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【長州正論懇話会】元内閣官房参与の谷口智彦氏講演詳報「希望」を目指した安倍外交

 山口県下関市の市生涯学習プラザで5日に開かれた長州「正論」懇話会の第35回講演会で、慶応大大学院教授で、前内閣官房参与の谷口智彦氏は、スピーチライターとして安倍晋三前首相の外遊に何度も同行した際のエピソードを引きつつ「安倍外交は、日本に希望をもたらした」などと解説した。講演の主な内容は次の通り。
 平成24年12月、政権に復帰した安倍氏を突き動かしていたものは何か。それは、地位でも名誉でもなく国に対する危機意識だ。
 当時、国内は激しい円高や、高すぎる法人税、進まない自由貿易協定などが相まって「このままではとてもビジネスができない」という状況だった。そして、いわゆるバブル崩壊以降に社会に出た世代は、成長を知らない。経済が伸びるという実感を持っていなかった。将来に対して、夢を抱くこと自体が、なんだか無駄に思える状況だった。
 首相官邸に集まった「チーム安倍」の共通認識は、将来に対する希望を生むことだった。日本の若い世代に前を向き、あごを上げて歩んでもらえるようにするにはどうするか。
 安倍氏が首相就任早々、着手したのが東京五輪・パラリンピックの誘致活動だった。担当部局の幹部を呼んで「何もやっていないの。負けると決めているわけ? それはちょっと早いんじゃないの」という具合に仰り、五輪招致に向け外遊先のリストアップを指示された。
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 なぜ五輪だったのか。今になるとよく分かる。
 4日、東京五輪代表選考を兼ねる日本選手権で、白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子選手が、代表に内定した。私は涙なしには見られなかった。「チーム安倍」はそろいもそろって感激屋なので、みなが「泣いた」と言っていた。安倍氏もSNSに「感動と勇気をありがとう」などと投稿されていた。
 池江選手の活躍は、同世代をはじめ、日本中に衝撃を与え鼓舞する。これは、4年に1度のオリンピックでしか得られないものだろう。その力は、一言で言えば「希望」だ。
 もちろん、五輪については新型コロナウイルス感染拡大もあり、賛否両論ある。しかし、池江選手ほどではないかもしれないが、苦しい境遇に置かれたアスリートは世界中にいる。必死になっているアスリートの姿を、この目に焼き付けるということこそ、五輪のレガシーだろう。だから、何とかして、五輪は開催してもらいたい。
 25年9月、五輪の東京開催が決まったアルゼンチン・ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会総会からの帰路で、私の講義に参加していたあるまだ若い女性からメールが届いた。
 「斜陽の国に生まれたと思っていたが、生まれて初めて未来に輝く希望が待っていると感じた」
 まさにこれなんです。五輪招致成功後、私は安倍外交とは日本人に希望を与える外交だ、と信じて疑わなくなった。
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 安倍政権では、政府の外交・安全保障政策の司令塔を担う国家安全保障会議の設立や特定秘密保護法の制定など、今までの内閣が成し得なかった組織、法律の整備を進めた。それらによって、日本はやっと一人前になった。
 対外的にも、日米とオーストラリア、インドの4カ国による枠組み「クアッド」をまとめた。豪印両国はかつてイギリスの支配下にあって、関係は複雑だった。安倍氏が両国を一生懸命説得し、まとめた。アボット氏以下、豪州の歴代首相は「安倍シンパ」だ。インドのモディ首相とも、目と目で分かりあえる関係を築いた。
 なぜそれが可能だったか。それは安倍氏に表裏がなく、思っていることはきっぱり口に出し、腹の中にどす黒いものを抱えている感じがしないからだ。政治信条が違っても、仲良くなれる。
 中国が台頭する中、クアッドは、非常に大きな意味を持つ。多様性を重んじる、民主主義国家が連帯しているということが、大きなメッセージになる。
 安倍外交が絶頂を極めた瞬間は、令和元年9月末だ。ベルギー・ブリュッセルを訪問し、ユンケル欧州委員長が呼び掛けたシンポジウムに出席された。そこで、安倍氏はEUと日本は民主主義を支える橋脚だ、という演説をされた。明治の開国以来、日本外交は、西洋列強とどうやって肩を並べるかを目指してきた。その努力は、ブリュッセルで結実したといえる。
 一連の安倍外交を振り返ると、「日本はこのような方向に行くのだ」という針路を定めることだったといえる。方位磁石は揺るがなかった。それが、国内に落ち着きをもたらし、ひいては経済の活性化につながる。それを目指し、努力し続けてきたというのが、第2次安倍政権7年8カ月の姿だった。