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安倍総理の志は死なない!!

前進なき竹島問題、日韓の「戦う」体制に大きな差

 竹島を不法占拠し世界に向けて「独島PR」を発信する韓国。対する日本は政府も外務省も及び腰で問題解決の糸口が見つからない。「日本は戦い方を知らない」と厳しく指摘するのは、『竹島VS独島 日本人が知らない「竹島問題」の核心』(ワニブックスPLUS新書)の著者、元拓殖大学国際学部教授の下條正男氏だ。下條氏は韓国の史料、文献から竹島の歴史を精査し、その研究成果をもとに島根県「竹島問題研究会」座長として韓国の独島PRと最前線で戦ってきた。日本はどのような手を打って突破口を開くべきなのか。下條氏に竹島問題の「戦い方」を聞いた。(JBpress)


問題解決の意思が見られない政府と外務省
──2005年3月に島根県が「竹島の日」条例を制定しました。本書『竹島VS独島』には、その際に日本政府と外務省が妨害しようとしたと書かれています。


『竹島VS独島 日本人が知らない「竹島問題」の核心』(下條 正男著、ワニブックスPLUS新書) © JBpress 提供 『竹島VS独島 日本人が知らない「竹島問題」の核心』(下條 正男著、ワニブックスPLUS新書)
下條正男氏(以下、敬称略) 韓国による竹島の不法占拠以来、島根県は日本政府に対して領土問題の解消を求めてきました。しかし、政府は対応しようとせず、1998年には韓国政府と新たな「日韓漁業協定」を結んでしまいます。この協定で竹島問題は棚上げされ、竹島周辺に暫定水域が制定されて日本漁船が竹島周辺海域から追い出されることになりました。島根県としては、国が動かないなら自分たちで動くしかないという気持ちで「竹島の日」条例を制定したのです。


 ところが、そのときに反対したのが政権与党の自民党と小泉純一郎政権です。そして外務省の高官と外務大臣でした。ちょうど2005年は日韓国交正常化から40周年だったんですね。日韓友情年として記念行事をするのに一地方自治体が何をするんだ、なんの効果もないだろう、と反対してきたのです。


 その後、民主党が政権をとると、「日本は竹島の領有権を放棄せよ」という韓国の主張に同調する議員が現れたり、枝野官房長官が「『不法占拠』という表現はわが国の国益に沿ったものではない」と発言するなど、国益を毀損する動きが一層みられるようになります。結局、どの党が政権をとっても、竹島を取り戻すために韓国と戦おうという姿勢は見られないし、外務省の動きも基本的に変わりません。


──事を荒立てないで現状維持、というのが基本スタンスなんですね。


下條 そのとおりです。そもそも問題を解決しようという意思がない。尖閣の問題も北方領土の問題も全て同じです。


下條 正男(しもじょう・まさお)氏1950生まれ。國學院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。1981年に韓国へ渡り、祥明女子師範大学講師、三星綜合研修院主任講師、韓南大学講師、市立仁川大学客員教授を経て98年12月に帰国。99年4月より拓殖大学国際開発研究所教授。2000年より同大学国際学部教授(2021年3月に退官)。主な著書に『ある日本人の発想』(三星電子家電営業本部)、『日韓・歴史克服への道』(展転社)、『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)、『日韓の中学生が竹島(独島)問題で考えるべきこと』(ハーベスト出版)などがある。© JBpress 提供 下條 正男(しもじょう・まさお)氏1950生まれ。國學院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。1981年に韓国へ渡り、祥明女子師範大学講師、三星綜合研修院主任講師、韓南大学講師、市立仁川大学客員教授を経て98年12月に帰国。99年4月より拓殖大学国際開発研究所教授。2000年より同大学国際学部教授(2021年3月に退官)。主な著書に『ある日本人の発想』(三星電子家電営業本部)、『日韓・歴史克服への道』(展転社)、『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)、『日韓の中学生が竹島(独島)問題で考えるべきこと』(ハーベスト出版)などがある。
「戦う」体制に大きな違い
──本書『竹島VS独島』では、日本に「戦い続けることができる組織」がないことも大きな問題だと指摘しています。


下條 日本には国家主権に関わる問題を研究する機関がありません。内閣府直轄組織の領土・主権対策企画調整室や展示館などはありますが、それは戦う機関ではありません。


 日本政府が効果的な反論をできない根本原因は、国家主権、領土問題に関して継続的に対応し、戦える機関が存在しないからだと言えるでしょう。韓国とは大きな違いがあります。


──韓国にはどのような組織があるのですか。


下條 島根県が「竹島の日」条例を制定すると、韓国側は迅速な対応を見せました。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は「竹島の日」制定を「過去の侵略の正当化」だと非難し、条例成立の1週間ほど前に「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団の設置及び運営に関する規定」を定めています。さらに条例制定後の2005年4月には「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団」(後に「東北アジア歴史財団」)を発足させ、歴史論文、資料集なども次々に刊行しました。


 東北アジア歴史財団は、日本との「歴史問題」を解決し、日本を攻略する司令塔のような機能を与えられています。歴代の財団理事長には歴史学者かそれに近い人物が就き、その地位は閣僚級とされています。100名くらいのスタッフのうち約60名が研究を行い、世界に向けて情報を発信しています。


 このほかにも韓国は官民を挙げて日本側の主張に反論してきました。相手が島根県であれ政府・外務省であれ、竹島を日本領とする見解には徹底的に反論します。


──まさに「戦う」体制が出来上がっているわけですね。


下條 一方、日本政府が韓国の諸団体に反論することはありません。仕方がなく島根県の竹島問題研究会が反論することになります。しかし島根の竹島問題研究会の研究環境は決して整っているとは言えません。ほとんどがボランティア活動です。国家予算がつき、研究・啓発・教育・国際宣伝まで行う韓国の東北アジア歴史財団と比べると雲泥の差があります。


 本来なら、この種の研究活動は政府が主導して行うべきなんです。だからこそ日本にも、韓国のように、領土問題を様々な観点から検証できる専門的な政策提言機関が必要です。韓国側との論争に耐えうる司令塔的な研究機関を設置して、国会議員、外務省、歴史研究者が知識を共有し三位一体となって韓国に反論する。そういう体制づくりが求められています。


“歴史的事実”をつくってしまう韓国
──韓国側は日本の領土・主権展示館に対して「日本は歴史に目をつむっている」とコメントしたそうですが、「竹島の歴史」に関する韓国側の主張にどのように対抗すればよいですか。


下條 竹島の問題が徴用工や慰安婦の問題と構造的によく似ているのは、韓国側がある人物の証言だけで“歴史的事実”をつくってしまうことです。


 韓国の12世紀の史書に「于山(うざん)島」という島が出てきます。史書には「于山国」の名称で記されています。その于山島こそが竹島である、というのが韓国側の主張です。于山国は512年に新羅に編入されています。よって「古代の新羅時代、(竹島は)韓国の固有の領土だ」というわけです。


 では、どうして于山島が竹島だと言えるのでしょうか。実は「于山島が竹島である」と言い張るのは、ある人物の証言がもとになっています。「独島の英雄」と崇拝される、安龍福という朝鮮時代中期の人物です。


 朝鮮半島から約130キロメートル沖合いに「鬱陵島」という島があります。朝鮮王朝は15世紀に、鬱陵島が倭寇の巣窟になることを恐れ、島に人を住まわせない空島政策(くうとうせいさく)をとっていました。その鬱陵島で、17世紀の初め頃から日本人が漁業を行い、木材を切り出すなどの生産活動を行っていたのです。ところが17世紀末になると、空島政策を破って鬱陵島で密漁などをする朝鮮人が現れるようになります。1693年に鬱陵島で漁をしていた朝鮮人が日本側に見つかり、2人が日本に連行されました。そのなかの1人が安龍福です。


 その安龍福が3年後、鳥取藩に密航し、朝鮮に戻って「鳥取藩主と交渉して、鬱陵島と松島(現在の竹島)を朝鮮領と認めさせた」と証言しました。実際は鳥取藩主と交渉した事実などまったくなく、幕府の命令で追い返されていたのです。ところが、韓国ではその証言がきっかけになって、于山島は松島であり、今の竹島だということになりました。


 歴史的事実は違います。安龍福以前の朝鮮では、于山島は鬱陵島ともされ、その所在が確かではありませんでした。


 それが明確になるのは、安龍福が日本に連行された際、朝鮮政府と対馬藩との間で鬱陵島の領有権問題が起き、朝鮮政府が鬱陵島の現状を調査したからです。その調査で、于山島は鬱陵島の東約2キロのところにある竹嶼(チュクト)とされたのです。竹嶼と竹島は、まったく別の島です。


 それにもかかわらず、安龍福の時代以降になると「于山島が竹島である」ということになってしまった。安龍福が「于山島は竹島だ」と証言したものだから、それが踏襲されていったのです。韓国政府や東北アジア歴史財団は、今も安龍福の証言を「独島は韓国領」の論拠としています。


 そういう歴史的事実をもとにして日本政府が反論するためにも、やはり研究機関を設置して研究成果を集約することが大切なのです。


鬱陵島と竹島の位置(出所:島根県・フォトしまね)© JBpress 提供 鬱陵島と竹島の位置(出所:島根県・フォトしまね)
封印されてしまっている日本の貢献
──問題解決のゴールはどこでしょうか。


下條 アジアの将来的な発展のためには、領土・領海問題の解決が不可欠です。というのも、おそらくこの先いつか日朝の国交が正常化する日が来るでしょう。その際、日本はかつて朝鮮半島を開発した経験を生かして北朝鮮の新たな国づくりにも寄与できるはずです。


 農業も金融制度も現在の朝鮮半島の国造りの原点は、日本が統治時代に実行したさまざまな政策です。たとえば韓国は1970年代にパク・チョンヒ大統領が「セマウル運動」という新しい村づくり運動を展開しました。それは1930年代に日本が朝鮮半島で進めた農村振興運動がモデルになっています。中央集権的だった朝鮮半島に市場経済が導入され、農民たちに自助努力と自立を促すことになったのは、日本の統治時代の政策が大きな役割を果たしました。歴史的に地方分権的な社会だった日本だからこそ、それができたのです。


 ところが現在は、日本は侵略国家だということになって、そういう歴史がすべて封印されてしまっています。竹島問題を解決して、正しい歴史を世界に向けて発信することは、朝鮮半島のためにも、そして世界のためにも必要なのです。