Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

日本の選択 再び起きた凶行の「遠因」岸田首相襲撃事件 安倍氏の暗殺で相次いだテロを擁護するような発言 マスメディアに責任はないのか

岸田文雄首相(自民党総裁)が衆院和歌山1区補欠選挙の応援で訪れた和歌山市内の街頭演説会場で先週末、爆発物が投げ込まれる事件が発生した。爆発物の破片は約40メートル離れた場所でも発見されており、和歌山県警は殺人未遂容疑の適用も視野に調べている。安倍晋三元首相が昨年7月、奈良市での街頭演説中に暗殺されてから1年もたたないうちに再び起きた凶行。今回の事件の遠因として、一部のメディアや識者が、テロリストに同情するかのような言論を発信していたことを指摘する声がある。政治学者の岩田温氏が考察した。

安倍元首相© zakzak 提供

恐れていた事態が発生した。衆院補選のため、和歌山市の漁港に応援に駆けつけた岸田首相に向かって爆発物が投げつけられた。幸いなことに首相にケガはなく、犯人は取り押さえられたが、危うく大惨事になりかねない状況だった。仮に、犯人の所持していた爆発物が大爆発していたら、聴衆まで殺傷されかねなかったのだ。
「恐れていた事態」と記したが、これは私が予言者であるからではない。当然のことだが、未来を見通す力など持ち合わせていない。だが、昨年の安倍元首相を殺害したテロ事件の際に、同様のテロ行為への「危険な兆候」を感じ取っていた。
思い返してみてほしい。安倍氏が凶弾に倒れた際、「テロリズムは絶対に許してはならない」という断固たる決意が示されていただろうか。テロを婉曲(えんきょく)に擁護するような発言が相次いではいなかったか。
「確かに、テロや暴力は擁護できない。しかし、云々…」という言葉が、マスメディア、リベラル界隈(かいわい)でまかり通っていなかっただろうか。犯人の動機や背景以前に、テロリズムは絶対に許さぬとの断固たる決意が示される必要があった。
選挙に際し、有権者である国民に向かって政治家が信念を訴える。「民主主義の根幹」だ。国民は政治家の顔を眺め、声を聞き、その主張を吟味する。賛同するにせよ、反対するにせよ、政治家と直接会い、その声を聞く貴重な瞬間だ。
実際に会ってみると、世間の評判とは異なり、「なかなか、見どころのある政治家だ」と思う有権者も存在するだろう。逆に、演説は上手だが、「巧言令色すくなし仁」と判断する有権者がいてもよい。
いずれにせよ、選挙で直接政治家の話を聞くことは、国民が政治家を判断する重要な機会だ。政治家が国民に直接訴えることを恐れ、国民もまた政治家の話を聞いてテロに巻き込まれることを恐れたとしよう。政治家と国民との貴重な交流の場が喪(うしな)われることになる。
この機会が奪われることは、民主主義が危殆(きたい=危険)に瀕(ひん)していることを意味する。
だが、安倍氏の死後、テロリストを擁護するかのような映画が製作され、朝日新聞をはじめとするマスメディアは、この映画の上映情報を紙面などで喧伝した。国葬儀は否定され、あたかも安倍氏が悪かったから暗殺されたとでもいわんばかりのコメントが垂れ流された。
■「テロは許されない」国民的合意を
「表現の自由」「思想・信条の自由」を重んずる自由民主主義社会で、テロリストを擁護する映画を製作する人が存在することは否定できない。私はそのような類の映画を製作する人々の神経を疑うし、それを鑑賞する人々にも不気味さを感じる。
だが、表現の自由は守られて然るべきだ。といって、マスメディアがこれを紹介する必要はあったのだろうか。あたかも映画に一見の価値があるかのように報じたマスメディアに責任はないのか。
テロ事件を「でかした!」と絶叫する人、「世直し」とテロを擁護する人。彼らは、自らの発言が第2、第3のテロを誘発しかねないことを自覚していたのだろうか。
「何があろうともテロリズムは許されない」「理由の前にテロリズムは否定されるべきである」
こうした国民的合意が形成されなければ、「負の連鎖」は続く。日本の民主主義を守る断固たる決意が日本国民に求められている。
■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。大和大学准教授などを経て、現在、一般社団法人日本学術機構代表理事。専攻は政治哲学。著書・共著に『日本再建を阻む人々』(かや書房)、『政治学者、ユーチューバーになる』(ワック)、『エコファシズム 脱炭素・脱原発・再エネ推進という病』(扶桑社)など。ユーチューブで「岩田温チャンネル」を配信中。