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「中露連合」が新冷戦に勝利するかもしれない理由

「中抜き」システムを構築した国家が覇権を握る
玉木 俊明 : 京都産業大学経済学部教授
2022年09月30日
中国とロシアが手を結ぶ際、そのカギとなるのは「香港」かもしれません。その理由とは (写真:GlobeDesign/PIXTA)
「一帯一路」により、これまでとは異なる覇権を形成しようとしているように思われる中国。ウクライナ侵攻によって世界から孤立しつつあるように見えるロシア。この2つの国家が手を結んだ際、世界覇権のゆくえはどうなるのか。
手数料と物流という枠組みから世界史を捉えなおし、覇権国家の成立条件について論じた『手数料と物流の経済全史』を上梓した経済史研究者の玉木俊明氏が解き明かす。
覇権とは何か
「覇権」という言葉は、あまりに安易に使用されているように思えてならない。むろん、この語に明確な定義を付与することは難しいが、かといって単に「政治的、軍事的ないし経済的に圧倒的な優位がある国」とするだけでは、学問的分析のためには不十分だというそしりを免れまい。私は、そういった考えを長年にわたり抱き続けてきた。
拙著『手数料と物流の経済全史』は、私の頭のなかにこびりついていた考えを濾過し、「覇権」をより一般的なものとして定式化し、歴史的観点を与えるために書かれた書物である。
読者の皆さんもご存じのように、長年にわたり、経済力とは工業力を意味すると考えられてきた。たくさんの工業製品を製造する国こそが覇権国家であるという前提があった。
しかし、GDPに占める工業の比率が低下し、金融部門の比率が上昇し、さらにGAFAMのように無形資産が非常に巨額な企業が登場すると、プラットフォームこそが経済的覇権の主要因だと考えられるようになった。
それは、世界的な経済構造の変革だといわれることも多いが、果たして本当にそうなのだろうか。
覇権をどう定義づけるかということとも関係するが、イギリス人の政治経済学者スーザン・ストレンジのように、「『構造的権力』とは、国際政治経済秩序において、『ゲームのルール』を設定し、それを強制できる国家を指す」とするなら、「構造的権力」をそのまま「覇権」と置き換えることもできよう。すなわち、覇権国とは、ゲームのルールを自らの都合の良いように決めることができる国だと定義づけることができるのである。
言い換えるなら、「プラットフォームを設定する国」こそが、覇権国となる。それは、太古から現在まで変わらなかったと考えるべきではないか。それが、拙著の根底にある主張なのである。
このように考えることで、私はいわば工業中心史観からは自由となった。誤解しないようにしていただきたいのだが、工業が重要ではないと言いたいのではなく、工業生産を増加させることと覇権を握ることは別だと主張しているのだ。結局、覇権国とは、何が正しいのかを決定できる国を意味する。
文明の結合
このように述べてみると、私は国家間の抗争を分析した書物を著したととらえる読者もおられよう。だが、それは私の意図とは違っている。人類は、7-5万年前の出アフリカにより、世界中に棲みついた。すなわち人類は、移動を前提とするホモ・モビリタスなのだ。
人類の移動には、モノや情報の移動もともない、さらには、文化も移動した。出アフリカによって世界中に散らばった人類は、定住生活を送るだけではなく、各文明がホモ・モビリタスによって結ばれることになった。それにより、物流が盛んになった。「移動」ということに焦点を当てた研究は、必然的に物流を扱う研究になる。だがそのことに、人々は気がついてこなかったのではないか。
メソポタミア文明とインダス文明のあいだに交流があったことは比較的広く知られている。メソポタミアとエジプトが一体化したオリエントとインダス文明の商業関係は強くなった。そのため、現在の中近東からインドまでが1つの経済圏になった。そして、オリエントからはじまったフェニキア人の交易圏がジブラルタル海峡にまで達し、地中海からインドに至る経済圏が誕生した。ユーラシア大陸のかなり多くの地域が、1つの経済圏となった。
中国では、黄河を発祥の地とする文明が、陸上ルートでどんどんと拡大していった。夏・殷の文明、周をへて春秋・戦国時代へと至るにつれ、経済は成長していった。前221年に中国を統一した秦は、度量衡や文字を統一した。秦政府は、積極的に経済に介入し、経済成長に努めたばかりか、単一市場を形成していった。
このようなシステムこそ、中国経済成長の原動力であり、漢人の王朝であれ、遊牧民の王朝であれ、歴代の中国政府が続けてきた制度なのである。中国の制度は中央集権化し、皇帝の力が強大になった。唐代以降、中国では陸上貿易のみならず海上貿易が成長し、おそらく清代の乾隆帝(在位 1735~95年)の時代に至るまで、中国は世界でもっとも豊かな地域であった。
ヨーロッパの反撃
中国と比較したなら、長年にわたり、ヨーロッパは貧しい地域であった。高緯度に位置しており、植生の点で貧しかったからである。
しかも、7世紀以降、ヨーロッパはイスラーム勢力によって取り囲まれており、外部から遮断された世界であった。中世のヨーロッパでは、香辛料の輸入によりイタリアが繁栄したとよくいわれるが、香辛料は東南アジアのモルッカ諸島からエジプトのアレクサンドリアまでアジア人の船で輸送され、イタリア商人は、アレクサンドリアで陸揚げされた香辛料をヨーロッパ内部で流通させたにすぎない。それに対しポルトガルは、喜望峰を通って直接モルッカ諸島に赴き、香辛料を輸入したばかりか、日本にまでやってきた。
海外に進出するヨーロッパとアジアにとどまる中国という図式はその後も長く続き、この2地域の経済力が逆転する大きな要因となった。ヨーロッパ人は、インド洋、東南アジアの海、そして東アジアの海で元来アジア人がもっていた海上での流通ルートを自分たちのものにしていった。
人類がホモ・モビリタスであるとするなら、大航海時代以降さまざまな地域に移動したヨーロッパ人こそ、近世の世界史における典型的なホモ・モビリタスであり、彼らがやがて世界中に植民地を有するようになることは、十分に想像できることであった。
しかもヨーロッパは、新世界との結びつきを強め、新世界各地に砂糖プランテーションをつくり、さらには新世界原産のジャガイモなどを輸入した。そうすることで、ヨーロッパは、生活水準を高めていったのである。明確な時期を特定することは不可能だが、おそらく乾隆帝の治世下において、イギリスと中国の生活水準は逆転し、イギリスのほうが豊かになったものと思われる。この逆転現象は、イギリス産業革命の帰結でもあった。
コミッション・キャピタリズムの成立
イギリスは18世紀後半に産業革命に成功し、世界最初の工業国家となった。だがイギリスは、そのために覇権国家になったわけではない。そもそもイギリスの貿易収支は赤字であり、プラットフォームを形成したわけではなかったからである。ここで大事なのは、イギリス人は、多額の手数料(コミッション)をえていたということなのである。
手数料は、目に見えない。そのため、これまでの経済史では、あまり重視されてこなかった。だがプラットフォームを重視するなら、手数料はきわめて大切になる。それは、覇権国が築いたプラットフォームを使用することに対し、他国は手数料を支払うことになると考えられるからである。経済活動は、賭博に似ている。賭博に参加する人たちは、胴元に寺銭を支払う。胴元は経済活動への参加者にプラットフォームを提供し、参加する人々は、寺銭として手数料を支払う。
このようなシステムをもっとも完全に近い形で体現したのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリスであった。世界最初の産業革命は18世紀後半にイギリスで生じたが、20世紀には、イギリスの工業生産はドイツやアメリカに追い抜かれた。イギリスの産業の中心は、工業から金融業に変わったといわれる。しかしこれは、各国の経済の関連性を重視せず、支持すべき考え方ではない。
イギリスは、20世紀になると世界の工場としての地位を、ドイツやアメリカに譲ることになったことは紛れもない事実である。だがその一方で、イギリスは世界最大の海運国家であり、世界中の商品を輸送したばかりか、ドイツとアメリカの工業製品の少なくとも一部をイギリス船で輸送し、イギリスの保険会社ロイズで海上保険をかけたのである。
イギリスは世界最大の海運国家として海運をコントロールするとともに、世界の電信の大半を敷設した。世界の多くの商業情報はイギリス製の電信を伝って流れた。イギリスは世界の情報の中心となったばかりでなく、送金をはじめとする、さまざまな経済的利益をえることができた。世界の貿易額が増えれば増えるほど、送金はロンドンで決済されることになった。海運と電信により、イギリスは、世界経済のすべての活動を自国の利益にできるシステムを構築したのである。手数料という形態で、イギリスには自動的に利益がもたらされることになった。
そのためイギリスは、たとえ工業生産では世界第1位の国ではなくなったとしても、何も困ることはなく、むしろ、世界の他地域の経済成長が、イギリスの富を増大させることにつながったというのが現実であった。イギリスは、コミッション・キャピタリズムの国となり、その影響は、現在も強く残っている。大英帝国とは、金融の帝国であった。
OECD租税委員会の調査によれば、世界のタックスヘイブンリストの35地域のうち、22がイギリスに関係している。ここからも、タックスヘイブンと大英帝国には、密接なかかわりがあったことがわかる。
覇権は移行するのか
イギリスの次に覇権国家になったのは、第2次世界大戦後のアメリカであった。現代社会は、大きく見れば、アングロサクソンの2国によって構築されてきたと言ってよい。現在のアメリカの経済力は以前と比較するとかなり落ちているが、それでもアメリカが世界最大の経済大国であることは事実である。今後、覇権国はどのように変わっていくのだろうか。
ソ連が消滅した1991年に、冷戦は消滅した。しかし、現在では新冷戦とでもいうべき状況が生じている。アメリカを中心とする自由主義陣営と、中国とロシアという独裁国家(この対比を好まない人もいるだろうが)である。
1991年にウクライナがソ連から独立すると、ウクライナ人の自国への愛着は増し、2004年にウクライナではオレンジ革命が起こり、親EU派の大統領が誕生した。すると、それに対しロシアはウクライナ向けの天然ガス供給を止めるなどの圧力をかけた。
2022年2月に、ロシアはウクライナを攻撃した。プーチンは強いロシアを復活させようとしており、それがNATO諸国、アメリカなどの強い反発を呼び起こしていることも事実である。
新冷戦は「政治と経済」両側面
新冷戦とは、政治的事件であるだけではなく、経済的出来事でもある。ロシアと中国が結びつくことで、ユーラシア大陸全体におよぶ1つの経済圏ができ、それが、現在中国が押し進めている一帯一路政策と関係し、新しい経済システムを創出するかもしれない。しかも、一帯一路を促進するAIIBに、アメリカと日本を除くG7の国々が加盟している。とすれば西欧諸国が、中露の覇権国連合を生み出す可能性さえあるのだ。
そしてロシアと中国の連合が新冷戦で勝利をつかむことができるかどうかは、そのようなシステムをこの2国が創出できるか、あるいは乗っ取れるかということにかかっているであろう。
中国はすでに香港を政治的に制圧したことで、香港の金融市場も、中国に従属してしまうかもしれない。もしそれに成功すれば、中国の金融力はより大きくなる。
またタックスヘイブンを通した資金の動きを管理することは相当難しい。そもそもどの国の金であれ、それを流通させるのがタックスヘイブンの役割である。ロシアと中国が、香港の金融市場を経由してタックスヘイブンを利用し、巨額の利益を獲得する可能性はないのだろうか。また中国は、アメリカに取って代わって、国際機関を自らの後ろ盾とするかもしれない。
もしロシアと中国の連合がそれらに成功するなら、大英帝国の遺産を利用することで、ロシアと中国を覇権国家とする、ユーラシア大陸にまたがる覇権国家連合が誕生するであろう。イギリスとアメリカは、アメリカの次の覇権国家を生み出してしまうことになりかねないのだ。
われわれは、それが誕生するかどうかという時代に生きているのである。