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安倍総理の志は死なない!!

父を探しに ウイグル人女性の死 「なぜ止められなかったのか」 在日コミュニティーに広がる動揺

 あるウイグル人女性の死亡の知らせに、在日のウイグル人コミュニティーが動揺している。中国政府は新疆(しんきょう)ウイグル自治区で暮らす少数民族への弾圧を強めており、この女性の父親らも相次いで「強制収容所」に収監された。女性は居ても立ってもいられず、父親を探すために自治区に戻ったが、昨年末に亡くなったことが伝わった。知人らは女性が帰国すれば、命の危険があると分かっていながらも、思いとどまらせることができなかった無念さを感じている。


 女性はウイグル自治区南西のカシュガル地区出身のミヒライ・エリキンさん。中国の上海交通大学を卒業し、2014年9月に来日した。東京大学大学院などで勉強する傍ら、日本人や在日ウイグル人の子供たちに英語やウイグル語を教えていた。将来の夢は、故郷に帰って日本で身につけた知識を生かすか、ウイグル語を守るため子供たちにウイグル語を教えることだったという。


 故郷でのウイグル族への迫害は17年ごろから悪化の一途をたどった。ミヒライさんの父親は、自治区の学校で排除されているウイグル語の「私塾」を運営しており、このためか、同年4月以降、父親ら複数の親族が収監されたとの情報がミヒライさんのもとに届いた。


 中国当局は自治区で厳格な情報統制を敷いているが、運よく収容所から解放された人らが、断片的に会員制交流サイト(SNS)などで収容所の実態や収容者の情報などを発信している。


 収容所ではウイグル人としてのアイデンティティーが否定され、中国文化を賛美する「洗脳教育」が行われていることなどが、海外の研究所やメディアなどで映像や証言を通じて多数報告されている。


 知人らによると、ミヒライさんはろくに食事もとれないほど、精神的に追い詰められていた様子だったという。周りには落ち着かない様子で「帰りたい」とこぼしていた。


 だが、海外で暮らすウイグル人が自治区に戻れば、スパイ行為を疑われ、収容所送りのリスクがある。日本ウイグル協会によれば、ここ数年、日本から自治区に戻った在日ウイグル人はほとんどいないという。


 19年夏、ミヒライさんは周囲に相談することなく帰国を決心すると、友人に置き手紙を残し、成田空港に向かった。ミヒライさんの日本留学をサポートした自治区出身のある女性は、手紙を見た友人から連絡を受けると、運転していた車をコンビニエンスストアの駐車場に止め、急ぎミヒライさんに電話をかけた。


 「あなたは帰ったら絶対どこかに連れていかれるよ。ウイグル人ということが罪になってしまうよ」


 電話での説得は1時間近くに及んだが、すでに出国直前のミヒライさんの決意は固かった。


 「お父さんを探したい。お父さんは私たちを育てて、今まで苦労してきたのに、私が何もできずに、日本で待つことはできない。お父さんのために死んでもいいから何かやりたい」


 ミヒライさんには特に身が危険である事情もあった。ミヒライさんの親族の一人が、亡命した欧州でウイグル族の窮状を訴える“有名人”だったからだ。中国当局は危険人物の親族も同様に警戒するため、ミヒライさんも帰国すれば収容所に送られる可能性は高かった。


 日本出国後、数カ月がたち、日本で暮らす知人のもとには、上海の病院に入院しているミヒライさんの写真が送られてきた。生きていたことに、周囲は安堵(あんど)したが、やはりというべきか。


 今年1月、欧州の親族を通じ、「ミヒライさんは昨年12月24日に亡くなりました」との情報が日本ウイグル協会に届いた。30歳だった。死因や死去した場所などは不明だ。ただ、ミヒライさんが収監されていた情報は、日本ウイグル協会の幹部らも把握していた。関係者は、ミヒライさんの死に中国当局が関与しているとみている。


 在日ウイグル人にもたらした衝撃は大きく、ミヒライさんを説得した女性は「死の情報が来てから、みんなが後悔した。なんであの時、空港に行ってでも、止められなかったのか」と自分を責め続けている。


 多くの在日ウイグル人らは、いつかは自治区に戻り、日本で学んだ経験を故郷の発展に役立てたいという思いを抱いている。だが、帰れば強制収容所に送られかねない。親族の入院の見舞いや葬式にも駆けつけられないのが実情だという。


 日本ウイグル協会のレテプ・アフメット副会長もミヒライさんとは家族ぐるみの交流があったといい、こう訴える。


 「中国の収容政策がミヒライさんの命を奪った。自治区ではウイグル人の命の重さというものを全く無視した行いが起きている。世界中、どの社会でも許してはいけない。日本で教育を受け、何年も日本人と交流のあった人がある日突然、いなくなってしまうことに日本の人にも声を挙げてほしい」(政治部 奥原慎平)