Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

防衛費増額による真の代償が「増税」ではない理由

「今を生きる世代」が分かち合うべき負担の正体
中野 剛志 : 評論家
2023年02月01日
1月上旬に実施されたJNN世論調査によれば、来年度から5年間の防衛費を43兆円に増額する政府方針については、「賛成」が39%、「反対」が48%であり、防衛費増額の財源として、2027年度には1兆円あまりを増税で確保するという方針については「賛成」が22%、「反対」が71%となった。
有識者「防衛費の財源は増税で確保する」
だが、政府の「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」(以下「有識者会議」)は、その報告書の中で、次のように述べている。
防衛力の抜本的強化に当たっては、自らの国は自ら守るとの国民全体の当事者意識を多くの国民に共有していただくことが大切である。そのうえで、将来にわたって継続して安定して取り組む必要がある以上、安定した財源の確保が基本である。これらの観点からは、防衛力の抜本的強化の財源は、今を生きる世代全体で分かち合っていくべきである。
これを、もっと率直な表現で言い換えれば、次のようになる。
① 防衛力の強化に必要な財源を確保するためには、増税が必要である
② 国債の発行による財源確保は、将来の世代に増税という負担をかけるので、今を生きる世代に増税の負担を課すべきである
③ 国民全体が自らの国は自ら守るという当事者意識をもち、増税を受け入れるべきである
しかし、世論調査は、国民のおよそ7割がその増税に反対していることを示している。それは、約7割の国民が、自らの国は自ら守るという当事者意識を欠いているということを意味するのだろうか? あるいは、「今を生きる世代」は防衛力の強化の負担を将来世代へと先送りしようとしているのだろうか?
検討してみよう。
有識者たちの「根本的誤解」
まず指摘しなければならないのは、「有識者会議」の論理の大前提となっている「①防衛力の強化に必要な財源を確保するためには、増税が必要である」が間違っているということである。
資本主義における政府は、その支出の財源を確保するために徴税を必要とはしないことは、すでに論じたので参照されたいが、改めて結論をまとめるならば、こうなる。
資本主義においては、政府の需要に対して、中央銀行が貸し出しを行うことで、貨幣が無から創造される。言い換えれば、政府が債務を負い、支出を行うことで、貨幣が供給されるのが、資本主義における国家財政の仕組みである。
要するに、貨幣(財源)を生み出すのは、政府(と中央銀行)である。したがって、政府は、支出にあたって、税収という財源を必要としない。
もちろん、政府は、発行した国債をいずれ償還しなければならず、そのために徴税は必要となる。しかし、税収は、その償還の財源を確保するために必要なのであって、支出の財源を確保するためではないのである。
しかも、政府は、国債の償還の財源を確保するために、新たに国債(借換債)を発行することもできるのであって、必ずしも徴税による必要はない。借換債を発行するか、増税するかは、その時々の経済状況に応じて判断すればよい。
例えば不況時であれば、増税ではなく、借換債の発行を選択すべきである。逆に、景気が過熱して、冷却する必要があるならば、増税によって償還財源を確保すればよい(もっとも、景気が過熱しているときは、税収も自動的に増加しているため、増税が必要ではない場合も多いだろう)。
そもそも、政府が債務を負って支出することで貨幣が民間経済に供給されるのであるから、政府債務は、完済しなければならないようなものではない。民間経済で貨幣が循環するためには、政府債務はむしろ必要である。
このように、資本主義における政府は、貨幣をいくらでも創造できる。政府の支出に資金的な制約はない。よって、政府は、防衛力を強化するにあたって、増税を行う必要はない。政府が債務を負って貨幣を創造し、財源とすればよい。そして、政府債務を増やすことは、将来世代への負担の先送りにはならない。政府債務の償還のために、将来の増税は必要ないからである。
このように、「有識者会議」が前提とする「①防衛力の強化に必要な財源を確保するためには、増税が必要である」という主張は誤りである。
したがって、増税に反対したからといって、「自らの国は自ら守るという当事者意識がない」とか、「将来世代にツケを回している」とかいった非難を受けるいわれはないのである。
防衛力強化が国民に強いる「真の負担」
それでは、防衛力の強化にあたって、今を生きる世代は、何ら負担を共有しないでよいのだろうか? 自らの国は自ら守るという当事者意識など、なくてもよいのだろうか?
答えは、否である。
確かに、政府は、防衛財源を確保するために、増税をする必要はない。資本主義における政府はいくらでも「カネ」を創造できるのだから、「カネ」の制約は受けないのである。しかし、「カネ」の制約は受けなくとも、「ヒト」や「モノ」といった実物資源の制約は受ける。
言うまでもなく、防衛力を強化するために必要な実物資源、例えば自衛隊員などの「ヒト」、あるいは兵器や基地などの「モノ」の供給量には、限界があるからだ。「カネ」は無限だが、「ヒト」と「モノ」は有限なのである。
したがって、政府が債務を増やして貨幣を創造し、それを使って防衛力を強化していくと、いずれ「ヒト」や「モノ」の供給の限界にぶつかる。要するに、防衛需要が過大になって、供給が不足するのである。それは、高インフレという経済現象となって現れる。
例えば、戦時下の国民が高インフレで苦しむのは、軍事需要が供給能力をはるかに上回ってしまうからである。
したがって、われわれ国民は、防衛力の強化が始まったら、増税されなくとも、自動的にインフレという負担を課せられることになる。


『世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道』(幻冬舎新書)。


もし防衛力を急激に増加させれば、その代償として、国民は高インフレによって生活を圧迫されることになるだろう。しかも、その高インフレという代償を払うのは、「今を生きる世代」である。要するに、国を守るために、今を生きる世代が共有しなければならない真の負担とは、税ではなく、高インフレなのである。
その意味において、「有識者会議」が、防衛力の強化には「自らの国は自ら守るとの国民全体の当事者意識」が必要であり、その負担は「今を生きる世代全体で分かち合っていくべきである」と言ったのは、正しかった。ただ、資本主義における政府の財源についての理解が間違っていたのである。
なお、資本主義の仕組みやその下での国家財政のあり方について、この短い論考では十分に説明できていないので、詳細は『世界インフレと戦争』を参照願いたい。