ネコウヨの散歩

ネコと憂国

草葉の陰から李登輝が日本を叱る

 いよいよ日本の運命を決する時が近づいてきた。自由主義社会で生きるか、言論などが圧殺される社会で生きるかの分かれ道である。
 日本は民主化されたミャンマーに相当食い込んでいると仄聞してきた。大学の後輩からは、ミャンマーで銀行業を行う同僚はアウンサンスーチー国家顧問とも連絡が取れるほどだとも聞いた。
 そうであるならば、商売人の性として、政権側だけでなく軍部などにも相当入り込んでいたに違いない。
 そのミャンマーで2月1日にクーデターが起き、ほぼ2か月が経つ。軍事政権は国民の犠牲者を顧みない強行作戦をとり続けている。
 民主化をさほど歓迎していなかった軍の背後には中国の影が漂い、国連も機能しない。いまこそミャンマーの各界に食い込んでいた日本の出番ではないだろうか。
 大東亜戦争でも東南アジアが焦点になったように、この地域は日本が力を入れるべき地域である。
 当然のことながら外務省やその外郭団体などは相当食い込んでいてもおかしくないが、クーデター後に日本外交の顔がほとんど出てこないのが寂しい。
日本に突きつけられた刃
 そうしたところに、かねて問題視されてきた香港や新疆ウイグル自治区の人権問題を引き金に、米欧が時を同じくして中国に厳しい姿勢を打ち出してきた。
 中国発とみられる新型コロナウイルスが1年余にわたって世界の人々を恐怖に陥れ、また甚大な人的・経済的損失を与えているが、謝罪して謙虚に振舞うどころか、逆に人道支援の国であるかのように振舞っている。
 これだけでも許せないという思いでいっぱいであるが、当の中国は逆に米国や日欧などの先進国の疲弊はチャンスとさえ見ているようである。
 南シナ海や香港に見るように国際法を無視し約束を守らない中国、挙句に世界が困惑しているのを好機と捉え台湾や東シナ海で攻勢さえ見せる中国、そして民主主義国家へ向かいつつあったミャンマーの今次クーデターを支えているとみられる中国。
 こうした諸々の顔をした中国は、もはや許容範囲を逸脱したと米欧諸国には見え始めたということであろう。
 先の日米2+2では南シナ海や東シナ海での行動や海警法の制定などに対し、「既存の国際秩序と合致しない行動は日米同盟および国際社会に課題を提起している」と明記し、また、香港や新彊ウイグル自治区での人権状況に「深刻な懸念を共有」するとした。
 新彊ウイグル自治区で行われている強制収用をドナルド・トランプ前政権は「ジェノサイド」と規定したが、ここに至ってEUと英加が加わってウィグルやモンゴル族への弾圧で対中制裁に踏み切った裏には、批判だけでは不十分という思いからである。
 日本政府は慎重姿勢をとっているが、価値観を同じくし、「深刻な懸念」を共有するとしたからには、この際共同歩調をとるのが効果的ではないだろうか。
 これは「日本に突きつけられた刃」である。同時に、なかなか解決しない日本人拉致問題で、こうした共同歩調が北朝鮮に圧力をかけることにもつながるに違いない。
中国共産党の行動原理
 毛沢東は遊撃戦の基本原則とした「敵進我退、敵駐我撹、敵疲我打、敵退我追」の16文字を兵士たちに叩き込んだとされる。
 敵が出てくれば退き、敵が留まれば撹乱し、敵が疲れれば攻撃する、そして敵が退けば追撃するというもので、非常に分かりやすい。
 さらに指揮官たちに対してであろうか、「誘敵深入、利而誘之」が追加されていたという。軍事的には逃げ場を失わせて味方に寝返らせるということであろう。
 これを平時における活動に適用すれば、企業人などに対しては大いに関係を深めさせ、儲けさせて逃げられないようにするとも解釈できそうだ。
 李登輝総統になった台湾に唯一支局を開いていた産経新聞の吉田信行特派員(のち論説委員長、専務取締役)は、1994年4月に中国浙江省の千島湖で遊覧船が放火され、台湾人観光客24人が焼死した事件について記述している(『産経新聞と朝日新聞』)。
 中国側は事件の隠蔽や遺族の来訪を拒絶する非人道的対応をとる。これに対し李総統は「中共の行為は土匪(強盗)と一緒で、我が同胞を殺した。人民はこんな政府をもっと早く唾棄すべきだった」と激烈な非難談話を出す。
 2週間後、吉田特派員が真意を尋ねたく「あまり刺激しない方が…」と言いかけると、「それはダメだ。こんな時はガツンとやるに限る。そうすると大人しくなるんだ。戦前の日本人はやり方を知っていたんだよ。下手に出るとつけ上がる。今の日本はつけ上がらせるようなことばかりやっている。私はそういうことをちゃんと考慮しながら喋っている」と断固とした口調で語ったという。
 その後、李鵬首相(当時)が自ら、「犠牲者と遺族にお見舞いと哀悼の意を表する」と詫びたのである。
 これこそは李登輝総統が毛沢東戦術を知り抜いていたから採りえた戦術であろう。今また、習近平国家主席はその毛沢東に心酔し、いろいろな場面で毛沢東のやり方を真似ている。
(編集部注:李登輝元総統のインタビュー記事:「台湾は日本が近代国家に育てた」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5149、「国民は二の次になった日本の政治家」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5151、「台湾と日本で新しいアジアの時代をつくろう」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5152)
 現実に海警法を定め、管轄領域なる新しい概念を規定し、尖閣諸島の日本領海に侵入して逆に日本が領海侵犯しているふうに振舞うことがみられる。千島湖事件で中共が強く出た状況である。
 これを李登輝は「ガツン」と食い止め、逆に謝罪させる「敵退我追」の状況に転換したわけである。
 しかし、今の尖閣諸島周辺では日本が出ていかない(敵進我退)ことをいいことに、中国が「敵退我追」を日常的に行っている。
日本が今日の中国をつくった
 問われるのは日本の姿勢である。ここ数年、日本は「自由・民主主義、人権、法の支配」という西側諸国が共有する価値観を正面に打ち出して、中国の南シナ海での行動や香港問題などに対処してきた。
 日本自身が抱える尖閣諸島問題も法の支配にかかわることである。ミャンマー問題は西側の価値観から許容されない民主化問題であり、ウイグル問題は人権や文化抹殺問題で、米国は「ジェノサイド」とさえ言うに至っている。
 価値観を共有する日本がここで米欧諸国と行動を共にしなければ、そして中国に融和的な姿勢を示したならば、状況は1989年の天安門事件後の対処と同じになりかねない。鎖の最も弱い日本とみて、日本を米欧から分断しかかるであろう。
 中国の若者たちが要求した民主化運動を共産党政権が武力で制圧したのを日本はいち早く許した。
 その上に天皇訪中を行い、西側諸国の中国支援に先鞭をつけ、「世界に聳え立つ」と豪語する中国にしてしまった。「訪中は良かったのだろうか」と陛下(現上皇)に、後に疑問さえ抱かせた。
 今日の中国を出現させたのは日本である。この自覚があるならば、近隣国である、経済界の要望が大きいなどの理由があるにしても、再度過ちを繰り返してはならない。
 中国がさらに大きな怪物になるのを助成するようなことがあってはならないし、一党独裁で言論を封じた監視社会という「異形の大国」を世界は歓迎しないし、最大の被害を受けるのはほかでもなく日本であるからである。
中国の分断作戦に乗るな
 中国の尖閣諸島周辺侵入が急増してきた。また、多くの日本人が正当な理由なく拘束され、一部は刑に服している。強硬な対日姿勢が意図的であることは明確である。
 今次のように、欧米が制裁を科し、その上に日本が連携すると中国が突破口を開くのは容易ではない。
 そこで、中国は強硬な対日姿勢をがらりと転換し、猫なで声で近づいてくる。
 声を出さないまでも、尖閣への侵入を減らしてくる。あるいは拘束し、また刑に服している日本人の釈放をほのめかすなどするであろう。
 この手で、中国は日米欧の連携に鎖を打ち込んでくる。どこまでも一時の戦術で、甘言や幻想でしかない。
 日中国交回復時には「尖閣棚上げ」という甘言があり、天安門事件後は「法の支配」で「開かれた中国」の幻想を抱かせ、香港返還やWTO(世界貿易機関)加盟を実現した。
 胡錦涛政権までは鄧小平の「韜光養晦」(実力がつくまでは隠忍する)作戦であったが、習近平政権になり毛沢東の「銃口から政権が生まれる」の基本に帰り、世界一の軍隊を公言してはばからない。
 天安門事件後の日本は、制裁が返って中国を窮地に追い込むという意識で西側諸国を説得し、余程のことでは使ってはならない天皇カードまで切ってしまった。
 しかし、期待に全く反する中国が出現した。
 民主主義はもちろんのこと、法の支配も受け入れず、自由で開かれた、人道を重んじる国にはならなかった。それどころか、違った価値観の国際社会をつくるとさえ豪語する。
 日中の経済関係の密接さなどから、財界人が強く中国への制裁を忌避するとみられてきた。しかし、経済専門家の計算によると、中国からの輸入が輸出より多く、輸出入の視点からだけでも日本経済のプラスにはなっていない。
 細部を見ると、経団連が関係する分野は輸出が上回っているが、衣食などにかかわる日用品的な消費財は輸入が多い。
おわりに
 財界総理と言われる経団連会長の意見は対中制裁に「慎重であれ」ということであろうが、経済全体から見たら、制裁しても大きな損失ではない。
 経済関係もさることながら、問題はより根本的な国家の基盤、皇室制度や自由・民主主義、人権、法の支配といった価値観の問題である。
 ここは、価値観を同じにする西欧諸国と行動を共にし、日本が弱い鎖になってはならない。話し合いの「窓は開けてある」という姿勢が、日本が取るべき戦略ではないだろうか。
 そもそも、尖閣の侵入を少なくするとか、日本人の釈放を考えるなどは、話し合いの前提でもなければ、交渉の対象でもない理不尽極まるものである。
 日本はそんな理不尽な材料で交渉するような相手ではないということを、この際中国に見せる必要がある。
 日本が退くのではなく、今度こそは李登輝に習って中国に「ガツン」と当たり、「弱い鎖」ではないことを見せなければならない。日本の明日を拓くには、それ以外にない。