Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

コロナ対応失敗の根源か 民主党政権が軽視した新型インフル報告書

 日本はコロナ対応に完全に失敗した国だといえるだろう。医療面では、人口あたりの病床数が先進国でも飛び抜けて多いにもかかわらず、重症患者やハイリスクの高齢者が病床不足で入院できない医療崩壊を招いた。
「国策」の誤りも大きい。日本の歴代政権は感染症対策を軽視し、保健所数は1994年の847か所から2020年には469か所に半減。感染症専門医も少なく、感染症指定医療機関(第2種)で専門医がいるのは3分の1に過ぎない。
 結果、新型コロナで保健所のマンパワー不足が露呈し、PCR検査や感染者対応がパンクした。
「公衆衛生が発達した日本では、保健所は行革の対象にされ、専門家が感染症の備えの必要性を主張しても政治家は耳を傾けなかった」(元保健所長)
 感染拡大に備えるチャンスはあった。麻生内閣当時に世界で猛威を振るった新型インフルエンザ(2009年)の対応の反省から、厚労省が設置した感染症専門家などをメンバーとする「新型インフルエンザ対策総括会議」(座長・金澤一郎日本学術会議会長)は翌2010年6月、保健所の体制強化や医療機関との連携、ワクチン開発から水際対策まで改善を求める報告書を厚労大臣に提出した。時の首相は「薬害エイズ」の責任追及で名を上げた菅直人氏、厚労大臣は長妻昭氏だ。
 ところが、報告書が活用された形跡はない。当時の提言が実行されていれば、感染対応のここまでの混乱は防ぐことができたはずだ。
 責任は当時野党だった自民党も同じだ。新型インフルでは政府が海外から大量(9900万回分)のワクチンを緊急輸入したが、日本での感染が比較的軽微(感染者約900万人)に終わると、自民党は批判を浴びせた。国会で「(大量のワクチンは)どう考えても必要ない」と政府を追及したのが加藤勝信氏(現官房長官)である(2010年1月25日の衆院厚労委員会)。
 皮肉な巡り合わせで、その加藤氏は新型コロナが広がると厚労大臣として対策の責任者となった。しかし、「37.5度以上の発熱が4日以上続いた場合」という厚労省の受診基準が厳しすぎると批判されると、「それは国民の誤解」となんと責任を国民に転嫁してみせた。
 この人物の責任はまだある。今月からスタートするワクチン接種を巡って、接種できる人数が予定より2割近くも少なくなることが国会で大問題になっている。政府が2億本調達した注射器(シリンジ)の仕様では「1瓶6回分」使える予定のファイザー製ワクチンが「5回分」しか使えないことが判明したのだ。
 昨年7月、医療機器メーカー6社の社長に注射器の増産を要請したのは、厚労相だった加藤氏である。ファイザー社のワクチンが、特殊な仕様の注射器を使った場合にのみ、6回分を取れることがわかったのは昨年12月だ。その段階で加藤氏は自分が買い付けた注射器では5回分しか使えないことがわかっていて然るべきだ。事前に指摘できたはずの加藤氏の責任は大きい。
 前述の総括会議の報告書が活用されなかった問題では、田村憲久・厚労相も責任を負う立場だ。
 政府が感染症への備えを見直す機会は2012年にもあった。この年、致死率5割とされる「中東呼吸器症候群(MERS)」が欧州、韓国などに広がり、日本も水際対策を迫られた。
 だが、この時も野田佳彦政権と次の安倍政権は総括会議の報告書にある「感染防止」体制を強化しようとはしなかった。
 2012年から第2次安倍政権の厚労相を務めた田村氏は、後に報告書についてこう語っている。
〈何とかしなくてはという最優先課題に挙がっていなかったのは反省点だ。韓国や台湾における重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)の流行経験は日本にはなかった。対岸の火事とせず、わがふりを直さなくてはいけなかった〉(東京新聞20年6月21日付)
 その田村氏が加藤氏に代わって再び厚労相となると、厚労省は「注射器」問題や接触アプリ「COCOA」の不備など、感染拡大防止の要となる政策で失態を重ねている。
※週刊ポスト2021年2月26日・3月5日号