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安倍総理の志は死なない!!

「歴史に残る場所」現場保存求める市議も…安倍氏銃撃現場の車道整備が31日に完了

安倍晋三元首相が銃撃された現場を含む奈良市の近鉄大和西大寺駅北側の整備事業が3月31日、完了する見通しだ。現場付近はすでに車道として整備され、事件当時の路面などは一新された。市は付近に慰霊碑を建立することも検討したが、最終的に見送っている。

ガードレールの囲いが残っていた昨年8月の銃撃現場(左)は、すでに車道として整備された。モニュメントの設置などを求める声もある=奈良市© 産経新聞
安倍氏は昨年7月8日、駅北側のガードレールに囲まれたエリアで、参院選の自民党候補者の応援演説中に凶弾に倒れた。
現場付近は以前から整備工事が行われていたが、事件後に献花する人が後を絶たず、市は慰霊碑の設置などを検討。これに対し「交通面で問題がある」「事件を思い出したくない」などの意見が相次いだ。
このため、仲川げん市長は昨年10月、「世論の分断を生んでしまう」として、慰霊碑などの構造物は設置せず、花壇を追悼の場とする方針を表明した。ただ、市にはその後、「慰霊碑などを残すべきだ」とする意見も多く寄せられた。
工事により、現場にあったガードレールはすでに撤去され、アスファルトも塗り直された。安倍氏が当時倒れた場所について、市は「車道外側の線と歩道ブロックの間にあたり、タイヤが直接乗らないように整備した」としている。
銃撃事件を巡っては、奈良市議会で自民党系会派の市議が現場保存の必要性を訴えた。事件を後世に伝えることが政治家としての使命だと考えたからだ。訴えは聞き入れられなかったが、市議は「現場付近にプレートを設置するなど、これからもできることはある」と言葉に力を込める。

「歴史に残る場所」現場保存求める市議も…安倍氏銃撃現場の車道整備が31日に完了© 産経新聞
「事件現場は歴史に残る場所。起こったことを消せるわけではない。世界中の人がこの場所を訪れる。現場を表すモニュメントは必要だ」
3月6日の市議会定例会の代表質問で、自民系会派の森田一成市議(64)はこう訴えた。だが、仲川げん市長は「現場部分を純粋に保存することは難しい」と述べ、現場に何も設置しないとする従来の姿勢を崩すことはなかった。
森田市議はさらに、現場付近のアスファルトを保存したり、現場が車道にならないように歩道を拡張したりすることも要望したが、いずれも「調整が難しい」として受け入れられなかった。「このままでは奈良市に大きな汚点を残してしまう」と嘆く。
昨年7月8日午前11時半過ぎ、森田市議は市内の自民候補者の選挙事務所に詰めていた。同僚市議から一報が入り、自宅に戻った後、テレビの速報で安倍氏の訃報に接した。「安保法制の整備や日米関係の強化など首相在任中の功績は大きい。一番尊敬する保守政治家。今も喪失感は消えない」とため息をつく。
安倍氏は昨年6月28日にも参院選の応援で来県。近鉄大和西大寺駅南側で演説した際は近くで聞き入った。森田市議らに気づくと笑顔で右手を挙げた。子供たちとの記念写真にも応じ、「優しい人柄がにじみでていた」と振り返る。
整備工事で現場のアスファルトがはがされる直前の今月19日、森田市議は近くの西大寺の僧侶に供養を依頼し、会派の市議らと現場付近で手を合わせた。現場に形を残すことをあきらめたわけではない。
東京駅では、大正10年に原敬首相(当時)が丸の内南口で、昭和5年には浜口雄幸首相(同)がホームで相次いで襲撃され死亡しており、現場にそれぞれ真鍮(しんちゅう)の印が埋め込まれている。
「慰霊碑がだめなら後付けが可能なプレートや刻印の設置を市に求めていきたい」と森田市議。別の自民党関係者は現場近くに慰霊の場を設置することを検討しており、連携も模索する考えだ。(西家尚彦)
これだけ日本と世界に貢献してくれた人物の暗殺現場に銅像どころかプレートの一つも設置できない日本の情けなさ…