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羽田衝突事故、鉄道・バス各社「臨時運転」の舞台裏
運転士手配から関係各所の連絡まで連携プレー

渡部 史絵 : 鉄道ジャーナリスト
2024年02月20日
2024年1月2日、東京の羽田空港で大きな事故が発生した。着陸した新千歳空港発のJAL機が、離陸を準備していた海上保安庁の航空機と、滑走路上で衝突した。JAL機の乗員乗客は、速やかに脱出し全員無事だったが、海上保安庁の乗員6人のうち5人が死亡した。
年始の繁忙シーズンということもあり、空港は大パニックとなってしまった。滑走路が閉鎖され、この日は事故直後から、国内便のすべての出発便が欠航となった。また到着機はダイバート(着地変更)となり、近隣の中部国際空港、成田空港、茨城空港に向かった。
東京へ向かう移動手段の確保が問題に
あまりに突然の出来事だったが、各空港はダイバートを受け入れることができた。しかし、問題はそこから東京へ向かう移動手段の確保だった。
到着を予定していた羽田空港との距離は成田空港で約60km、茨城空港で約90km、中部国際空港で約280km。いちばん近い成田空港でも60km近く離れた場所にあるので、着地先からの移動手段の確保が必須である。
羽田空港で衝突事故が起きたのは、17時47分。そこから着陸予定の航空機はダイバートを行ったわけだが、茨城空港へ向かったスカイマーク2機が到着したのは、18時30分頃。そこから鉄道などを利用して都心に向かうと、かなりの時間がかかってしまう。また、中部国際空港や成田空港到着の便も、新幹線や在来線を乗り継いで、東京へ向かい、さらに自宅までたどり着けるか、やはり心配である。
そんな中、JR東海がネット上でこんな発信をした。
混雑が予測されるため、臨時「のぞみ号」を運転します――。
発車時刻を確認すると、最終の「のぞみ」が出発した後の東京駅21時42分発と、新大阪駅21時50分発だという。両列車ともグリーン車以外の普通車は全車自由席のようだ。
東海道新幹線が、終電後に臨時列車を走らせることは非常に珍しく、しかも日付を超えて運行することは、過去にもあまり記憶にない。東京駅からの各線の終電も、調整が必要になるだろう。
この日は東海道新幹線ばかりか、JR東日本の成田線の終電繰り下げや、京成電鉄の深夜25時00分発のアクセス特急上野行きなどの臨時列車も追加運転され、鉄道駅のない茨城空港では、関東鉄道バスを中心に7便(約310人)の輸送が行われた。
中部国際空港の対応でも、名鉄で臨時列車が運行され、そのほかの鉄道でも都市間輸送や空港アクセスを担う鉄道やバスが、臨時や増便対応する勇姿が見られた。
実際どのような要請で、臨時輸送が行われたのか。深夜の日本各地で行われたダイバートに伴う緊急対応について、臨時対応を迅速に行った事業者の中から、数社の交通事業者を取材した。
空港アクセスとしての意識の高さ
まずは京成電鉄。同社は夜中の25時00分に、成田空港発の臨時アクセス特急を運行した。この対応について、京成電鉄・経営統括部の広報・CSR担当にインタビューをすると、「当社から空港を管理・運営するNAA(成田国際空港株式会社)に申し出た」という。「その後の対応はNAAと行った」。
乗務員の手配については、「異常時対応用に予備の乗務員を配置している。今回はその人員を手配した」と話す。予備乗務員の手配が迅速に行われたことで、可能になった。
夜中の25時00分発とした理由は、「成田空港の発着陸が24時までのため、弊社で設定できる最大限の時間を設定した」とのことだった。
もちろん、保守・メンテナンス時間も調整し、同社として最大級の対応を行った、非常にまれなケースだったのであろう。それにしても、緊急事態に京成電鉄のほうから申し出をしたという事実は、「空港アクセスとしての意識の高さ」がにじみ出る。
茨城空港から臨時バスを運行した関東鉄道については、「茨城空港へダイバート中のスカイマーク社から連絡があり、急遽運転士の確保に動き、乗務終了後の運転士に声をかけて、手配を行った」と話した。また、「利用されたお客様やX(旧ツイッター)などから大きな反響があり、弊社公式サイトでも嬉しいお言葉をいただいて恐縮しています」とのこと。
そして、「当社のグループ会社である関鉄グリーンバスとの連携や、地元のほかのバス会社にもスカイマークから連絡があり、みんなで協力して、できたことです」と話した。
東海道新幹線を運行したJR東海についても取材した。沿線の最寄りには名古屋、大阪と各所でダイバートを受けた空港が存在する。衝突事故の影響から、名古屋、大阪方面から東京に向かうためには、東海道新幹線を使うのがいちばん早いと考える人も多いだろう。
「弊社として自主的な判断で、臨時列車を設定いたしました」そう答えてくれたのは、JR東海・東京広報室の担当者だ。
「今回はタイミングが合い、緊急時の対応に関して関係各所の担当者が日頃から考えていたことが可能となった」と言う。
急な臨時列車の設定は「ケースバイケースではあるが、担当する乗務員、使用可能な車両やその車両整備、清掃等に必要な社員の体制の確保などを、早急に関係各所と調整し、20時前には、臨時列車の運転を決定した」と話してくれた。
今回の臨時列車(上下各1本)は、定期列車の運行終了後に設定となったわけだが、この理由について、「航空機による旅程を変更されたお客様の受け皿となれるよう、羽田空港や伊丹空港からの移動時間も勘案し、運転時刻を設定した」と話す。また、東京駅と新大阪駅においては、休憩用に列車をホームに停車させ、翌日の始発まで休憩用列車として、開放していた。
さらに、ダイバート当日に運行した臨時2本とは別に、翌日も運行計画とチケット販売状況、列車や乗務員などの手配などを総合的に検討し、4本の臨時列車を運行した。いずれも普通車全車自由席である。
普通車の全席を自由席にした経緯については、「急遽ご移動を新幹線に切り替えられたお客様でもご利用しやすいようにした」とのことだ。
事業者間の垣根を超える
各交通機関にインタビューを行った結果、今回は異例中の異例だということがわかった。しかし、深夜帯の輸送を覚悟し、その後もすぐに対応できたのは、「事業者間の垣根を超えて、旅客輸送の使命を持って行われた」ということにほかならない。
「多くのお褒めの言葉をいただいて恐縮しておりますが、弊社としては、称賛されるようなことをしたとは、思っておりません。非常事態に困っているお客様のお役に立てたらと、関係各所の一人ひとりが動いただけで、実際には、どれだけのお客様のお役に立てたのか……。詳しい数はわかりません。公共交通機関として当たり前のことをしたと思っています」というJR東海の担当者の言葉がとても印象的だった。
日本の交通機関は優秀である。その安全性、定時性からサービスに至るまで、まさに世界のトップレベルであることが今回の件でよくわかった。