Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

どうしてこんな体たらくの自民党になったのか

 日本学術会議が推薦した105人中の6人を菅義偉首相が任命しなかった問題を発端に、学術会議の問題点が次々に明らかになってきた。


 創設以来、適時適切な提言などを行っていないこと、会員の選定が偏り共産党の隠れ蓑と化していること、科研費等の配分にも影響力を及ぼし文系偏重などである。


 しかし、最大の問題はナショナル・アカデミーの立場にありながら、国益に資するどころか国家の力を削ぎ、国力を毀損する声明を出し、また行動をしてきたことである。


 自民党は長く政権を維持しながら、他方でこうした組織を放置してきた責任は免れない。


 そこで、学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム(PT、座長・塩谷立元文部科学相)を素早く立ち上げたことは言うまでもない。


 党が思い切った提言をし、首相が他党との関係なども考慮し譲歩するなどして法案化するのが通常であろうが、自民党の提言は最初から腰抜けでがっかりさせるものであった。


脊椎をなくした日本
 小沢一郎衆議院議員の近年の行動、特に日本共産党や左傾化の著しい立憲民主党への接近には賛成し難い。


 しかし、かつて自民党を離党した行動は、自民党に「喝」を入れるためであったという言い分は納得できた。


 小選挙区制に移行して代わり得る政党を育てる必要性を説いていたからである(江藤淳『小沢君へ、一度水沢へ帰りたまえ』)。


 カンボジアに選挙監視で派遣された某文民警察はロシア製武器を持ち込んでいたし、PKO(平和維持活動)で派遣した自衛隊には持っている部隊防護兵器さえ持たせようとしなかった。


 端的に言えば、政権政党が想定外も予測される外国へ派遣する警察や自衛隊を信頼していなかったのだ。


 その後の自民党は細川護熙氏の日本新党に政権を奪われ、ついには政権奪回のために見境もなく対局にある村山富一氏の社会党と連立して、「脊椎を無くした日本」*1になり果てた。


 こうした自民党は一度ぶっ壊して出直すほかないと登場したのが小泉純一郎氏であった。


 派手なアドバルーンやゼスチャーで人気をとり、靖国参拝では中国に対抗したが個人的な振る舞いの域を出なかった。


 自民党の立て直しはスクラップだけではだめで、国家を機能不全にしている憲法の改正でビルドする必要があったし、それは自民党の結党以来の党是でもあった。


 自衛隊のイラク派遣を小泉内閣の快挙と見る向きもあるが、いつ〝戦場″になってもおかしくない場所に手足を雁字搦めに縛って送り出した。


 万一派遣隊員が外国人を殺傷した場合には、帰国後に国内法で裁かれ、犯罪者になる危険性さえあった。


「結果良ければ全て良し」ともいうが、実際は無責任極まりない状況での派遣で、自衛隊は「成功例としてはいけない」教訓の一つにしていると仄聞した。


 国家を代表する武力組織は、敵から攻撃され衣食住が絶たれても存続(自己完結能力という)して任務を遂行しなければならない。


 それが許されず、外国軍隊に守ってもらう態勢に置かれ、現地の自衛隊は世界の恥さらしにあったのだ。


 経済では世界に冠たる日本(の自衛隊)がこうした状況に置かれるのは本末転倒である。政権政党の意気地なさが脊椎をなくした日本にしている。


「日本であって日本でない」状況をもたらしているのが憲法である。


 いうまでもなく、最大の被害者は拉致家族である。主権を侵害して無法に連れ去られた「日本人」を取り返せない日本は「主権国家」ではあり得ない。


 政権政党の体たらくがもたらしていることは言うまでもない。


*1=スペインの哲学者、イ・ガセット・オルテガの『脊椎をなくしたスペイン』は、スペインの没落は大衆が指導者に従わない不従順にあるとした。さらに思索した結果が『大衆の反逆』で、義務を果たさずに諸権利を主張するばかりの大衆の出現を警告した。


自民党は「影をなくした男」になったのか
 日本の脊椎をなくさせている自民党は、自身が「影をなくした男」*2になり下がり、存在自体が架空の状態、バーチャルな世界に生きている状況ではないだろうか。


 安保法制にしても、北朝鮮の核開発・弾道ミサイル発射対応にしても、そして現在も続く新型コロナウイルス感染症問題への対処にしても、自民党に「日本を背負っている」「日本の舵取りをしている」という自負がみられたであろうか。


 日本という国家を規定する憲法が至る所に軋みをもたらしている。


 しかし、改正できない。衆参両院でその可能性があった時期においてさえ、ついに実現できなかった。


 安倍晋三前首相は改憲の意欲をしばしば示したが、憲法改正原案、憲法改正の発議を審議できる「憲法審査会」において、自民党は主導性を発揮しなかった。


 選挙で示された民意を預かっていながら、一部の野党に阿っているからで、何をか況やである。


 少数意見も尊重するのが民主主義の原則ではあるが、話し合いをして妥協を重ねても野党が「(委員会を開けば)採決して改正にもっていくのが目に見えている」として、委員会の開催に反対する。


 だから自民党が妥協して「委員会を開かない」では民主主義の原則に悖るし、ものごとは一歩も進まない。


 国家の安全を国民は重視して、それを果たしうるのは自民党だと認識して数次の国政選挙で国民は自民党を支持し続けてきた。


 しかし、それに十分応えていない党に成り下がっているのではないだろうか。


*2= 『影をなくした男』は元フランス貴族のシャミッソー作。フランス革命で貴族を剥奪され、ドイツ籍となり独軍に勤務。しかし、生まれた国をなくした男には心の落ち着きがない。生国を「影」に準えている。


GHQが仕組んだ日本骨抜きの2本柱
 憲法改正の好機を逃して、バトンは菅首相に渡された。新型コロナ対策は難渋しているが、日本に限ったことではない。


 治療薬はないし、ワクチンはようやく出始めたが、国民に行きわたるには数か月がかかる。緊急事態宣言を出そうにも、憲法にその根拠がない。


 東日本大震災で「想定外」への対処がもたつき、被害を拡大した。その教訓から憲法に「緊急事態条項」の必要性を政治家も国民も強く感じた。


 日常生活に欠かせない電力の計画停電も行われたが、「要請」で凌いだ。


 生命維持装置などの電力供給が止まれば正しく生命の危機であるが、優先順位と要請で済まさざるを得なかった。どこまでも野党の反対からである。


 民主主義も度が過ぎれば衆愚政治になり替わる。少数意見も汲み上げ考慮するが、最終的にはどこかで線引きして決を採る必要がある。


 しかし、そうした民主主義の原理原則を忘れた東日本大震災以降の10年、いや自民党の迷走の始まりからは30年ではないだろうか。


 日本では共産主義思想は許されるが、その実行は基本的には許されないのではないだろうか。


 というのは、共産党の最終目標は「天皇制」(この言葉自体が共産党用語)の廃止であり、議会制民主主義も採用しない「一党独裁」であるからである。


 現在の日本国憲法はGHQ(連合国軍最高司令部)が日本骨抜きを意図して作ったもので、共産党系が「9条の会」などを結成して必死に守り続けようとしている。


 同様にGHQの指導で日本学術会議がつくられた。


 政府の諮問に応え提言する日本を代表する学者の組織という立場であるが、創設の経緯から共産党の隠れ蓑になっており、「軍事研究はしない」旨の累次の声明は、〝日本骨抜き″以外の何物でもない。


大山鳴動して画竜点睛を欠いた答申案
 菅氏は首相になった直後に学術会議から交代期の会員推薦を受けた。官房長官時代から抱懐していた問題意識から内閣法制局などと調整した上で文系6人の任命を却下した。


 左派系マスコミとそれに便乗した一部野党は「非任命の理由」説明を求めたが、首相は「総合的、俯瞰的」に判断し、「多様性」が必要であると説明した。


 自民党からは「より丁寧な説明」が必要としながらも、首相の判断を是認する意見が多く聞かれた。


 また、学術会議が日本では「軍事研究をしない声明」を出しながら、軍民融合で世界一の軍事力構築を目指す中国の科学技術関係団体と提携していることに対する批判が高かった。


 ところが、自民党PTの提言では、政府から独立した法人格への改編がふさわしい、政府は1年以内に具体的な制度設計をせよなどとしながらも、「軍事研究」問題に触れずに素通りしたもので、党内から「手ぬるい」の声が上がったのは当然である。


 そもそも、ナショナル・アカデミーに位置づけられる組織であるからには、最大関心事は「国家の存続」にかかわる非常時対応の理論的研究の必要性ではないだろうか。


 組織論も重要であるが、科学技術的な軍事研究、いうなれば今日の安全保障戦略においては両用技術の重要性などへの言及も避けて通れなかったはずであろう。


 今回の自民党の提言は、「大山鳴動」した割には抜本的でなく、現組織が軍事研究に否定的である点を指摘していないのは「画竜点睛を欠く」と言わざるを得ない。


おわりに:


日本はとっくに「国防崩壊」している


 新型コロナの感染拡大で、医療関係者が「医療崩壊」を口にしない日はない。


 しかし、国土防衛に必要な自衛隊員は平時においさえも約90%の充足率で、幹部と専門職の准尉・曹は97%であるが、実際に動き回る兵士に至っては74%強でしかない(令和元年版・防衛白書)。


 ざっくり言えば、部隊の中心となって働く隊員が不足しているわけで、兵器・装備はあっても稼働できない「国防崩壊」の状態である。


 しかし、隊員は一切「任務が達成できない」とは言わない。


 ほかでもないが、平時の自衛隊は教育・訓練に明け暮れ、「崩壊の実態」や「任務の達成度」は敗戦の暁にしか見えないからである。しかし、それでは自衛隊の存在意義はない。


 教育・訓練が十分できない状況は、卑近な例でいえば、右利きが左手で歯磨きせよと言われてもすぐにはできない状況であろう。


 あらゆる事態を想定して教育・訓練し、時には敵・味方に分かれて実戦形式で演習して習熟の度合いを確認する必要がある。


 こうしたことを繰り返すことによって、どんな環境下においても能力発揮ができることになるが、充足率の不足の上に、災害派遣などで個々の隊員の訓練時間が削減され、最も大切な部隊としての訓練が阻害される。


 いつまで経っても左手でスムースに歯磨きできない状態である。


 富士総合火力演習を参観した多くの人は、射撃の正確性などに目を見張るであろう。うたい文句も「世界一の練度」である。


 しかし、その裏には展示部隊の「演習に特化」した必死な努力がある。


 自衛隊が「国土防衛」の任を果たすためには、100%の「充足率」と、全部隊の「防衛に特化」した教育・訓練が必要である。


 これを行ってはじめて、指揮能力や射撃の練度で「日本防衛」という任務が可能となる。


 このようにみると、災害派遣などの「時間」はないはずで、便利屋に使われているといわざるを得ない。


 災害派遣は国民に歓迎され表看板みたいになっているが、実際は自衛隊の訓練などに支障をきたすという意味では最大の問題点でもある。


 いざとなれば「人・物・金」が充当されるであろうが、その時点はすでに「国防崩壊」の結果が露な時でしかない。


 医療崩壊に国民が寄せる思い同様に、国民には「国防崩壊」についても意識してもらいたい。


 その啓蒙は政権与党として自民党の活動による。日本学術会議問題は国防崩壊をきたさない重要な問題の一つである。