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安倍総理の志は死なない!!

イスラエルの哲学者が「トランプ」を動かした訳

米国保守主義再編や欧州ポピュリズムにも影響
施 光恒 : 政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授
2021年04月01日

トランプ政権の外交基盤となり大きな影響を与えたといわれるハゾニー氏の論考を、どう読み解けばいいのか解説します(写真:Elijah Nouvelage/Bloomberg)
新型コロナウイルスは、グローバリズムがもたらす「負の側面」を浮き彫りにし、「国家」の役割が再注目されるきっかけにもなっている。いわば「ポスト・グローバル化」へ向かうこのような時代の転換期にあって、国民国家、ナショナリズムを根源的に捉えなおす書、『ナショナリズムの美徳』がこのほど上梓された。
本書の著者でイスラエルの政治哲学者、ヨラム・ハゾニー氏は、自由と民主主義を守るのは国民国家であるとして、誤解されがちなナショナリズムの価値観を問い直している。その一方で、グローバリズムのパラダイムは、専制や帝国主義と同じだと警鐘を鳴らしている。
トランプ政権の外交基盤となり、アメリカ保守主義再編や欧州ポピュリズムにも大きな影響を与えたといわれるハゾニー氏の論考。われわれはどのように読み解けばいいのか。政治学者の施光恒氏が解説する。
新しい保守主義のマニフェスト
本書『ナショナリズムの美徳』は、グローバル化の必要性が叫ばれ続け、また同時にグローバル化が各国で格差拡大や国民の分断などさまざまな問題を引き起こしている現代世界において必読の書物である。


『ナショナリズムの美徳』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします)
著者のヨラム・ハゾニー氏はイスラエルの政治哲学者、聖書研究家である。1964年にイスラエルで生まれたが、アメリカで育ち、プリンストン大学を卒業し、ラトガーズ大学で政治哲学の博士号を得ている。
本書は、現代のアメリカの保守思想に大きな影響を与えている。
たとえば、トランプ政権の国家安全保障会議(NSC)の報道官を務めたマイケル・アントン氏は、2019年4月に「トランプ・ドクトリン─政権内部の人間が大統領の外交政策を説明する」(“The Trump Doctrine: An Insider Explains the President’s Foreign Policy”)という論説を外交誌『フォーリン・ポリシー』に発表したが、そのなかでトランプ政権の外交政策の基盤とされ、再三、引用されたのが本書だった。
また、政治ジャーナリストのダニエル・ルーバン氏も、ネオコン(新保守主義)や新自由主義に代わる新しい保守主義の潮流の中心的人物として、ハゾニー氏を挙げ、本書を「右派知識人のマニフェスト」の位置にあるものだと論じている(“The Man Behind National Conservatism,” The New Republic, July 26, 2019)。
ルーバン氏はまた、ハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相のような欧州のいわゆるポピュリズムの指導者にも、ハゾニー氏は影響を与えていると示唆している。
新しい保守主義の潮流とは、一言でいえば、新自由主義(市場原理主義)に基づくグローバリゼーションの猛威から、国(ネイション)や地域社会の伝統や文化、あるいは庶民の生活を守ろうとするものだ。
これは、ナショナリズムと親和性が高い。グローバリゼーションから人々の生活を保護するため、国民国家の役割を重視するからである。アメリカにおけるトランプ大統領の登場や英国のEU離脱(ブレグジット)、あるいはフランスの「黄色いベスト運動」など反グローバリズムの動向の背後にある思想だとも言える。
たとえば、トランプ大統領は2019年9月の国連総会の演説で次のように語った。本書の影響が色濃く表れているとみてよいだろう。
「愛するわが国と同様に、この会議場に代表を送っている各々の国はそれぞれの歴史と文化と伝統を慈しんできました。それらは守り、祝福するにふさわしいものですし、われわれに並外れた可能性や強さを与えるものでもあります。
自由な世界は、各国の基盤を大切にしなければなりません。国々の基盤を消し去ったり置き換えたりしようなどと試みてはなりません。
……あなたがたが自由を欲するならば、祖国を誇りに思いなさい。民主主義を欲するならば、あなたがたの主権を大切にしなさい。平和を欲するならば、祖国を愛しなさい。賢明なる指導者たちはいつも自国民の善と自国を第一に考えます。
未来はグローバリストたちのものではありません。愛国者たちのものなのです。主権をもち独立した国々こそ、未来を有するのです。なぜならば、このような国々こそ自国民を守り、隣国を尊重し、そして各々の国を特別で唯一無二の存在にしている差異というものに敬意を払うからです」
2つのビジョン
本書の内容をごく簡潔に紹介していこう。
第1部「ナショナリズムと西洋の自由」では、著者のハゾニー氏は、西洋の政治の伝統には、理想的世界の在り方について、大別して2つのビジョンがつねに存在してきたと述べる。
1つは、「多数の国民国家からなる世界」である。それぞれが自分たちの伝統や文化、言語を大切にし、それを基盤とした国をつくる。そうした多数の国々からなる世界である。
もう1つは、「帝国」の伝統である。合理的で普遍的な道徳や法を世界にあまねく行き渡らせ、それに基づいて統治が行われる世界である。人類全体が1つの共同体に統合されるという世界像である。
ハゾニー氏は、グローバル化を礼賛する現代の風潮は、後者の帝国の伝統に含まれると見る。つまり、グローバリズムは帝国主義の現代的形態だとみなす。
この2つのビジョンは、西洋の伝統にはつねに存在してきたが、時代によってどちらが優勢であったかは異なる。「多数の国々からなる世界」の源流は旧約聖書である。旧約聖書には、イスラエル、アモン、モアブなど、さまざまなネイションが登場し、それぞれが自分たちの神を抱き、独自の掟やルールを守って暮らした。
「帝国」が強くなったのは、キリスト教が国教化されたローマ帝国の時代に始まる。ローマ帝国は周辺のさまざまなネイションや部族(tribe)を統治下に置いた。「帝国」の時代は、形を変えつつも中世まで続く。
「国民国家」の伝統が復活したのは、宗教改革以降のプロテスタントの興隆の時代である。第2次世界大戦までの近代欧州は国民国家の時代だった。第1次世界大戦後にウッドロー・ウィルソンが「ネイションの自決」(national self-determination)を、追求すべき理想に掲げたことからもわかる。それぞれのネイションが独立国家をつくることが、自由や平等などの進歩的理念の実現、および近代化への道だと考えられたのだ。
だが、第2次世界大戦中のナチス・ドイツの蛮行がナショナリティーの評価を一変させる。ナチスの蛮行はドイツのナショナリズムに由来するものだと欧米の知識人が受け取ったためである。
ハゾニー氏は、ナチス・ドイツを動かしたのは「第三帝国」という表現に表れているように「帝国」のビジョンと見るべきだと論じる。しかし、欧米知識人の大半はナショナリズムこそナチスの蛮行の要因だと解釈してしまった。
そのため、現在に至るまで第2次世界大戦後の欧米では(日本でもそうだが)「帝国」のビジョンが優勢で、たとえば、欧州では国民国家を廃し、EUを創設することが人類の希望だと見るようになった。
国民国家体制の利点
第2部「国民国家とは何か」では、国民国家の擁護論が展開される。
現在の政治理論の主流であるリベラリズムの前提を疑うところからハゾニー氏は議論を始める。リベラリズムの理論の前提にある個人主義的な人間観に疑問を呈するのだ。ハゾニー氏は、人間は社会的存在であるということを強調し、家族、氏族、部族、ネイションといった共同体をつねに形成するものだととらえる。
家族が集まって氏族を作り、氏族がまとまり部族となる。そして部族の集まりをネイションとみなす。ネイションが政府を樹立し国民国家となる。国民国家は、自己利益を望む個人が結びついたものではない。家族がそうであるように、個々人は集団の目的を自分の目的とし、集団に忠誠心を抱くと同時に、ほかの構成員と互いに結びつくことができる。
ハゾニー氏は、ネイションは、家族や氏族、部族と同様、そうした性格をもつという。ネイションを構成する人々は相互に忠誠心や連帯意識をもつ。連帯意識があるゆえ、防衛や福祉政策など共同の事業も行いやすい。
国民国家の利点を説明する際、ハゾニー氏は、一方に「無政府状態」、他方に「帝国」を置く。そのうえで、その中間に位置する国民国家こそ、平和と安全を実現し、人々を最も自由かつ幸福にできると論じる。
ナショナリストへの憎悪と国民の分断
第3部「反ナショナリズムと憎悪」も興味深い。ナショナリズムは憎悪を生み出すと非難されることが多い。だが、ハゾニー氏は、「帝国」思想も負けず劣らず憎悪を生み出すと指摘する。「帝国」のビジョンに従わず、「多数の国々からなる世界」という理想を手放さない者を野蛮で後ろ向きの者と蔑み、憎悪するというのだ。
この憎悪は、EUや国際機関などを信奉する地球市民的意識をもったエリート層が、国民国家という枠組み、あるいは自国の文化や言語への愛着やこだわりを捨てない庶民層をバカにするといった形で現れることが多い。
たとえば、英国のジャーナリストのデイヴィッド・グッドハート氏は、現代の先進国で見られる深刻な国民の分断現象を、高学歴・高収入で地球市民的意識をもち、大都市に暮らす「エニウェア族」と、学歴や収入がさほど高くなく、国や地域社会に強い愛着とこだわりをもつ「サムウェア族」の対立として描き出す(D. Goodhart, The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics, Penguin, 2017)。そして、「エニウェア族」が「サムウェア族」を見下す傾向を問題視している。
実際、こうした国民の分断は、現代世界のさまざまなところで見出すことができる。たとえば、英国のEU離脱の国民投票の直後、大手マスコミの多くは、EU離脱に賛成した人々をひどく罵った。
また、昨年の米大統領選やその後の報道を見る限り、トランプ支持者とそうでない者との間の対立は非常に大きい。ジャーナリストや大学教員といったいわゆる知識人が、トランプ前大統領を人格攻撃も辞さないほどけなすのは珍しくない光景だった。
さきほど見た国連総会の演説でも明らかだったが、トランプ前大統領はナショナリストであり、「帝国」に反対し、「多数の国々からなる世界」を支持する者である。それゆえ、ハゾニー氏が指摘するように、地球市民的信条をもつ者が多い知識人層から蛇蝎の如く嫌われるのかもしれない。
「グローバル化」に対置すべきは「国際化」
本書の意義は数多くある。すでに述べたように、欧米の新しい保守主義を理解するのに資するであろうし、先進各国で進む国民の分断現象を考察する際にも有益な視角を与える。
本書のさまざまな意義のうち、わたしがとくに指摘したいのは、本書の議論が、現行のグローバル化の問題点を認識し、それを克服しうる「ポスト・グローバル化」(グローバル化以後)の世界の在り方を考えるうえで必要な認識の枠組みを与えるという点だ。
現在では、グローバル化やグローバリズムを批判すれば、周囲の者から「孤立主義者」「鎖国主義者」「排外主義者」「極右」「内向き」といったレッテルを貼られてしまうことが少なくない。
しかし、本書の議論のように、グローバリズムを、国境線を取り払うことを目指す「帝国」思想の一形態だと認識し、それに対置すべきものとして「多数の国民国家からなる世界」があることを念頭に置けば、議論の幅が広がる。
「グローバル化」「グローバリズム」の反対は、「孤立主義」や「鎖国」ではなく、いわば「国際化」「国際主義」、つまり多様な異なる国々からなる多元的な世界をつくり出すことだと考えることができる(この点について、わたしは以前、新聞の論説に書いたことがある。「脱・グローバル化の世界構想を」『産経新聞』2019年10月2日付)。
実際、ブレグジットを推進した英国の市民団体は、EUからの離脱は孤立主義を意味するのではなく、自国の行く末を国民自らが決定する国民主権の回復にほかならないと訴えていた。
このように、本書は、グローバル化の問題点や、その克服を目指し、グローバル化以後の世界の在り方を考えるうえで、われわれの視野を拡大するのに大いに寄与するはずである。