Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

独自取材メモで振り返る安倍氏の肉声と“DNA"

「安倍1強」の最大根拠となった日米同盟強化
歳川 隆雄 : 『インサイドライン』編集長
2022年07月12日


2006年9月に発足した第1次安倍内閣(写真:JMPA)
7月8日に凶弾に倒れた安倍晋三元首相。筆者は安倍氏が自民党幹事長時代にロングインタビューをしたことがあった。
この30年余、筆者が愛用する8穴のシステム手帳2004年版を繰ると、「4月6日午後4時、自民党本部安倍幹事長」の記述がある。ちなみに筆者はその手帳の青色ペーパー(縦14センチ、横8センチ)を取材メモとして使い、ファイルする。当然のことだが、膨大な取材メモが手元に残っている。
祖父・岸信介と小泉氏の類似性
「040406安倍晋三氏」と題された横書き取材メモを基に、その日の安倍氏の生発言を再録したい。
東京・永田町の自民党本部4階の総裁応接室で、安倍氏は次のように語った。
「小泉(純一郎)総理が初めてブッシュ大統領(子)とキャンプデービッド(ワシントン郊外の大統領別荘)で会談したときのことですが、総理が冒頭で陪席した私(官房副長官)を大統領に紹介して、こんな話をしたんです」
「この人のおじいさん(岸信介元首相)は日米安保改定をやって、そのときの自分の父親(小泉純也元防衛庁長官)は衆院外務委員長だった。当時は米軍基地問題などで(国内の)反米的雰囲気が強くて2人とも大衆に罵倒されながら懸命に安保の必要性を説いた、と」
「なかなかいい会談の導入だったから、ブッシュ大統領は身を乗り出して聞いていましたよ。すると今度は大統領が当時の話をして、あのとき私のおじいさん(プレスコット・ブッシュ上院議員)は米議会の上院外交委員長だったと笑って応えた。日米それぞれに因縁があるわけです」。
なぜ、この話を持ち出したのか。当時の小泉首相は新自由主義に傾注し、規制改革論者との印象が定着していた。
だが、安倍氏にインタビューする前に会った自民党長老の松野頼三元総務会長からヒントを得て、「岸政治」と「小泉政治」の類似性について検証を始めたのである。
松野氏は「岸政治」の流れを身近にみてきた1人であり、小泉家の政治的血脈にも通じた保守派重鎮である。その松野氏が「小泉には岸信介DNA(遺伝子)が継承されている。実は、彼は安保一家なんだ」と指摘したのである。この一言が取材意欲を駆り立てた。
岸信介といえば、①自主憲法、②自主軍備、③自主外交、の「岸政治」に加えて、日米安保改定、警職法(警察官職務執行法)改正などを推進した政治・政策アジェンダによって、右翼・タカ派の政治家イメージが定着していた。
そんな岸のDNAを本当に小泉氏が継承しているのか、と不審に思われるかもしれない。
だが、想起して欲しい。小泉氏は改憲の方向性を明確に指向し、自衛隊海外派遣を公然と推し進め、対米追随の一方で靖国神社参拝の「靖国カード」を対中国牽制に使っていた。これが岸・小泉類似論とされたのである。
安倍内閣誕生、首相再登板の必然
冒頭に紹介した2001年6月30日の日米首脳会談の前に、小泉氏はブッシュ氏からプレゼントされた革製ジャンパー姿で冗談を言いながらキャッチボールをした。
一方の岸氏は初訪米の1957年6月19日、首脳会談前にアイゼンハワー大統領とゴルフをしている(ワシントン郊外のバーニング・ツリー・カントリークラブ)。
こうして安倍首相も2017年2月10日の日米首脳会談後にトランプ大統領とフロリダ州の同氏所有名門ゴルフ場でのプレーを通じて意気投合し、「安倍・トランプ蜜月」を掌中にした。
まさに「安倍1強」の最大根拠となった日米同盟強化を確立したのである。
血脈・年齢・人気度・保守派度からも、2006年9月の第1次安倍内閣誕生、2012年12月の首相再登板は歴史的必然だったともいえる。
筆者はインタビューから2年後の2006年8月6日、当時官房長官だった安倍氏と夕食懇談の機会を得て、新刊『美しい国へ』を手渡された。それから50日後、安倍氏は第90代内閣総理大臣に就任した。「岸」DNAの小泉氏が事実上、後継指名したのである。
亡き安倍晋三氏との関係の一側面を披瀝した。合掌。