Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

岸田総理が「改革」という言葉を使わなかった訳 世間は明らかに「新自由主義」に疲れきっている

第101代内閣総理大臣に選出された岸田文雄氏。自民党総裁選から総理選出後にかけて、これまでの新自由主義的路線を転換し、「新しい資本主義」の実現を訴えている。総選挙を与党勝利の形で終えた岸田首相に「新しい資本主義」実現は可能なのだろうか。
中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客4名が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は古川雄嗣氏(北海道教育大学旭川校准教授)も参加し、徹底討議。全3回の第1回をお届けする。
岸田総理に戸惑うマスコミ
 中野:第101代首相に岸田文雄氏が選出されました。一般に、政権発足直後の内閣支持率は高くなる傾向がありますが、岸田政権の支持率は伸び悩んでおり、世間からは地味で退屈な政権だと思われているようです。
 しかし、私自身は非常に面白いというか、非常に画期的な内閣が誕生したと見ています。たとえば、岸田氏は自民党総裁選への出馬にあたって、「小泉改革以降の新自由主義的な政策を転換する」と言ってのけました。
 また、総理になったあとの所信表明演説では、「改革」という言葉を一度も使いませんでした。岸田総理はフジテレビの番組でこの点について問われると、「『改革』という言葉には市場原理主義、弱肉強食など何か冷たいイメージがついていると感じている。私の所信表明演説には、冷たい改革ではなく、血の通った改革をしっかりやろうということを盛り込んだつもりだ」と答えていました。
 小泉改革以降の新自由主義的政策を転換することは、ある意味でものすごい「改革」です。しかし、昨今の日本では、改革とは新自由主義政策を実施することを意味するので、あえて改革という言葉を避けたのだろうと思います。この辺りはさすがは政治家といった感じです。
 この20年来、私はずっと新自由主義を批判してきましたが、ここで岸田総理が新自由主義を転換するのであれば、主張すべきことがなくなるので、やっと言論活動をやめられるとさえ思っています(笑)。
 それでは、私のイントロはこれくらいにして、みなさんが岸田政権をどう捉えているかをうかがっていきたいと思います。
「改革」という言葉を使わなかった岸田政権
 施:私も岸田総理が「改革」という言葉を使わなかったことに注目しています。本来、改革とは自分たちの生活、あるいは自分の世代でなくとも子や孫の世代の生活を良くするために行うものですよね。しかし、日本では長らく改革が行われてきましたが、いつまでたっても普通の人々の暮らしは良くなりません。
 それでも小泉改革のころまでは、まだ将来のために改革するといったニュアンスがあったと思います。しかし、最近ではもはや何のために改革を行うのかも不明瞭になっています。「とにかく改革に耐えられれば自分を変えられる」といった「修行」のようなものに変質してしまっています。
 その一例が、東京都がクローバル人材を育成するとして立ち上げた「次世代リーダー育成道場」です。「道場」という言葉に端的にあらわれているように、改革はいわば自らをマゾヒスティックに追い込むものと見なされているのです。
 これでは多くの人たちが改革に嫌気が差すのも無理はありません。その結果、改革路線からの転換を望む声が増えていき、そうした声を受けて、政治家たちも改革という言葉を使わなくなったということだと思います。
 実際、岸田総理だけでなく、自民党総裁選に出馬した高市早苗氏も、「改革から投資へ」というスローガンを掲げ、「改革」という言葉を悪い意味で使っていました。
 以前、中野さんは「平成という時代とともに改革を葬ろう」とおっしゃっていましたよね。令和になってから3年たちますが、それが実現しつつあるのではないか。まさに御一新があったという感じがします。 
 この動きについていけていないのがマスコミです。特に日経新聞は非常に戸惑っています。彼らはひたすら構造改革を賛美する報道を垂れ流し、ここ四半世紀近く、それ以外の報道をしたことがありませんから、岸田政権にうまく対応できていません。相変わらず「構造改革を後退させるのか」といった批判ばかりです。岸田政権をどういう価値基準に基づいて論評すればいいのかわからないのでしょう。
 もっとも、私は岸田政権に大いに期待する一方で、本当に新自由主義路線を転換できるのか疑いも持っています。
 それは一つには、新自由主義から脱却するためには国際秩序そのものを変えなければならないからです。たとえば、岸田さんが構造改革路線を批判したり、金融所得課税の強化を打ち出したりしたところ、株価が下落しました。多国籍企業などが「もう日本には投資しない」「日本から出ていくぞ」とプレッシャーをかけ、資本の流出が起こったわけです。日本一国だけで新自由主義から脱却するのは非常に困難なのです。
 構造改革路線から転換するには、欧米諸国などの、新自由主義にうんざりしている人たち、グローバリズムにうんざりしている人たちとの連携が不可欠です。アメリカのトランプ支持者たちはそうですし、EUから離脱したイギリス、あるいはバイデン政権の支持者の中にも、改革に疲れている人たちはたくさんいると思います。彼らと協力し、各国の中間層や庶民を第一に考え、グローバルな企業関係者や投資家だけが儲けている現状を変えていくことが重要になります。
 それゆえ、岸田政権が本気で新自由主義からの転換を訴えるなら、それと同時に国際秩序を変えていくぞという話もすべきです。しかし、岸田総理は現在のところ、そこまでは言っていません。また、岸田総理にそのつもりがあったとしても、国際秩序に積極的に働きかけ、変えていこうとすることは戦後の日本が一番苦手とするところですから、どこまで踏み込めるか疑問です。
構造改革以前の日本に戻せるか
 柴山:私も岸田政権に対しては期待半分、不安半分です。岸田総理が改革という言葉を使わなかったこと、これまでとは違う路線を目指しているところは期待できます。世間も、明らかに改革に疲れていますからね。しかし、次の路線がどのようなものなのかはまだ判然としない。
 それに改革は社会のあらゆる面ですでに走り出しているので、いまになって旗を降ろしても、簡単には止まらなくなっている面もあります。
 日本の改革論は、基本的に4つのフレーズの組み合わせだったと思います。1つは「自助」です。競争を重視し、共助や公助に頼らない自己責任原則に基づいた社会を実現する。2つ目に政府の「身を切る」。公務員を非正規に切り替えていくなどして、行政の費用を抑える。第3に「開かれた」社会の実現で、これはTPP論争のときなどに繰り返し言われました。4つ目が「トップダウン」の意志決定で、上が決めたことを迅速に実行にうつしていく。
 改革にはいろいろな方向性がありえますが、平成期はこの4つの要素を満たすものが正しい改革とされたわけです。それが30年続いた結果、今では他の方向での改革が想像しにくくなっている。違うことを言うと、改革路線からの後退だ、反動だと見られてしまうんですね。
 岸田総理は、「新しい資本主義」をスローガンに掲げています。これまでとは違う路線を打ち出そうということなのでしょうが、「新しい」という言葉はやや気になりますね。というのも、改革路線の失敗を考えるなら、改革以前の日本社会が持っていた良い部分に目を向けたほうがいいと思うからです。
 もちろん昔の日本のあり方がすべて良かったなどとは思いませんが、古い時代の良きものを取り戻すこと、それこそが保守派のあるべき姿だと思います。この点、岸田総理がどのように考えているのか、あまりはっきりしません。「新しい資本主義」だけだと、結局、看板をつけかえただけで、そのうち改革論にのっとられてしまうのではないかと危惧します。
 中野:これまでも「構造改革前の日本を取り戻すべきだ」と主張する人はいましたが、そのたびに「昔に戻ればいいのか」と批判され、「いやいや、単に昔に戻るわけではありません」とトーンダウンするといったことが繰り返されてきました。しかし、構造改革以前のほうがパフォーマンスが良かったのだから、単純に昔に戻すだけでも日本経済にとってプラスに働くはずです。なぜそのことを認められないのかという疑問はありますね。
 柴山:そこは施さんの話が正しくて、新自由主義路線を転換しようとすると、「新自由主義政策をやめると、他国との競争に負けてしまう」と批判され、資本の流出などが起きてしまうからだと思います。新自由主義から脱却するには、日本一国だけでなく、各国が足並みを揃える必要があると思います。
「新自由主義的」と相性のいい戦後日本
 佐藤:改革疲れに関する指摘については、私も完全に同意見です。新自由主義的な構造改革路線は、高度成長の終わった1970年代後半あたりから、日本を新たに発展させる方法論として提起されました。当時は「構造」改革とは呼ばれませんでしたが、とまれ、その中身は具体的に何か。端的にまとめればアメリカ化の徹底です。戦後日本人の意識には「アメリカ=世界」の図式がありますから、それこそ国際化だということになった。
 同時に構造改革路線は、貿易問題におけるアメリカへの譲歩を正当化するうえでも好都合。いい例が1989年の「日米構造協議」です。これは英語だとStructural Impediments Initiative、「構造的障壁撤廃折衝」ですから、向こうが一方的に攻勢に出ているのですが、それに応じるのは日本自身のためにもなるという大義名分が立つ。屈服することこそウィン・ウィンなんだという理屈ですね。
 しかしいくら改革を進めても、日本は発展するどころか、逆に衰退してゆく。かくして2010年代、政府は何をするようになったか。本当は結果が出ていないのに、「いや、成果は上がっている」と強弁するようになったのです。
 国民の多くも、その強弁を信じたがった。戦後日本はもともと、ナショナリズムを否定し、政府の行動に制約を加えるのが正しいと見なす点で、新自由主義と相性がいい。そして構造改革は、小さな政府でも(あるいは小さな政府でこそ)繁栄が達成されると構える思想。改革路線の失敗を認めたら最後、戦後日本人はアイデンティティが揺らいでしまうのです。しかし衰退があまりに顕著になったせいで、さすがに何かおかしいと思い始めたのが現状と言えるでしょう。
「新しい資本主義」に新味はない
 佐藤:新型コロナウイルスの蔓延がもたらした影響も見過ごせません。改革は攻めの姿勢でやるもの。農業改革なら、ずばり「攻めの農業」とか、「日本の農業は世界に羽ばたけ」という具合です。成功を踏まえるか、失敗を反省するかは別として、「さあ、攻勢に出て新たな成果をガンガン上げるぞ」とやらなければアピールできない。
 しかし相手がコロナとなると、攻めの姿勢はなかなか取れません。ゼロにするのは無理だから共生しようという話になるくらいですからね。つまりは守りの姿勢が基本。そんなときに改革といっても説得力が乏しい。
 中野:確かに「攻めのコロナ対策」とは言いませんね。
 佐藤:まあ「攻めの感染防止」や「攻めの自粛」(!)などの主張もなくはないものの、発想の矛盾は一目瞭然。いつから「防止」が攻撃を意味するようになったんだ、です。
 ただし岸田内閣に期待できるかは非常に疑わしい。先ほど「新しい資本主義」の話が出ましたが、安倍総理も「瑞穂の国の資本主義」をうたいました。こちらもまた、行きすぎた市場原理の是正、日本的なコミュニティ精神の重視、ナショナリズムの再評価などを掲げたはず。「新しい資本主義」の原型と評して差し支えないでしょう。
 けれども安倍総理は「瑞穂の国の資本主義」を実践するどころか、ほぼ真逆のことをやりました。総理の座に返り咲くや、「今がラストチャンス」と言ってTPP参加を表明しています。2012年、政権を奪回した総選挙の際、自民党は「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」と特筆大書したポスターを農村部でさんざん貼ったにもかかわらず、です。
 新自由主義から転換するといって新自由主義に突き進み、成果が上がっていなくとも「成果は上がっている」と言い張る。これがアベノミクスの内実でした。そして国民は、そんな政権を強く支持したのです。なぜそうなったのか、まともな総括がなされないかぎり、岸田政権も二の舞を演ずると見なすのが当然でしょう。現に10月の総選挙における自民党の公約からは、岸田総理の目玉政策の大半が抜け落ちた。ところがフタを開けてみれば、大方の予想に反して結果は絶対安定多数。改革に疲れていようと、国民は新自由主義をあきらめていないとしか思えない。
 中野:新自由主義から脱却するかのような素振りを見せながら、実際には新自由主義を推し進めただけだったというのは、日本に限った話ではありません。アメリカのオバマ政権でも同じ現象が見られました。
 オバマは大統領選挙の最中には、労働者を苦しめるグローバリゼーションを是正しなければならないとか、NAFTAの見直しが必要だとか、結構まともなことを言っていました。当時はリーマンショックもありましたから、オバマ大統領の誕生によってケインズ政策が復活するのではないかと言われていました。財政出動に賛成する経済学者たちはみんな喜んでいましたよね。ところが、オバマはたった1年ぐらいで財政出動をやめ、経済格差も拡大してしまいました。
 これは安倍政権と非常に似ています。岸田政権も安倍政権と同じ道をたどるおそれがあるということですね。
菅政権の大学改革を引き継ぐ岸田政権
 中野:これまで経済の話を中心に議論してきました。そこで、今度は古川さんにお聞きしたいと思います。古川さんは教育学を専門とされていますが、岸田内閣をどのようにご覧になっていますか。
 古川:私は岸田さんの話を聞いていると、素朴な印象として、「自民党の中にもこんなまともなことを言う人がいたのか」と感じました。この感覚は、おそらく多くの国民の感覚とそれほどズレていないのではないかと思います。
 というのは、この間、野党やリベラル派は自民党の新自由主義的な政策によって格差が開き、中下層の人たちの生活がボロボロになってしまったと批判していましたよね。そこにコロナが来て、もともと貧困化していた人たちの生活がいよいよ立ち行かなくなったというのに、それでも自民党は「まず自助だ」などと言って、給付金さえ出し渋る始末です。これではさすがに、もはや「保守」とは名ばかりで、実際には自民党は国民の生命も生活も守ってはくれないのだという認識にならざるをえません。実際、従来の保守支持層の中からも「今度という今度は自民党には失望した」という声があがるようになっていました。そこで野党は、そこに目をつけて「自分たちこそ真の保守だ」と言い出し、保守支持層の取り込みを図るようになっていました。
 そうした中、岸田さんが新しく総理になり、「新自由主義からの転換」ということをはっきりと打ち出した。これにより、「岸田さんならもう一度自民党を何とかしてくれるかもしれない」という雰囲気が広がり、再び自民党への期待感が高まっているのではないかと思います。野党は「やられた」と思っているのではないでしょうか。
 中野:おっしゃる通りです。野党は「アベノミクスの検証が必要だ」と言っていますが、岸田総理はアベノミクスをやらないと言っているわけですから、いまさらアベノミクスを検証してどうするんだという話になります。野党は肩透かし食らった感じがしますね。
 古川:ただ、やはりそこで気になるのは、岸田さんが支持者をつなぎとめるために、パフォーマンスで新自由主義からの転換と言っているだけなのか、本当に新自由主義をストップするつもりがあるのか、ということです。私も岸田さんが「改革」というワードを使わなかったことは評価していますが、どこまで本気なのかよくわからないのです。
 たとえば、私が特に関心のある教育政策や大学政策で言うと、岸田さんは「科学技術立国の実現」を掲げ、10兆円規模の大学ファンドを年度内に設立すると言っています。しかし、これは菅前総理が打ち出した、いわゆる「稼げる大学」に向けた大学経営改革をそのまま引き継ぐものです。
 菅前総理は大学に産業界をはじめとする外部人材を入れた意思決定機関を作り、そこからトップダウンで大学を変えていくという「改革」を打ち出したのですが、岸田総理はこれをそのまま引き継いでいるわけです。
 先ほど柴山さんが「改革」の4つの要素をあげてくださいましたが、90年代以来の「大学改革」には、トップダウンの意思決定をはじめ、まさにその4つの要素がふんだんに盛り込まれていて、「稼げる大学」構想はまさにその極みにほかなりません。こうした政策をそのまま継承すると言いながら「改革をやめる」と言われても、本当にやめる気があるのかと疑わざるをえません。岸田さんの本心はどこにあるのか。私はそこが引っかかっています。
(構成:中村友哉)