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安倍総理の志は死なない!!

パンダ来日の扉を開いた?ニクソン訪中から50年世界に広がるパンダ中東で初めてカタールにも

中川 美帆 : パンダジャーナリスト
2022年02月21日
今日2月21日は、かつて日本のジャイアントパンダ界にとって、2つの大きな出来事が起きた日だ。1つは、第37代アメリカ大統領、リチャード・ニクソン氏の訪中50年。もう1つは、上野動物園で暮らす雄のリーリー(力力)と雌のシンシン(真真)の来日11年だ。
東西冷戦下の1972年2月21日、ニクソン大統領(文中の肩書はすべて当時)は、現職のアメリカ大統領として初めて中華人民共和国を訪問した。米中が対立する中、1971年に突然発表して世界を驚かせたこの訪中はもう1つの「ニクソンショック」とも呼ばれた。
その約2カ月後の4月16日、アメリカの首都ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立動物園に、中国から2頭のパンダがやってきた。雄のシンシンと雌のリンリンだ。同園によると、北京における晩餐会でニクソン夫人が中国の周恩来首相に「パンダが好き」と話したらしい。
決定からわずか1カ月後にパンダが来日
中国によるパンダのプレゼントは、これで終わらなかった。田中角栄首相と周首相は1972年9月29日、中国の首都北京で共同声明に署名し、日中国交正常化を果たす。署名後の会見で、二階堂進官房長官は2頭のパンダが日本に贈られると発表。国内の複数の動物園がパンダ受け入れに名乗りをあげた。結果、上野動物園に決まった。
中国から雄のカンカン(康康)と雌のランラン(蘭蘭)が上野動物園に到着したのは10月28日。来日決定からたったの1カ月だ。同園でパンダの飼育経験があったのは、イギリスのロンドン動物園で研修中にパンダの飼育管理にふれた中川志郎氏(元上野動物園園長)だけ。パンダ来園の日が迫る中、飼育の参考になる資料や文献の収集に努めたものの、わずかしか入手できなかった。
カンカンとランランは1972年10月28日午後6時50分に羽田空港、午後8時30分に上野動物園に着いた。当然ながらパンダ舎の建設は間に合わない。2頭は、パンダ舎が完成して1973年5月7日にそこへ引っ越すまでの間、トラ舎の東側で飼育された。中国からは通訳を含め3人がパンダに同行してきた。早速、検疫場所として準備していた動物病院が不適切だと指摘され、トラ舎での検疫に変更した。
上野動物園の職員は、2頭の体重を事前に知らされていたものの、パンダは人に従順で、体にも簡単にふれることができるとの先入観があった。ところがパンダが到着すると違った。
獣医師の田邊興記氏は「体躯の大きさに思わずびっくりしたうえ、雄雌の同居は困難で、さらに、人が中に入り直接飼育することなどとんでもないとのことであった」と『ジャイアントパンダの飼育 上野動物園における20年の記録』(東京都恩賜上野動物園編、東京動物園協会、1995年)で振り返っている。
エサなどの情報も不足していた。「竹が主食であることは充分認識していたが、はたしてどんな種類の竹が良いのか、あるいは笹ではだめなのか、竹類以外のものはどんな物が良いのか、飼育環境(とくに温度と湿度)をどのように設定すればよいのかなど、事前の情報量の少なさに不安がますます募るばかりの状態であった。このように、初めから予測をつけがたいことも多く、到着後に決定や変更された事がほとんどであった」(同)。
当時の資料を読むと、エサは竹、熊笹、ミルク粥、パン、団子、ミルクセーキ、ニンジン、柿、リンゴ、ブドウなどを与えている。カンカンとランランの成長具合、嗜好、食欲、便の状態、健康状態などを考慮しながら、与える量と種類を少しずつ変えていったそうだ。
ちなみに1972年7月にロンドン動物園で死んだ雌のチチは、チョコレートや紅茶も飲み食いしていた。現在の国内外のパンダ飼育では、基本的にエサの大半が竹で、果物は、おやつやトレーニングのご褒美に与える程度だ。
国交正常化40日後に日本でパンダ公開
カンカンとランランは検疫を経て、1972年11月5日に一般公開がスタートした。日中国交正常化から約40日、来日から1週間で日本初のパンダ公開。信じがたいスピードだ。現在の上野動物園は、リーリーとシンシンを2020年8月24日に園内の新パンダ舎へ移すだけでも、前後の3週間、2頭を非公開にしている。
当初の計画では、カンカンとランランの公開は午前9時~午後4時頃の予定だった。しかし、大勢の人が詰めかけたためか、2頭の疲れが激しく、公開を一時中断。11月8日は公開を中止した。公開時間も午前だけにして、午後は休ませた。公開時間は、後に午後まで延ばした。
手さぐりで奮闘する飼育の日々が続いたが、次第に飼育に関する知見と資料が蓄積されていった。ランランは1979年9月に推定10歳、カンカンは1980年6月に推定9歳でこの世を去った。年齢が推定なのは、野生で保護されて、正確な誕生日がわからないためだ。ランランを解剖すると、お腹に胎児が宿っていた。
1940年代にアメリカとイギリスへパンダが贈られたことはあったが、1972年4月にアメリカへパンダが来た時、中国国外でパンダがいたのは、中国からプレゼントされた旧ソ連と北朝鮮、動物商から購入したイギリス(前述のチチ)だけだった。冷戦中の当時、中国は共産圏にパンダを贈っていたようだ。
しかし中国は1972年にパンダをアメリカと日本に贈って以来、西側諸国を含めさまざまな国へ贈るようになった。1973年にフランス、1974年にイギリス、1975年にメキシコ、1978年にスペイン、1980年に旧西ドイツへパンダを贈った。
このうちメキシコのパンダは1981年(1980年も生まれたが8日後に死亡)、スペインのパンダは1982年に初めて繁殖に成功した。日本で初めて生まれたのは1985年のチュチュ(初初、誕生の43時間後に死亡)、初めて無事に育ったのは1986年生まれの雌のトントン(童童)なので、メキシコとスペインはそれよりも早い。
パンダが貸与になった理由
当時、パンダは中国から無償でプレゼントされていたが、その後、貸与に変わった。きっかけは、中国が1981年にワシントン条約に加盟したこと。中国の加盟時、パンダは最も規制の緩い「付属書Ⅲ」に分類されていたが、1984年に「付属書Ⅰ」に変更され、商業目的の国際取引が原則禁止された。
その後、中国国外へ移動するパンダは、基本的に保護研究の目的で中国から貸し出されることになった。中国国外で生まれても、所有権は中国にあるので貸与だ。
スミソニアン国立動物園では、1972年に中国から来たリンリンが1992年、シンシンが1999年に死亡。代わって、2000年に雄のティエンティエン(添添)と雌のメイシャン(美香)が中国から来た。この2頭は繁殖に成功し、これまでに3頭の子どもを中国に返還している。
現在は、2020年8月に生まれた雄のシャオチージー(小奇跡)が同園にいる。両親も含め3頭は、2023年12月の中国返還が決定している。新たにパンダが来なければ、ワシントンD.C.にパンダがいなくなる。
上野動物園では、ランランが1979年9月に死んだ後、雌のホァンホァン(歓歓)が1980年1月に来園。カンカンが1980年6月に死ぬと、雄のフェイフェイ(飛飛)が1982年11月に来た。ホァンホァンとフェイフェイは相性が悪かったので、人工授精で前述のチュチュ、トントン、そして1988年に雄のユウユウ(悠悠)が誕生した。
1992年11月には、パンダの遺伝子の多様性を維持するため、トントンの繁殖相手候補として、雄のリンリン(陵陵)が北京動物園から来園。交換でユウユウが北京動物園に旅立った。これは、中国国外で生まれたパンダが中国へ「里帰り」した初の事例でもある。
リンリンの来日は、パンダがワシントン条約の「付属書Ⅰ」になった後だが、日本に所有権があるユウユウとの交換なので、リンリンは中国からの贈与になり、日本に所有権がある最後のパンダとなった。
リンリンとトントンの間に子どもは生まれず、トントンは2000年7月に死亡。1頭になったリンリンは繁殖のためメキシコへ行くも、繁殖には至らず、メキシコから雌のシュアンシュアン(双双)が来て、2003年12月~2005年9月に上野動物園で過ごした。シュアンシュアンの母親は、前述の1975年にメキシコへ来たパンダだ。
シュアンシュアンは34歳と高齢になった今もメキシコで暮らしている。同園には31歳の雌のシンシン(欣欣)もいる。中国国外にいるパンダで中国に所有権がないのは、この2頭だけだ。上野動物園でリンリンが2008年4月に息を引き取ると、上野にパンダがいなくなった。
リーリーとシンシンが中国から来たのは2011年2月21日。約3年ぶりに上野動物園に来たパンダだ。2頭は午後8時50分ごろ成田空港に到着。パンダの姿はお披露目されないにもかかわらず、上野動物園に集まってパンダの到着を待った報道関係者は筆者を含め193人に上った。2頭を載せたトラックが上野動物園に入ってきたのは午後11時36分。2頭がパンダ舎に収容された時は日付が変わっていた。
協力金を値切った石原慎太郎
リーリーとシンシンは、上野動物園で初めて自然交配(交尾)で繁殖に成功したパンダだ。2017年6月に生まれた雌のシャンシャン(香香)は、日本にパンダブームを巻き起こした。
リーリーとシンシンは、日中のパンダ保護研究のため、中国から貸与されており、当初の期間は10年間。保護研究の協力資金として東京都が中国側に支払う金額について、東京都知事の石原慎太郎氏(2022年2月死去)は2010年2月の会見で「大体これ100万ドルになるんですが、5万ドル値切りまして、年間95万ドル(当時のレートで約8500万円)を支援することになります」と述べた。
リーリーとシンシンは、滞在期限を前にした2020年12月、5年間の延長が決まり、2026年2月20日が期限になったと東京都が発表した。シャンシャンの中国返還期限は、新型コロナウイルス禍のため延長を重ね、現状では2022年6月末となっている。2021年6月に生まれた双子のシャオシャオ(暁暁)とレイレイ(蕾蕾)の返還時期は未定だ。
現在、パンダは中国本土以外で22カ国・地域の26カ所の動物園に82頭いる。このうち13頭が日本で暮らしている。
そして最近、ビッグニュースが飛び込んできた。新華社通信によると、中国の習近平国家主席は2月5日、中国はカタールと協力して、パンダの受け入れに協力する準備ができていると述べた。カタールにパンダが来るとの話は、2020年夏にパンダ舎建設のための入札の話があって筆者も確認していたが、いよいよ来園が現実的になった。
カタールのメディアによると、パンダが来るのは、2022年10月21日に同国で開幕するサッカーW杯の前だという。実現すれば、中東に初めてパンダが来ることになる。ニクソン訪中から50年。パンダの人気と存在は世界中に広がっている。