Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

中国で天安門事件以来の政治反乱か、河南省の銀行取り付け騒ぎが加熱 習近平子分の地方幹部の実名糾弾までも

収まらない鄭州村鎮銀行預金凍結抗議運動のその後
7月10日、中国河南省中心都市の鄭州市で全国注目の事件が起きた。河南省内の一部村鎮銀行(町村銀行)に預金を事実上凍結された預金者3000人ほどが、中国人民銀行鄭州支店の玄関前を占領して抗議活動を行なったのである。
抗議行動に至るまでの経緯はこうである。今年4月中旬から、河南省の中心都市、鄭州市に本店を置く複数の村鎮銀行がシステムのレベルアップと称して、ネットからの預金の引き出しを制限した。それに伴って、河南省内と全国各地に住む、これら銀行の多くの預金者が、ネットを通して預金を引き出せなくなる事態が起きたのである。
そして6月になってから、河南省内と全国各地在住の一部の預金者が慌てて鄭州市に赴き、問題の村鎮銀行らの本店へ行って店頭での預金引き出しを求めた。しかしそれでも引き出しはうまく行かず、預金者たちの多くは銀行の前で抗議活動を始めた。
その後、河南省政府は、コロナ感染拡大対策と称して預金者たちを拘束したり、鄭州から追い出したりして事態の沈静化を図ったが、その後、預金者たちは鄭州に再結集して、この7月10日の抗議行動を起こした。(6月30日公開「これぞ監獄国家―中国がコロナ健康アプリで銀行取り付けの預金者排除」)
そして、中国人民銀行鄭州支店の玄関前で展開されたこの抗議行動には、今まで見たことのない異変が起きた。
「自由、平等、人権、法治」
ネット上で拡散されている抗議行動の現場写真を見てまず気付いたのは、参加者たちが統一された形式の横幕を多数掲げていることだ。
横幕は一律に白い布で製作されていて、白地に同じ字体の黒い文字が書かれている。このような場面を目にすると誰でもが容易に断定できるように、この抗議行動は決して参加者たちが三々五々と個別的に集まって始まったものではなく、事前に計画された組織的統一行動であるに違いない。
つまり、組織化されたグループは抗議行動を事前に計画し、横幕も事前に用意して預金者たちを動員して、決めた時間と場所で集団行動を起こしたわけである。
さらに注目すべきなのは、人々の掲げる横幕の内容はもはや単純で直接的な「預金を返せ!」のような訴求ではなく、むしろ政治的色彩の非常に強いものである点だ。
例えば、「預金なしでは人権なし」、「政治の恣意に反対し、河南省政府と黒社会との結託に反対する」、「抑圧に反対し、人権と法治を求める」、「自由、平等、人権、法治」などなどである。これらのスローガンは明らかに、「預金問題」の範疇をはるかに超えた政治的訴求である。この時点で彼らの抗議運動は明らかに、自らの預金を守るという本来の趣旨を大きく逸脱した政治運動の様相を呈しているのである。
河南省共産党委員会書記・楼陽生を批判
そして一部の横幕はさらに、河南省共産党委員会書記・楼陽生氏のことを名指して批判、習近平主席の子分として知られる楼氏に矛先を向けている。
この数十年間、中国では自らの権益を守るための民衆の抗議運動は時々起きたことがあるが、地方の共産党政権のトップを抗議と批判の標的にするようなことは滅多になかった。
河南省共産党のトップで習主席の子分に矛先を向けることとなると、あと一歩進めば、党中央と習主席そのものは批判のターゲットになりかねない。
どう考えても鄭州の抗議行動は、明確な政治意識を持った立派な政治行動なのである。
抗議運動に対して河南省当局は迅速に動き出した。当日のうち、当局は正体不明の「白い服集団」を派遣して抗議行動参加者全員を拘束の上現場から連れ去った。そして翌日の7月11日、河南当局は預金者1人ずつに5万元(約100万円)の預金を「建て替えて保証する」と発表して事態の収拾を図った。
この原稿を書いている7月19日現在、預金者たちの動向に新しい情報がなく、事態は沈静化しているように見えるが、今後何か起きてくるかは当然油断できない。
天安門事件以来の政治主張
そして、この7月10日のただ1日の抗議運動は、今後の中国を見る上では非常に大きな意味を持っているのである。
まずは前述のように、この抗議行動において民衆は、自分たちの権益を守るために個別的に行動するのではなく、組織化された統一行動をとることになった。そのことの意味は実に大きい。歴史的見ても、民衆の自己組織化はあらゆる政治運動・政治反乱の始まりだからである。
さらに注目すべきなのは、この一件は本来、預金者と村鎮銀行とのトラブルのはずだが、預金者たちが結局、抗議の矛先を中国人民銀行・地方政府に向けた。そのことは要するに、「黒幕は政府である」「とにかく政府が悪い」との認識が民衆に広がっていることの証拠であろう。
今後、何かあるたびに政府=共産党政権そのものが抗議と反抗の標的になるのだから、民衆と政府との対立がますます深まることが予測できよう。
そして何よりも重要なのは、本来ならば経済案件であるはずの抗議行動において、自由・人権・法治を求めるような政治的訴求が堂々と打ち出されたことだ。
筆者自身の認識では、1989年初夏の天安門民主化運動の終結以来、民衆が当局に対してこれほど明確な政治訴求を掲げたのは初めてのことだ。それが意味するのは何か。要するに、7月10日の抗議行動の参加者の一部(あるいはその背後の組織者)が、中国のすべての問題の背後に人権と法治否定の独裁体制があることを強く意識し、体制に対する政治的変革を求め始めているのである。
こうしてみると、河南省抗議行動は1日で終わったものの、それは民衆の抗議運動が政治運動へとレベルアップした象徴的な事件として注目すべきである。経済が衰退してさまざまな社会的不安が高まる中で、この国における「政治反乱」の季節はいよいよ到来するのではないのか、との予感がするのである。