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安倍総理の志は死なない!!

強制収用へ一転、静岡知事が翻弄「沼津駅高架」

貨物駅不要論から10年、リニア問題と似た構図
小林 一哉 : 「静岡経済新聞」編集長
2020年12月02日
川勝平太静岡県知事は11月10日、JR沼津駅周辺総合整備事業に伴い、新貨物ターミナル整備予定地の反対派地権者に対する強制収用の手続きに入ったことを明らかにした。
2009年7月、初当選した川勝知事は「絶対に強制収用は行わない」と事業の見直しを宣言、翌年には「貨物駅不要論」を唱えたため、一時、事業はストップしていた。その後10年間、紆余曲折を経たが、強制収用の実施で、来年春から静岡県東部の拠点都市・沼津で総額約2000億円の大型事業が本格的にスタートする。


知事は当初、強制収用を否定していた
総合整備事業の核となる沼津駅鉄道高架事業は、市街地を南北に分断する東海道線3.7km、JR御殿場線1.6kmの計5.3kmを高架にする計画。高架設置によって、13カ所の踏切がなくなり、南北の幹線道路8路線を立体交差する道路整備、土地区画整理事業などによって、渋滞緩和や防災上の安全、駅周辺の活性化などを図っていく。ただ、鉄道高架事業を進めるには、沼津駅構内にある貨物ターミナル(11.8ヘクタール)、車両基地(6.2ヘクタール)の移転が前提となる。
1988年当時の市長が鉄道の高架化を表明、市議会も特別委員会を設置、市を挙げて事業に乗り出した。2002年に鉄道高架事業の都市計画決定が行われ、2006年には鉄道高架事業の事業認可を取得、沼津市は、新貨物ターミナルを原地区(JR原駅と東田子の浦駅のほぼ中間地点)、新車両基地を片浜地区(沼津駅と片浜駅のほぼ中間地点)への移転先に決めて、用地買収を進めた。地権者166人のうち、29%に当たる48人が買収に応じていなかったため、市では強制収用に向けた調査をスタートした。
しかし、公共事業見直しを公約とした民主党などの推薦で初当選した川勝知事は2009年10月、沼津駅高架事業について「話し合いで土地の買収を進める」として「強制収用」を全面的に否定、静岡県初の事業仕分けの対象に選んだ。事業仕分けでは5人の委員全員一致で「要改善」とされ、「コストの透明性確保」、「県民の理解を得る」の2つの注文が付けられた。
知事は2010年1月23日、高架事業の賛成派、反対派が一堂に会した集会に出席、その席で突然、「貨物駅不要論」を提唱した。JRの貨物取扱量のうち沼津分は0.4%弱にすぎないと指摘して、「ゼロに等しい数字。貨物駅を移す必要があるのか」と述べ、沼津に貨物駅は不要であり、原地区の土地買収を伴わない事業推進を打ち出した。反対派は、貨物駅を移転せず廃止してしまい、原地区の土地買収は不要となる知事提案に大きな期待を抱いた。計画策定から約20年たった時点で、知事が事業の枠組みを根底から変えてしまったのだ。
いちばん驚き、混乱したのは、寝耳に水の沼津市だった。鉄道高架事業は貨物駅の移転抜きでは前進しないため、県と市は共同でJR貨物に沼津駅から移転してほしいと要請、了解も得ていた。知事の「貨物駅不要論」で、移転ではなく貨物ターミナルの立ち退きのみを迫られたJR貨物は「輸送拠点として貨物駅の必要性は大きい」など不快感を示した。


有識者会議の結論は「移転が妥当」
当時の栗原裕康市長は「知事の貨物駅不要の提案をまったく知らされていなかった」として、すぐに、県庁を訪ねたが、川勝知事は栗原市長にあらためて「貨物駅不要論」を説き、話はかみ合わなかった。沼津市は買収済みの新貨物ターミナル用地をどうするのか、計画変更の事業の遅れなどを懸念したが、事業主体は県であり、知事提案に乗るしかなかった。栗原市長は知事に、JR貨物と責任ある交渉を任せるとして、原地区の収用手続きの調査を撤回して、予算措置を取り消した。
川勝知事は「貨物駅不要論」を唱えたが、その後、貨物駅の新たな移転先として、富士市内の別の駅に統合できるのか、国土交通省に調査を求めた。JR貨物は、当初から富士市や東静岡地区では、面積や距離の問題で困難であると伝えている。
2010年7月、県は沼津駅高架化を検証する有識者会議(座長・森地茂政策研究大学院大学教授)を設置した。約1年間かけて議論を行い、2011年6月、高架事業の実施には「沼津貨物駅移転が不可欠」として従来の計画通り、原地区への移転が「妥当」とした結論を知事に報告した。県担当課は「報告書の内容に沿って、原地区への移転を前提に住民との協議を進める」としたが、知事は「貨物駅不要論」をあきらめたわけではなかった。
それから4年ほどして、知事は「貨物駅不要論」を取り下げて、県議会で高架事業の推進を明言した。低環境負荷の大量輸送手段であり、阪神・淡路大震災、東日本大震災でトラック輸送に頼った脆弱性が明らかになり、貨物ターミナルの整備がいかに重要かを理解したことで知事は方針を転換したようだ。
2014年9月県議会で川勝知事は事業推進を表明、ようやく振り出しに戻った。そこから再スタートとなったが、用地確保は困難を極めた。昨年9月、県、市は土地収用法に基づく手続きに入った。今年4月、県収用委員会の未買収用地の権利取得と明け渡しを求める裁決が下り、市は未買収用地7件の地権者9人に補償金を支払い、所有権を取得した。ただ、土地にある立木、墓、農作物などの物件所有権の明け渡しを元地権者に求めていたが、元地権者1人が明け渡しに応じないと表明した。
川勝知事は10月27日、「強制収用はできる限り避けなくてはならないが、強制というより、法律に基づいたものなので仕方ない。強制収用しなければらちが明かない立場もありうる」などと述べ、「絶対に強制収用は行わない」とした立場から一変していた。この結果、県と市は11月10日、代執行庁(県知事)に強制収用の請求を行った。


知事発言で事業が4年間ストップ
このあと、勧告書、戒告書の送付手続きなどを経て、川勝知事がいつ強制収用を実施して、物件を撤去するかに焦点が移った。
12月24日に静岡地裁で、元地権者らが国、県を相手取った鉄道高架事業の事業認定無効確認訴訟の判決が言い渡されるが、知事は粛々と手続きを進めていくだけだろう。
知事の横やりで事業が10年近く遅れたと嘆く沼津市民らは多い。市関係者は「沼津市民も県知事として川勝さんを選んだ責任は大きい」とあきらめの心境だ。
特に、知事の「貨物駅不要論」に翻弄された栗原元市長は「4年間は知事の貨物駅不要論で事業は完全にストップした。知事に沼津市のこれまでの取り組みや貨物駅の必要性を何度も説明したが、まったく聞く耳を持たなかった。ただの巧言令色である。政治家として責任を取ることはなかった」と批判した。
「貨物駅不要論」当時の川勝発言を振り返ると、リニア静岡問題と構図はよく似ている。沼津の鉄道高架事業もリニア静岡問題も知事発言に翻弄されているのだ。新貨物ターミナルの完成までに長い時間がかかりそうだ。