Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「新幹線技術が中国に盗まれる」と、トヨタ会長にも断固反対…! ‟国士“と称されたJR東海・葛西敬之と、‟中国に甘かった”心の師・瀬島龍三の「決定的な違い」

国商と政商は、似ているようで違う。政商は政治家・政治屋と結びついて、自分だけが得しようとする下衆な輩を指す。一方の国商は、「国益と己のビジネスを結合しようとする」稀有な経営者を指し、ジャーナリストの森功氏がJR東海・葛西敬之をそう名付けた。

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ただし、政商ではなく国商だからといって、人間的に高貴だとは限らない。中国嫌い、ロシア嫌いで知られ、右派組織日本会議の黒幕でもあった葛西氏が、安倍政権と結びついてやってきたことは、はたして本当に日本のためになったのか? 森氏の新刊『国商 最後のフィクサー葛西敬之』はそのことを世に問うている。葛西がいかにして政財界を動かしてきたのか、前回記事に引き続き同書から抜粋してお届けする。    
              『国商 最後のフィクサー葛西敬之』連載第7回中編
前編記事【中国嫌い・ロシア嫌いの「国商」JR東海・葛西敬之が「安倍総理の分身」を夜な夜な呼び出す「大森の小料理屋」で話していたこと】
ド・ゴール大統領へのあこがれ
時事通信出身の外交評論家、田久保忠衛(ただえ)は葛西のことを手放しでほめる。
「葛西さんとの出会いは、もう20年ぐらい前だったかな。産経新聞の紙面検証委員会という社外組織のなかに、葛西さんと私がいて、席を隣にしたりして知り合ったのを覚えています。葛西さんは(小泉政権の)郵政民営化についても関係していたと思いますけど、そこには私の親友の(政治評論家)屋山太郎君がいてね。葛西さんと屋山君は中曽根さんがやった国鉄民営化のときの突撃隊でした。私も新聞のことはわかりますが、葛西さんは知識の量と質が違う。普通の人と違っている点は、葛西さんの話が最後に国益に結び付くこと。戦後、財界はもとより政治の世界にも金儲けばかりを考える人たちが多くなってきました。葛西さんは今の財界人にはないタイプでしょう」
葛西は親米、保守の論客として政府の委員を務めてきた。田久保はそこを認めつつ、こうも語る。
「日本政府の政策は日米同盟が基軸なので、アメリカを裏切ってはいけない。それでいて、葛西さんはフランスのド・ゴール大統領の哲学も持っているわけです。ド・ゴールは米大統領のルーズベルトや英首相のチャーチルといったアングロサクソンがつくった戦後のヤルタ体制に対して不満を持っていた。IMF(国際通貨基金)も世界銀行も、国連もアングロサクソンの価値観によって打ち立てられた組織、国際秩序であり、ド・ゴールはこれを認めなかったわけです。そして独自の立場から核武装の必要性を主張していきました。フランスはルーズベルトといっしょにソ連に対抗したけれど、核はアメリカに反対されたにもかかわらず持った。葛西さんの口からは、そんな『ド・ゴール哲学』をよく耳にしました。要するに親米という一般論に、特殊な勉強をした末の議論が加味されている。葛西さんはそれを誰かに教わるわけではなく、書斎で独自に身につけていったんだろうと思います」
陸軍参謀・瀬島龍三が心の師
葛西の政界における交流について聞くと、田久保は国鉄改革時代の中曽根康弘や中曽根内閣の運輸大臣だった三塚博のほか、元大蔵官僚で財務大臣や国家公安委員長を歴任した自民党の伊吹文明、さらに与謝野馨と安倍晋三の名を挙げた。葛西が政策面で影響を受けた人物としては、中曽根のブレーンだった瀬島龍三(せじまりゅうぞう)が思い浮かぶという。
戦中の陸軍参謀から戦後伊藤忠商事の会長になって中曽根のブレーンとなる瀬島と国鉄改革を成し遂げた葛西の関係について詳細は後述する。田久保はこう言葉を継いだ。
「あんなに理知的な瀬島龍三さんは金丸信と親しかったんです。それから中川一郎のことを総理にしようとしていました。竹下登は総理にしたいと思わなかったけど、なっちゃったというところでしょう。中川と竹下の朝食会を永田町のキャピトル東急ホテルで開いていました。その瀬島さんが90歳を過ぎて動けなくなってきた。葛西さんはその空いた席を埋めたんじゃないかな、と思います。瀬島さんは中曽根政権ができてすぐ、陸軍士官学校人脈の須之部量三韓国大使に準備させ、アメリカの前に中曽根をソウルに出しました。それでアメリカも日韓が仲良くなったと大歓迎でした。そんな芸当を葛西さんが受け継いでいるんじゃないかな。葛西さんは瀬島さんを非常に尊敬し、中曽根政権時代から瀬島さんに一目置かれてツーカーでした」
左翼陣営に属する国鉄の労働組合と対峙してきた葛西にとって、瀬島は最大の相談相手だった。
中国もロシアも大嫌い
今さら田久保に問うまでもなく、葛西と瀬島の二人は反共産主義という共通の政治思想が交友の根底にあったのであろう。田久保はこうも言った。
「葛西さんと瀬島さんはともに財界をまとめ、政界をまとめてこられました。ただ瀬島さんは中国に甘かった。ソ連はシベリアに抑留されていたから大嫌いだということはよくわかった。法眼(ほうげん)晋作という元外務次官と同じく、反ソ親中なんだ。不思議なことに反共の外交官でその逆の反中親ソもいる。現役とOBをチェックしたところ、両方とも好きだとか両方とも嫌いだとかいう外交官はいないんだ。瀬島さんは悪いことやっちゃったという後悔があるのか、むしろ中国に寛容でした。でも葛西さんは中国とロシア、どちらも批判していました」
外交に詳しい田久保は、葛西の中国嫌いについて語った。
「JR東日本が中国に新幹線を売り込んだとき、経団連会長の奥田碩(ひろし)・元トヨタ自動車会長はいちばんに賛成しました。ところが、葛西さんは『新幹線の技術が中国に盗まれる』とそこに断固反対したのです。向こうは一台買えば、あとは全部真似しちゃう。だから私も、奥田はけしからん、と怒ったんです。案の定、列車の設計図が漏れちゃった。葛西さんは一貫して中国のやり方に対して非常に懐疑的でした。国鉄が労働組合の共産主義思想にやられた経験から、受け入れられなかったんです。共産主義国家のなかでもとくに中国はダメだって徹底していました」
後編記事【「総理になっても靖国神社に行く、何が悪いんですか」…安倍晋三が「国士」と称えたフィクサー「JR東海」葛西敬之が高市早苗を後押しした「納得の理由」】に続きます。