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戦艦「大和」の“世界最大”主砲、削り出した巨大旋盤が里帰りへ 消失の危機乗り越え、兵庫から呉に

© Copyright(C) 2022 神戸新聞社 All Rights Reserved. 戦艦大和の主砲を手がけた「15299機」と同型で、きしろ播磨工場で稼働している大型旋盤=兵庫県播磨町新島
 旧日本海軍が建造し、太平洋戦争末期に東シナ海に沈んだ戦艦「大和」。世界最大とされた「46センチ主砲」の砲身を手がけ、現在は兵庫県明石市の金属切削加工会社きしろが所有する巨大旋盤(全長約20メートル、高さ約5メートル)が11月、広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に贈られる。戦時中は兵器を製造し、戦後は産業の発展に尽くした「歴史の証人」は、69年ぶりに大和を生んだ街に戻り、来年3月から一般公開される。(長尾亮太、門田晋一)
■戦後は大型船舶用の部品製造
 旋盤は加工する材料を回転させ、刃物を当てて精緻に削り出す機械。大和の主砲身(口径46センチ、長さ20・7メートル、重さ166トン)を削った「15299機」は1938年にドイツから輸入、呉海軍工廠の砲身工場に配備された。当時の機械は長さが40メートルあり、巨大な材料の加工が可能になったという。
 大和ミュージアムによると、終戦8年後の53年に神戸製鋼所高砂製作所(兵庫県高砂市)に払い下げられ、大型船舶用クランクシャフトなどを製造した。その後、96年にきしろが入手し、同社播磨工場(同県播磨町)で大型船舶用プロペラ軸の加工などを担った。
 偶然にも70年ごろ、きしろはドイツ・ワグナー社製の同じ旋盤を調達し、愛用してきた。「巨大金属の加工を当社の主力事業に育てる上で大きな役割を果たしてくれた」と松本好雄会長(84)。「呉海軍工廠では当時の最先端の機械と感じて使っていただろう」と思いをはせる。
 2005年の大和ミュージアム開館に先立ち、旋盤を譲り受けたいと打診を受けたが、現役で動いていたため手放せなかった。新鋭機の導入に合わせて13年に現役を退いたことから、寄贈を申し出た。
 旋盤の移動、保存には巨額の費用がかかるが、クラウドファンディングで約2億7千万円が集まり、来年2月末には展示施設が完成する。同ミュージアムの兼光賢学芸課長(57)は「現存する大型工作機械は他に確認されておらず、大和のスケールの大きさを感じてもらいたい」と期待を寄せる。
■「消失の危機」に想像以上の反響
 巨大旋盤の移設のネックとなったのが、巨額に上る費用だった。大和ミュージアムの兼光賢学芸課長は「国の補助金の活用を考えたが、新型コロナ禍対策もあり、捻出できなかった」と明かす。
 そこで浮上したのがクラウドファンディングだった。岡山県瀬戸内市が18~20年、武将上杉謙信が愛用したとされる国宝の備前刀「太刀無銘一文字(山鳥毛)」の購入費用と施設整備費の計約5億1千万円を募り、約8億8千万円が寄せられた事例などに着目した。
 21年8月3日、旋盤を保存するためのクラウドファンディングが始まった。タイトルは「戦艦大和の主砲製造した大型旋盤、消失から救え」。寄付金の目標を4800万円▽7200万円▽1億円-の3段階に設定した。
 段階を追って輸送、地盤工事、屋根の設置などに取り組む内容で、第1目標の4800万円が集まらなければ旋盤の処分はやむなしとしていた。
 しかし反響は予想以上に大きく、8月4日には第3目標の1億円に達した。9月30日までに6626人から計2億6948万円が集まり、中には1千万円を寄付した人もいたという。
 大和ミュージアムは約1年かけてプランを再考し、今年9月下旬、展示施設の概要を発表した。鉄骨平屋で床面積約100平方メートル。旋盤の周囲をガラスで覆い、潮風から保護する。事業費は8800万円。残った寄付金は維持管理に使う。11月初めにきしろ播磨工場から海上輸送する予定で、来年3月に除幕式を開く。
 兼光課長は「大和は海の中に眠るが、その存在を伝える貴重な資料が戦後75年以上もたって呉に戻ってこられるのも、行動を起こしてくれた多くの人のおかげです」と感謝している。(門田晋一)
【戦艦「大和」】旧日本海軍が呉海軍工廠で建造した当時世界最大級の戦艦。全長263メートル、全幅38・9メートル。戦艦同士の戦いを想定し、大きな砲弾をより遠くに飛ばせる直径46センチの主砲を備えて1941年12月に完成した。しかし航空機の性能向上で、海戦で戦艦が活躍する機会は減っており、主砲が大きな威力を発揮することはなかった。45年4月7日、米軍が上陸した沖縄に向かう途中の鹿児島沖で、米軍機から集中攻撃を受けて沈没した。乗組員3332人のうち、生還者は8%の276人にとどまった。