
そもそもフランスでは、政治指導者に聖人君主的なものは求めていない。実際、ミッテラン大統領以降の歴代大統領の浮気、離婚、隠し子は政治生命には影響していない。マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ。
戦中戦後のリーダーだったドゴールのように「支持率が50%を切ったら大統領をやめる」と言った誠実でモラルの高い政治家を尊敬する側面もあるが、政治権力者が市民と同じように権力や金に執着し、男女の色恋に弱い(セクハラは別だが)のは、庶民に近くていいという感覚もある。
ノブレスオブリージュの精神が失われている
マクロン大統領は、戦後創設された上級公務員や政治家を養成する国立行政学院(ENA)を廃校にし、さらにはほかのエリート養成のグランゼコールの改革に取り組もうとしている。理由は市民離れした特権階級化を防ぐためだが、一般国民は大した変革はできないと冷ややかだ。
グランゼコールの中には理工系のエコール・ポリテクニークがある。同校は革命後に設立され、ナポレオン1世が軍学校にしたエリート養成校だ。だから今まで毎年、革命記念日に同校の学生が軍服をまとい、パリのシャンゼリゼ通りを行進してきた。
ENA廃校によるエリート教育のリセットには、ナポレオン時代から指導者教育で強調されたノブレスオブリージュ(高貴の義務)、すなわち権力者は私欲を排して公的に尽くす義務があるという精神が失われたこともある。いわゆる指導者のコンプライアンス問題だ。
その典型がポリテクニークの卒業生で、背任罪や私的資金乱用罪で起訴された日産自動車の元会長のカルロス・ゴーン被告だ。
ナポレオンは確かに奴隷制を復活させ、女性の地位を決定づけたという意味で、今の価値観では認められないかもしれない。しかし、ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えたことは否定できない。
200年以上前の時代状況を今日に当てはめれば、英雄の価値は減ってしまうのだろう。ただナポレオンは今のビジネスにも通じるリーダーシップや戦略戦術の面で残した功績も大きい。国の方向性を決定づけ、ヨーロッパを変えてしまうほどのスケールの大きな指導者だったことの評価は、これからも変わらないだろう。