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安倍総理の志は死なない!!

中国共産党ひっくり返す「動乱」なぜ起きないのか

覇権的な中国に「日本はどう考え対処すべきか」
橋爪 大三郎 : 社会学者、東京工業大学名誉教授 / 大澤 真幸 : 社会学者
2021年11月18日
中国のど真ん中で、香港のような動乱はなぜ起きないのだろうか?
ウイグルをはじめとする苛烈な「民族弾圧」から香港、台湾へと広がる世界的危機。中国共産党・習近平はいったい何を目指しているのか。その中国リスクを読み解く『中国共産党帝国とウイグル』の著者・橋爪大三郎氏と、社会学者の大澤真幸氏が、中国の文明・哲学的背景を踏まえ、覇権的な習近平体制の本質に切り込み、この状況に日本はどう考え、対処すべかを語り合う。(前回は習近平体制の本質と「特色的」な政治的資本主義に切り込んだ『意外と知らない中国式の「国家資本主義」その本質』)。
中国のど真ん中で動乱が起きる可能性は?
大澤:いま中国は、香港や新疆ウイグルで、とてつもない「弾圧」をやっていると報じられています。それを西側諸国がどれほど批判しても、中国当局は「内政干渉だ」と言って歯牙にもかけない。ただし、中国のど真ん中で、香港のような動乱が次々と起きれば、昔の東ヨーロッパのように、民主化したり、人権が尊重される社会に変わっていくための手がかりになるような気もするんです。
もちろん、強圧的に権力が働いているので、簡単にはいかないと思いますが、人々の不満がたまっていくと、自由を求めていずれ大きな転換が起こりそうだと考えますが、この辺の見通しについてはどうでしょうか。
橋爪:その問いに答えるには、毛沢東という存在を改めて考えてみる必要があると思う。中国共産党の権威を軸にして、人びとを動員する近代化のあり方を、限界まで推し進めたという意味で、やっぱり毛沢東があってこその現代中国だという気がする。
毛沢東の果たした役割は、アメリカで言えば大覚醒(18世紀中ごろからアメリカ植民地で始まった信仰復興運動)に匹敵する現象だと思います。気がついたら信仰のウエーブに巻き込まれて、自分も熱烈な信仰心に目覚めていたという経験ですね。
毛沢東の権威は、革命的ロマン主義として人びとに働きかける。革命によってつくり変えられた世界は、もっと正しくて、もっと価値があって、自分の人生を光り輝かせてくれる。そういうメッセージが毛沢東から自分に届いているんだと確信できる。それが信仰心のように人びとに広がっていく。
さて、今の共産党は、無謬なのかどうか。毛沢東の時代は無謬ではなかった。毛沢東という革命の権威があれば、共産党の組織や幹部を攻撃できた。習近平は毛沢東なのか、劉少奇なのか。どっちかわからないでしょう。
だから、中国の中心で反共産党の運動が起きるとすれば、私こそ最も共産党的です、私こそ最も熱情的に中国革命を、あるいは中国の伝統を、現在に生かす理想の推進者です、と言うカリスマが出てきたとき。その場合には、中国共産党は相対化されるのだと思います。
大澤:今の体制では、そういう扇動者は出にくいでしょうね。
橋爪:伝統中国では、こういうのはみんな道教系の宗教反乱のかたちをとる。すると、中央政権は壊れてしまう。だから今、宗教は禁圧されています。法輪功もキリスト教も、警戒の対象です。宗教が駄目だとすると、世俗の思想や哲学の探究者はどうか。これもあてにできない。世俗の思想や哲学は冷静で客観的なものだから、そういうカリスマ的人物は哲学の中からは出てこない。
むしろ、クレージーな政治家のほうがなりやすい。例えば、共産党から習のライバルと目された薄煕来(スキャンダルで失脚)みたいな政治家が出てくる可能性もあるけど、今は出てきにくいでしょう。結論を言えば、しばらく矛盾が深まって、人びとの無意識がかき乱されるまでは、共産党をひっくり返すような動乱は起こりにくいと考えられます。
天安門事件で中国をデカップリングしておくべきだった
大澤:なるほど。いろいろ勉強になりました。この問題に絡んでもう1つ率直にお聞きしたいのは、1989年の6月4日に起きた天安門事件に関連したことです。今振り返ってみれば、天安門事件のほうが、東ヨーロッパの民主革命よりもちょっと早かった。そのおよそ半年後にベルリンの壁が壊れるんです。
しかし中国の天安門事件のほうは、血の弾圧があり、その後、継承されることがなく失敗した。天安門の後に起きた東欧の革命は、今から振り返るとその後大変な苦労が待っていたわけですが、少なくとも体制を変革することには成功したわけです。
ルポライターの安田峰俊さんが、『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書、2021年)という本で、天安門事件に関わった人たちが今どうしているかインタビューしています。何十人も、です。内容は日本の全共闘運動を振り返るような感じです。
あのときは大学生で若気の至りだったとか言いながら、今ではどこかの企業の幹部になっていたりする。まれに今でも民主化を目指している人もいますが、そういう人はたいてい海外にいて、言うことにあまり中身もなく、派閥争いのようなことをしている。そういうのを読むと、天安門事件みたいなことはもう中国で起きないのだなとつくづく思いますね。
新疆ウイグルのようなところには、弾圧され、そして抵抗している人びともいる。しかし多くの一般の漢民族の人たちが、今の中国の方針を受け入れているとすると、どうやって私たちが中国の問題にアプローチしていけばいいのか、どうやって中国の人権侵害に対応したらよいのかわからなくなります。
橋爪:天安門事件のときの西側世界の対応は大変に稚拙なものでしたね。もし中国に関する分析が行き届いていれば、現状の中国がいかに軍事的、経済的に遅れていようが、そのポテンシャルを見て、この方向は大変危険だと判断できたはずです。よって、単なる制裁ではなくて、デカップリングをすると決めて、縁を切るべきだった。
そうすれば、中国のその後の発展はなく、西側世界に適応した指導部ができて発展する以外の選択肢がなくなり、共産主義を捨てた可能性がある。世界にとって、これは非常にコストが低かった。中国の人びとにとってもよかった可能性が高い。
大澤:そうですね。当時は中国に対する認識が甘かったと思います。
橋爪:日本も制裁に後ろ向きで、あれはもうなかったことにしましょうと最初に尻尾を振って、ほかの国も追随した。そうやって、中国の市場で一儲けしてやろうという人間ばかりで、大変に情けなかったと思う。
橋爪:私は、1980年代にソ連が駄目になるだろうと考えていて、どういう形で駄目になるのか、そこに非常に関心を持って見ていたんです。民衆運動とか暴動が起きて、それを体制側が徹底的に弾圧するという悪夢のような攻防を思い描いていたら、そうはならず、ゴルバチョフが出てきた。エリツィンも出てきた。
なぜソ連が静かに崩壊したかといえば、マルクス・レーニン主義の原則でこの世界を捉え、私が生き、人びとを支配していっていいのかと、ロシア共産党の多くの幹部が考えていたからです。つまり、ソ連そのものが、特権階級のシロアリに食い荒らされた木造の建物になっていて、それを支えようという人が誰もいなかったから。今の中国を止めるには、これが一番いいシナリオだと思う。
今の中国共産党が拠って立つイデオロギーを守るために、メディアを独占し、人権を抑圧しているのです。そのことに根拠がないと中国の政治指導部が思えば、中国は変わる。人民が変えるのではなく、中国の政治指導部がそう思うことが大事なんですよ。
中国は変わるのか?
大澤:習近平一強の体制を見ていると、外からのアプローチはなかなか難しいと思うんですが、中国が変わるためのメッセージはどうすれば届けられると思いますか。
橋爪:中国の政治指導部は、メディアの統制はあるけれども、民衆に比べて西側の情報や外部の情報に接するチャンスが多い。そこにきちんとした情報、分析、哲学を潜り込ませて届ける必要があると思う。そういう一貫した知的生産物をつくり出し続けて、それを彼らの目に触れ、手に取れるかたちで用意しておくこと、これがわれわれにできる唯一の方法だと思います。
それをやらずに、中国の人民が間違いに気づいてそのうち武装蜂起するに違いないと、手をこまねいて見ているのは、中国の人民の犠牲を強いるという意味で失礼であるのみならず、知的怠慢ですよ。
大澤:おっしゃるとおりですね。いつものことですが、橋爪さんとお話ししていると、ある種の理想に対する、不屈の強い意志を感じます。
最後に、これから起こりうることを踏まえてお聞きしたいのですが、このままいけば、アメリカと中国の関係、あるいは、自由主義陣営と中国との対立は抜き差しならぬものになるかもしれない。最悪の場合は、中国が台湾に軍事侵攻して、米中の軍事的な衝突になる。
そうなると、日本も存立危機の事態とみなし、集団的自衛権を発動するかたちで戦争に協力することになるかもしれない。客観的には事態はこのように進行するでしょうが、そのとき日本人はこの事態に精神的・内面的にコミットできるだろうか。そう考えると、複雑な気持ちになります。「中国の体制は嫌いだけど戦いたくないみたいな……」そんなことになりそうな予感がして。
橋爪:精神的にコミットするべきですよ。なぜコミットできないかと言うと、それは日本軍国主義がアメリカや世界を相手に戦争したことが、どう間違っていたか、その認識が足りないからだと思う。
よく左翼の人びとが戦争に反対しますけど、ならば、アメリカは真珠湾を攻撃されて黙っていればよかったのか。そうしたら日本軍国主義の思うままだし、中国はそのまま植民地化されるわけでしょう。そんな軍事力による国際秩序のつくり方は間違っているから、連合国は軍事力で反撃した。
そのおかげで大東亜共栄圏じゃない、新しい世界秩序が出来上がったわけですよね。台湾が侵攻されるのを指をくわえて黙って見ていたら、大日本帝国が暴れ出したときも、みんな指をくわえて黙って見ていなきゃいけなかったことになる。戦後日本の否定です。そういうことを日本人1人ひとりが考えてほしいと思います。
西側の資本主義が自信を失っている
大澤:おっしゃるとおりだとは思うんです。ただ、なぜ私が心配するかといえば、日本を含めて、アメリカを中心とした西側の資本主義が、いま明らかに自信を失っているように見えるからです。自分たちのシステム、自分たちの資本主義が、中国に比べて本当に優位なのか不安をもっている。
ここに来て、アメリカが中国に対して厳しく対している理由は、そういう無意識の不安を抱えているからではないか。中国共産党のやり方への道義的な怒りだけではない。というか、急に怒りが強まった、真の無意識の原因があるように思います。
橋爪:それは中国だって同じですよ。マルクス・レーニン主義の成れの果てが毛沢東と習近平だとしても、彼らが最終解であるなんてことはなく、彼らは彼らの困難に見舞われ、これから西側より優れているということを証明し続けなければならない。だから、悪戦苦闘していくはずです。
その悪戦苦闘をわれわれは共有して、自由と生活条件を整える現実主義との関係をもう一度考えてみる。自由とは、はたして普遍的な思想なのかということもね。そして、その普遍的な思想が、アメリカローカルな、西側ローカルな、キリスト教ローカルな考え方ではないのだということを証明していく必要がある。
それは日本がやればいいと思う。日本はキリスト教ローカルなあり方からはみ出ているんですから。歴史的に考えても、中国と西側世界の両方の影響をもろに被ってふらふらしている。だから、日本は逃げずに、この問題をしっかり考えていかなきゃいけないと思いますよ。これは、今回の対談で、大澤さんからいただいた大きな宿題ですね。
(構成・文=宮内千和子)