ネコウヨの散歩

ネコと憂国

新内閣の防衛大臣にはどんな人物がふさわしいか

森 清勇


2020/09/15 06:00


 コロナ危機が高まっていた「3月下旬から『自粛要請』を主導したのは東京都の小池百合子知事だった」(「朝日、NHKも踊った 小池都知事の“情報操作”」(『Hanada』2020年8月号)、とインファクト共同編集長の楊井人文氏は言う。
 確かに6月頃までの焦点は東京の感染者問題であり、小池都知事であった。入院者の積み上げから退院者が差し引かれず、医療崩壊ばかりが声高に叫ばれていた。
 そして今は安倍晋三首相の辞任表明による後継総裁選びが始まり、「全国の党員参加なしでいいのか、民主主義が問われている」と、独特の口調で瞬き一つせず国民に問いかける石破茂元幹事長である。
 この2人にはいくつもの共通点が見られる。拠って立つ政党(党首)の支持が薄れると素早く離党し、新たな政党(有力者)に乗り換え、また大臣や党の要職を預かりながら、職務に専念するどころか信頼失墜も厭わない自己アピールなどである。
 共に防衛大臣経験者であるが、ことと次第によっては「自分の命、家庭を犠牲にして」も国家・国民を守るという自衛隊の指揮官として相応しかったのだろうかという疑問が湧いた。
 以下2人の経歴を概観して、防衛大臣のあるべき姿を描きたい。
小池氏は「政界渡り鳥」
 4年前の都知事選では7つのゼロを公約してトップ当選した。しかし、当初の2年は豊洲市場移転とオリンピック問題でちゃぶ台返しをやり、今年はコロナ問題対処に明け暮れ、都民と行った約束のほとんどが果たされていないといわれる。
 都庁の部課長からは「自分をよく見せることしか考えていない」「知事のワガママや思い込みで手戻りになる事例が多すぎる」「彼女がいることで都政が受けるダメージは計り知れず・・・知事不在の方がマシ」とまで言われる状況である(後藤貴智「都知事小池百合子、職員の採点は歴代最低」、前掲誌)。
 筆者が切歯扼腕したのはあどけない字の手紙を残して亡くなった結愛(ゆあ)ちゃん事件で、知事があまりにも他人事のようにしか思っていないことを知ったときであった。
 虐待が香川県善通寺市で発覚して1年余後の2018年1月、船戸一家は東京に転居。情報は品川児童相談所に通知され、同児相は2月9日に家庭訪問するが、母親が「娘は不在」と言い張り面会は叶わなかった。
 2000年5月成立の児童虐待防止法は虐待の疑いがある場合、自宅に立ち入って調査ができ、警察官の援助を求められるとした。
 これに基づき、愛知、茨城、高知、埼玉、岐阜などの各県では知事の権限で警察と虐待情報の全件共有を「実現している」。
 ところが2018年3月、結愛ちゃんの死が明らかになった時、都議会の質疑で福祉保健局と教育委員会は「全件共有の必要なし」と答弁。
 世間の目が厳しくなった6月13日の視察会見で、小池知事は「情報共有をスムーズにさせるために全国統一のルールを国で作ってもらうことができないか、厚生労働大臣に緊急要望する」と述べたのだ。
 他の県ですでに実現している情報共有を、都では「大臣に緊急要望する」は言い逃れ以外の何物でもなく、作家の門田隆将氏が「お笑いというほかない」(「結愛ちゃんの死と小池都知事の責任」、同上誌2018年8月号)と知事の責任問題だと断罪したのは当然だ。
 脇道にそれてしまった。本筋に戻ろう。
 小池氏は環境大臣時代、沖縄北方対策特命担当大臣を兼務し、辺野古移設では防衛省(守屋武昌事務次官)の沖合移設案に対立していた。
 しかし、防衛大臣に就任すると、「時間との関係」もあるとして防衛省案に寄り、沖縄県側の失望を買う。
 守屋次官は小泉純一郎首相の信頼を得てすでに4年を超えて次官を務めていた。小池氏は着任1か月余後に閣議人事検討会議に掛けることなく次官更迭を発表し内閣を混乱させる。
 また、国会ではテロ特措法延長が重要案件で所掌大臣として対処すべきであるにもかかわらず国会を休んで訪米し、国防長官との会談だけでなく、副大統領や国務長官、そして日本通のリチャード・アーミテージ元国務副長官と面談し、戦略国際問題研究所(CSIS)での講演まで行った。
 ワシントンで取材した特派員の一人は「ものすごい野心家だと思った。将来、首相になるには、米国の誰と会って自分を売り込めばよいのか、その視点で日程を組んでいた」と振り返っている。
 防衛大臣の職よりも、自分の人生計画の箔付けしか頭になかったということであろう。
 2週間後には訪問先のインドで辞任表明。
「戸惑う記者が何度も聞き直すと、小池氏はイラつき、『私は辞めるって言ってるのよ! わかる?』と声を荒らげた」(半田滋「小池百合子氏『たった55日の防衛大臣』時代に起こした大混乱の真相 救世主として現れ、怪物として去った」)という。
 期せずして思い出したのが、阪神淡路大震災後間もなく、地元の女性らが議員会館を訪ねて陳情した風景である。
 指にマニキュアを塗りながら陳情を聞いていた小池氏は、やおら指に息を吹きかけて「もう塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」(石井妙子『女帝 小池百合子』)。
 ダイヤモンド・プリンセス号の感染者問題が注目され始めた頃、防護服30万着が都議会に諮ることもなく知事の一存で中国に送られた。
 都民はテレビに出ずっぱりでコロナ対処に明け暮れる都知事を見、過去4年間の知事の実績を何一つ検証せず前回を75万票も上回る366万票を投じた。
 危機の演出は知事選の印象付けを加味していたのではないだろうか。今では国民の命どころか、都民の命さえ守ってくれるのだろうかという不安がよぎる。
「その場くん」の石破氏
 石破氏も自由民主党、改革の党、新生党、新進党、無所属、自民党などと替え、自民党でも渡辺派、額賀派、無派閥、石破派と所属替えしてきた。
 固い信念の持ち主ということかもしれないが、他方で許容性がなく狭量、同調性の欠如で自己顕示が強いともいえよう。
 小池氏と大いに違っているところは、『国防』『日本列島創生論』『政策至上主義』などの著書が示すように歴史観や安全保障観などを進んで語るところである。
 ネットで石破氏を検索すると、「石破茂が自民党内で嫌われる9つの理由」などとある。
①政治的立ち位置をコロコロ変える
②無責任な言い廻しを多用する
③内ですべき議論をあえて外に持ち出す
④政権(第1次安倍・麻生)の足を徹底的に引っ張った
⑤できもしないことをやるべきだと筋論で述べ、実現不可能とみるや倒閣の根拠にする
⑥拉致問題対応に関する政治家としての見識を疑うような対応・・・
 先日の立候補者の演説会の評価では「石破は堂々、菅チラ見、岸田ゆらゆら」などのタイトルで、石破氏が原稿を見ることもなく、歴史から見る日本のあり様などを堂々と述べたと評価している。
 筆者もユーチューブで確認し、国民への語り掛けは確かに一番落ち着いていた。しかし、政治家は実行力と責任の取り方である。
 石破氏が防衛政務次官(平成12年)や防衛庁長官、防衛大臣として自衛隊に関わる以前に、筆者は退官していたが防衛産業に身を置き、併せて自衛隊を支援する民間団体で機関誌発行に関係していたので常に関心を持っていた。
 氏が長官時代は自衛隊がイラクに派遣されていたし、大臣時代にはイージス艦衝突事案が起きた。
 靖国神社参拝も問題になっていたが、海外派遣部隊を激励しない、自衛隊の尊厳も指揮官の権限も無視する(イージス案件では先走って処罰・退職するもその後に無罪判決)、国を守った先人たちに敬意を表しない(大臣の靖国参拝を断ち切る)などいろいろと批判された。
 そうしたことが首相候補の石破氏には付き纏っている。氏の言葉しか聞かない国民による世論調査では、次期首相として常に1、2位にランクされるが、現実に接した人や自民党内での評価は先のとおり必ずしも芳しくない。
 そうしたことから、自民党の総裁選に手を挙げるたびに、批判の声が上がってくる。
 いわく、「防衛大臣失格の石破茂に総理の資格ありや」(柿谷勲夫、『Hanada』2018年10月号)、「国を亡ぼす危険人物」(山岡鉄秀、『WiLL』2018年10月号)、「石破氏は総理の任にあらず」(小川榮太郎「『菅義偉総理』待望論」、『Hanada』2020年8月号)、「石破茂だけは絶対にダメ ポスト安倍の通信簿」(八幡和郎、同誌2020年9月号)などの論考である。
 また、氏は自虐史観の持ち主とみられている。
「慰安婦」問題ではすでに詐話師による創作であることが分かり、事案は大きく歪められたものであるにもかかわらず、「人間の尊厳、特に女性の尊厳を侵害した・・・納得を得られるまでずっと謝罪するしかない」(山岡氏)という。
 創氏改名も強要したものでないことが研究結果で明らかになっている。細部は日本政策研究センター所長・岡田邦宏氏「石破さんは間違っている 『創氏改名』に強要なし」(『正論』令和2年1月号)に譲るが、岡田氏は「石破氏は『反日』教科書でも勉強したのだろうか。・・・日本の政治家が(この)程度の認識で『相手と相対』してもらっては国益を損なうこと必定である」と忠言する。
おわりに
 21世紀は、米中の覇権獲得競争が予想され、日本は自国の歴史や伝統・文化を基底にした存立の確認を必要とする。
 そして、自由社会の中で米中に翻弄されないしかるべき位置を確立する必要がある。
 その前提は媚びや傲慢で外国に対処するのではなく、天皇を有する歴史認識と、国民への目配り気配りに基づく国民意識の統合で、国力を高めることである。
 防衛大臣は物理的な国力を預かる枢要な地位にある。武力集団を預かる大臣であり、国家と国民に対する愛、そして統率する自衛隊に対する信頼がなければ、シビリアン・コントロールの根幹が揺るぎかねない。
 中曽根康弘氏は自ら希望して防衛庁長官(当時)になり、隊員との会話を大切にした。船上や南極など外国にいる隊員にも、長官の訓話がつながるようにした。
 総理大臣になるべき人士は防衛庁長官(当時)を経験せよともいった。ここには形だけの長官ではなく、武力集団としての隊員との心の通いを大切にし、国家の安全の仕組みを理解せよという意味を内在していた。
 新内閣の防衛大臣は、こうした心で国民から見られることを瞬時たりとも忘れてはなるまい。