Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

安倍晋三死すとも中国包囲網は死せず―習近平中国、泥沼の外交的閉塞 最初は安倍無視だがのち完全に立場逆転

習近平の眼中に日本はなかった
先日、参議院選挙戦の中で凶弾に斃れた安倍晋三元首相が、首相として再登板したのが2012年12月のことである。その1ヵ月前の11月、隣の中国では習近平氏は共産党総書記に選出されていた。翌年の3月に習氏は国家主席にも就任して、習近平政権が本格的なスタートを切った。
そしてその時から2020年9月に安倍首相が退陣するまでの7年間半、安倍元首相と習主席はそれぞれ、日中両国の指導者としてさまざまな場面で向き合ったりぶつかったりしていた。日本の長い歴史においては中国の最高指導者とそれほどの長い付き合いしたのは安倍元首相以外にない。
ならばここで一度総括して見たい。日中関係における安倍外交はどういうものだったのか。あるいは、相手の習主席と中国にとっては安倍外交は一体どういうもので、「長年の付き合い」の安倍元首相とはどういう存在だったのか。
実は、習近平政権成立後の最初の数年間、当時の安倍首相は習主席にとって、あるいは中国にとって、まったくもって無視すべき存在であって、あるいは上から見下ろすべき存在であった。
2013年3月に国家主席に就任してからの数年間、習氏は「主席外交」を積極的に推進し、欧米諸国はもとよりアジアの主要国をほぼいっぺん通りに訪問した。しかしその間、彼が主席として日本を訪問したことは一度もないし、安倍首相を中国訪問に招いたこともない。つまりその時の習主席は文字通り、「日本無視」の外交を展開していた。
「大国外交」「世界的指導者」気取り
習主席が安倍首相と初めて会談したのは2014年11月、彼自身が主席になって1年半以上も経ってからのことである。しかもそれは、安倍首相が北京で開催されたAPEC会議に出席したから実現できたもの。習主席はホスト国の元首として各国首脳全員と個別会談したから、その流れの中で安倍首相と会った。
そして安倍首相との会談では、冒頭の握手から習主席は一度も笑顔を見せることはなく、終始一貫して仏頂面であった。さらに驚いたことに、中国側の設定した会談の会場では、各国首脳との会談の時には両国の国旗が左右に掲げられているのに対し、安倍首相との会談の時だけは国旗が飾られていない。それは明らかに、日本国と安倍首相に対する蔑視の意思表明であろう。
当時の習政権は一体どうして、日本と安倍首相に対してそれほど傲慢にして冷淡な態度に出たのか。その最大の理由はやはり、当時の習主席の眼中には日本という国の存在はなかったからではないのか。
中国の国家主席になってからまもなくの2013年6月、習氏はアメリカを訪問した当時のオバマ大統領と2日間にもわたって膝合わせの会談を行った。その中では習主席は「新型大国関係の構築」をアメリカ側に提案して、米中両大国の連携で世界をリードしていくような意気込みを示した。
その後、習主席は米国との「新型大国関係」を基軸にして、中国自身が言うところの「大国外交」を積極的に展開し、日本以外の世界主要国を歴訪して「世界的指導者」たることを演出し続けた。
こうした中では習主席は、「一帯一路」という途方もない構想を打ち出して、多くの参加国を束ねてユーアシア大陸とアフリカ大陸を席巻するような世界規模の投資プロジェックトを展開していった。
この時の習主席の眼中には、超大国アメリカの存在とその大統領の存在があっても、「日本ごとき」の存在や安倍首相のことは、まるきりない。中国の独裁者となった彼は、その時にはすでに世界をリードする大指導者を気取りしていた。
安倍晋三の「地球儀を俯瞰する外交」
しかしその一方、日本の安倍首相は就任以来、まさに習主席の「大国外交」の向こうを張ったかのような積極的首脳外交を展開していった。2013年1月、安倍首相は就任後初めての所信表明演説では「地球儀外交」という名の外交理念を打ち出し、世界全体を見渡して、自由・民主主義・基本的人権・法の支配といった普遍的価値に立脚した壮大なる外交戦略の展開を宣言した。
そして、同じこの年の1月から安倍外交はスタートした。1月12日には岸田文雄外相(当時)がオーストラシアを訪問して安保協力の拡大を含めた戦略的パートな関係を強めた。
1月16日から、今度は安倍首相自身がベトナム、タイ、インドネシアの3ヵ国を歴訪し、自由と民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を同じくする国々と関係を強化していくとの理念において、安全保障分野での連携も含めた諸国との関係強化に務めた。安倍首相の掲げる「地球儀外交」は順調に滑り出したのである。
それ以来の数年間、安倍外交はまさに「地球儀を俯瞰する外交」としてこの地球上で全面的に展開されていった。私が数えたところでは、2013年から16年までの4年間、安倍首相は世界の六十数ヵ国を訪問し、国連総会や首脳級会議などの国際会議には20回以上も出席した。
こうした「地球儀外交」の展開において安倍首相は終始、自由・民主・基本的人権などの普遍的価値観を基本理念として掲げている。この点からしても、安倍外交は最初から、自由と人権抑圧の独裁国家である中国のことを強く意識し、同じ価値観を共有する世界各国による対中国包囲網形成を目指していると言って良い。
その一方、安倍首相はさらに、1回目の政権の時に打ち出した「自由と繁栄の弧」の戦略を再登板させ、それを安倍外交の基本戦略の1つとして押し進め、「自由で開かれたインド・太平洋」の構想実現を目指していた。
もちろん、「自由と繁栄の弧」にしても、「自由で開かれたインド・太平洋」の構想にしても、誰か見てもそれは、インド・太平洋地域における独裁国家中国の覇権主義拡張戦略の推進に対抗するものであって、膨張する中国の封じ込めを狙っているものである。
このようにして、安倍首相は2013年からの4年間、中国の習主席の展開する「大国外交」を横目に、そしてどちらと言えば中国に遠慮がちなアメリカのオバマ政権と一線を画して日本独自の「地球儀外交」を積極的に展開していた。
トランプ当選、危機を力に変える
こうした安倍外交に1つの転機が訪れたのは、2016年11月のアメリカ大統領選におけるトランプ氏の当選である。
この年の11月8日におけるトランプ氏の当選を受け、日本の安倍首相は迅速に動き出した。大統領選が終わって10日も立たない11月9日、安倍首相はニューヨークでトランプ次期大統領と会った。
そしてこの会談において安倍首相は、外交にはまったくの未経験者であったトランプ氏に対して、中国からの脅威の深刻さを説き、たっぷりと対中政策のレクチャーを行った。
おそらく、この会談において、超大国アメリカの未来4年の舵取りを任されたトランプ氏の対中認識の基本が形成され、その政権の対中政策の方向性が定まったのではないか。
世界各国首脳の誰よりもいち早くトランプ氏との会談を実現させた安倍首相はこうして、トランプ氏を動かしたことでそれからの米中関係を動かし、太平洋地域の国際政治を大きく動かすこととなった。
その後の展開はまさに安倍首相の思惑通りとなった。トランプ政権下では米中対立が深まる一方で、オバマ政権下での米中「親密関係」は完全に過去のものとなった。
その一方、トランプ大統領と安倍首相との関係の緊密化・親密化が急速に進み、それに伴って日米同盟はより一層強化されてインド太平洋地域における対中包囲網形形成の中核となった。
立場、完全に逆転、安倍晋三ついに言ってやる
そして2017年11月、今度はベトナムで開かれたAPEC会議の中で、安倍首相と習主席との2回目の首脳会談が行われた。
ここでは会談冒頭の写真撮影の時、習主席はそれまでの態度から一変して満面の笑みを出した。それを報じた日本経済新聞の記事が「習氏、初めての笑顔」と驚きを伝えている。考えて見れば、あれほど傲慢無礼の習主席が笑顔を出した理由は簡単だ。要するに、安倍首相の大胆な外交の展開で、安倍首相自身と日本の立場は強くなったからだ。
その後も安倍外交の快進撃が止まらない。安倍首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋構想」が徐々に実現の方向へと進む一方、2018年6月にカナタで開かれた先進7ヵ国(G7)首脳会議では安倍首相が多くの国際問題に関して首脳間の議論を主導する立場となって、欧米間の裁定役にもなった。安倍首相はこれで国際政治に大きな影響力を持つ世界的な指導者の1人となった。
こうなると、安倍首相の習主席に対する立場、そして日本の中国に対する立場はより一層強くなるのは当然のこと。果たして、この立場の逆転を象徴するような日中首脳会談が持たされた。2019年12月、日中韓首脳会談参加のために中国を訪れた安倍首相が、北京で行った習主席との単独会談である。
その中では安倍首相はなんと香港問題、ウイグル問題に言及して、習主席に自制と情報の透明化などを求めたのである。
つまり安倍首相はこの会談において、習主席の最も触れたくない問題を持ち出して「そんなことは止めた方がいいのよ」と説いたわけである。
その時の安倍首相は、もはや習主席の傲慢外交に我慢しなければならないような存在ではなく、むしろ国際政治の大局と道義的な高みから習主席を説教する立場に立った。世界全体を大舞台にした安倍外交の展開はこれで、独裁者の習主席自身と巨大国の中国を完全に圧倒することとなった。
中国封じ込め、花開く「インド太平洋構想」
こうなると当時の安倍首相は、中国と習主席にとってはもはや無視できるような存在でもなければ、上から見下ろすような存在でも全くなくなった。
安倍首相はその時点では既に、普遍的価値観に基づく中国包囲網形成の中心人物の1人となって、中国にとっての手強い好敵手となっていた。
そして2021年6月にイギリスで開かれたG7サミットでは、安倍首相とバイデン米大統領、ジョンソン英首相(当時)の連携プレイにより、中国問題が議題の中心となって、対中国政策における先進7ヵ国の結束が図られた。
会議後の首脳声明は、習主席の一帯一路構想に対抗して、価値を共有する中低所得国に質の高いインフラ支援を行うプランを発表する一方、人権問題では名指しての中国批判を行なって、台湾海峡の平和と重要性に対する懸念をも表明した。
その時の安倍首相は習主席にとっては、もはや、手の届かない国際政治の大舞台で活躍し、中国の覇権主義戦略の推進を阻むような高い壁となっていたのではないか。
安倍首相が進めた「インド太平洋構想」が具体的な形となったのは実は2020年10月、本人が病気を理由に退陣した1ヵ月後のことである。
10月6日、発足したばかりの菅義偉政権の足元の東京に、日米豪印の4ヵ国外相が集まって会議を行い、中国を念頭に「自由で開かれたインド太平洋」を守るための連携形成を宣言した。
それ以来の数年間、4ヵ国の外相や首脳は会合を重ねるたびに連携が強化されて、「QUAD」と呼ばれる4ヵ国参加の枠組みがすっかりと定着し、インド太平洋における中国包囲網の基軸となった。
欧州までも対中軍事行動に参入
そして2021年11月には、QUADの形成に触発された形で、もう1つの対中国の国際連携が出来上がった。アメリカ、イギリス、オーストラリアの3ヵ国による「AUKUS」という枠組みである。AUKUSは主に、南シナ海を中国の膨張から守ることを使命としている。インド太平洋地域全体におけるQUADとAUKUSのさらなる連携も今後期待できるのであろう。
実は2021年6月に、もう1つ重要な国際会議がイギリスで開かれた。バイデン米大統領やジョンソン英首相らが参加した、NATO首脳会議である。
会議の共同声明ではNATOの歴史上初めて、中国のことを名指して批判した上で、「中国の野望と行動はルールに基づくわれわれ同盟国にとっての体制上の挑戦」であると訴えた。つまりNATOという軍事同盟はここで事実上、中国のことを脅威だと認定して矛先を習主席に向けることになった。
そして2021年の1年間を通して、NATOの加盟国であるフランスとイギリス・ドイツの3ヵ国は艦隊をインド太平洋地域に派遣してきて、米海軍や日本の海上自衛隊との共同訓練も行った。
イギリスに至っては、最新鋭の空母を中心とした空母打撃群の派遣であって、それは明らかに、かつての海の覇主であったイギリスはいざとなる時、インド太平洋の紛争に首を突っ込んできて中国と一戦を交えることも辞さないという強い意志の表明であろう。
そして2022年6月末にドイツで開かれたNATO首脳会議は、前述のQUADの参加国である日本とオーストラリアの首脳を招いた上で対中国問題を議論したが、前回の首脳会議と同様、中国のことを「国際秩序に対する構造的挑戦」だと位置付けた。
日本とオーストラリアの首脳がNATOの首脳会議に招かれたことの意義は極めて大きい。2021年の仏独英海軍のアジア派遣の延長線において、NATOはもはや欧州を守るだけのNATOではなくなって、まさにインド太平洋地域における中国包囲網の参加者となった。
このようにして安倍首相退陣後の数年間、NATOの加盟国をも含めた自由世界全体による中国包囲網はほぼ完全に出来上がってきたが、この流れを作り出した最大の功労者はまさに安倍元首相である。
彼の提唱した「自由と繁栄の弧」はインド太平洋地域で現実となっただけでなく、それがさらに欧州にまで拡大して行って、まさに地球の東西を巻き込んだ壮大なる国際連携の大輪として開花した。
「死せる安倍晋三、生ける習近平を走らす」
考え見てれば、就任当初からは安倍首相と日本のことを頭から軽視し、あるいは蔑視した中国の習主席は10年が経って気がついたら、安倍晋三という「小日本」の指導者はいつの間にか、中国封じ込めを中心人物となってそれを実現させ、そして中国と習主席自身はいつの間にか、安倍晋三の企んだ中国包囲網の真ん中にあって四面楚歌の状況となっていた。習近平と中国はこのようにして、安倍晋三にしてやられたわけである。
しかしあまりにも残念のことに、前述のNATO首脳会議から1週間後の2022年7月8日、安倍元首相は凶弾に倒れて帰らぬ人となった。それは日本の政治にとっても、インド太平洋地域と世界全体の国際政治にとっても図りきれない大きな損失である。
この死に対しQUAD各国やNATO各国、そして多くのアジア国の首脳や要人からは、「自由と繁栄の弧」の理念と「自由で開かれたインド太平洋」の構想を実現させた安倍首相の功績とその先見性に対する絶賛の声は数多く寄せられている。
その意味するところは、まさに「安倍死すとも中国包囲網は死せず」であって、安倍首相が亡き後でも、彼が提唱し推進してきた、独裁国家の中国から自由世界の価値と安全と平和を守るための地球戦略の理念と形が生き続けて、それはこれからも、習近平中国の覇権主義的膨張を封じ込めるための大きな力となっていくのであろう。
ここでは最後1つ、それこそ中国の故事から生まれた、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということわざを想起するべきであろう。これからの世界はまさに、「死せる安倍、生ける近平を成敗す」となっていくのではないだろうか。