Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「中国の毒を飲んでも」生きていかなきゃならないラオスの切ない国事情 ラオス中国鉄道の功罪

 あまりの中国だった。ラオスのヴィエンチャン駅。その外観を見たとき、ここがラオスということを忘れそうになった。高さ25メートルという駅舎は、権威を誇示するような中国の駅によく似ている。掲げられた駅名はラオス語と中国語だ。
 中国の駅は日本と構造が違う。改札や待合室と切符売り場は別の入り口。待合室に入るのはX線のセキュリティーやボディーチェック。ヴィエンチャン駅も中国式の構造だった。
 切符売り場の長い列についた。
「来週、両親を連れてルアンパバーンに行きます。これまではバスで10時間。それが2時間ですから」
 前にいたケオさん(51)は笑顔をつくる。
 ラオス中国鉄道が昨年(2021年)12月に開通した。ヴィエンチャンから中国国境のボーテンまで約422キロ。ルアンパバーンはその途中にある。
 同じ時期、ボーテンの中国側の街、モーハンから玉渓までの玉磨線も開通。玉渓から昆明まではすでに鉄道が走っていた。つまりヴィエンチャンから昆明まで鉄道でつながったことになる。
 しかしコロナ禍。ラオスは厳しい水際対策をつづけていた。
 それが今年の5月、突然の規制緩和。ワクチン接種証明だけで観光客の入国が可能になった。6月、タイから陸路でヴィエンチャンに渡った。
 ルアンパバーンまで乗ってみることにした。2等席が17万2000キップ、約1548円だった。
 列車に乗り込み、再び中国に包まれた。中国の硬座車両がそのまま持ち込まれていた。
 硬座車両は、中国が貧しかった時代の象徴でもあった。リクライニングのないボックス席。そこに通路を挟んで、4人と6人が座る。その体勢のまま70時間……。以前は僕もよく乗った。硬座車両の切符しか手に入らなかったのだ。つらい旅だった。いまでは多くの中国人が敬遠する列車だ。
 僕の体にもこのつらい列車が刷り込まれている。座ったとたん、腰が痛くなる。
 しかしラオス人の瞳は輝いている。ラオス初の列車は、硬座車両でもバスよりはるかに快適で乗車時間も短い。
 ヴィエンチャンを発車した列車は、ヴァンビエンまで進み、そこからルアンパバーンまではトンネルがつづく。山がちなラオスという国。難工事だったことがわかる。かつてバスが走った道は、谷に沿った悪路だった。そこをトンネルで抜けてしまう。列車のスピードは早くないが、所要時間は大幅に短縮される。
 総工費は6800億円といわれる。7割を中国、3割をラオスが負担した。が、ラオス負担分の半分以上は中国系金融機関からの借り入れだという。人口710万人ほどのアジアの小国には大きな負担だ。ラオスの危うい綱渡りに「債務の罠」の警鐘が鳴る。
 ルアンパバーンで泊まったゲストハウスの女性オーナーのノイさん(42)はこう言う。
「中国人は嫌い。我が物顔でやってきて、いつも威張っている。ラオスのスタイルを無視して中国式にしていく。ラオスは中国の属国のようになるっていう人もいる。私も政府のやり方に全面的に賛成しているわけじゃない。でも、コロナ禍でうちも2年近く宿を閉めていた。鉄道が開通して、ラオスの人たちがやってくるようになってやっと扉を開けました。ナイトマーケットも再開。鉄道のお陰。私たちも生きていかなくちゃいけない。中国の毒を飲んでもね」
 しかしラオス国内の旅客など中国はあてにしていないというアナリストもいる。
「狙いはタイ、マレーシア、シンガポールへの物流。貨物です。ラオスは貧しく、人口も少ないから期待はしていない。ただ列車が通過するだけ」
 中国の一帯一路のスケールとラオスの経済力は違いすぎる? 硬座車両に喜々とした面もちで座るラオス人……。ちょっと切ない。
■下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。