Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

無免許・無保険・違法車両で日本人男性を死亡ひき逃げ…逃亡技能実習生「不法滞在」ベトナム人の罪

 日本には制度上、移民はいない。しかし、悪名高い、技能実習生制度のもと、ベトナム人だけでも実習生は20万人近く。その一部は低賃金や劣悪な環境に嫌気がさして逃亡、不法滞在者の「移民」として日本のアンダーグラウンドを形成している。かつて中国人が主役だったアンダーグラウンドを、今、占拠しているのは、無軌道なベトナム人の若者たちなのだ。
 ここでは、大宅賞作家・安田峰俊氏が「移民」による事件現場を訪ね歩き、北関東に地下茎のごとく張り巡らされた「移民」たちのネットワークを描いた渾身のルポ『 北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪 』(文藝春秋)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の1回目/ 2回目に続く )
◆◆◆
裁判中は黙り続け、終わってから泣く
「免許がないのに運転をしたのはなぜなんですか?」
「……」
 2021年3月4日、水戸地方裁判所下妻支部の初公判。法廷では弁護士がおこなう被告人質問の声と、それをベトナム語に通訳する法廷通訳者の女性の無機質な声だけが響いていた。彼女は日本で長く暮らしている在日ベトナム人らしく、通訳のレベルは高い。
 証言台では黒のジャージ姿の女がうつむいていた。髪を茶色く染めているが、逮捕から約2ヶ月半を経たことで根元が伸び、ガトーショコラアイスの断面のように頭の色がくっきり分かれている。
 コロナ禍のなかで、白のサージカルマスクを着用した被告人の表情は見えづらい。もっとも、私はこの裁判以前に牛久警察署で拘置中の彼女と15分ほど接見したことがあった。どんな性格の人物であるかは、ある程度はわかっている。
 彼女──。ベトナム人のチャン・ティ・ホン・ジエウは、1990年6月2日ベトナム生まれの当時30歳だ。元技能実習生で、前年末に茨城県内で無免許運転をおこない死亡ひき逃げ事件を起こしていた。
 初公判の場所は田舎の地裁であり、傍聴人は多くない。新聞記者もあまり来ていないようだ。ただ、裁判官から見て右側の傍聴席には、ひときわ重苦しい空気が漂っていた。被害者の遺族と思しき一団が陣取っているのだ。特に悲しげな目をしている中年の女性は、おそらく被害者の奥さんだろう。
「(事故のときに)右から車が来るのは見えましたか?」
「……」
 国選弁護人は私と同世代くらいの男性弁護士だった。被告人のジエウに好感を持っていないらしく、検察官と役割を間違えたのかと思うほど口調と表情が厳しい。彼の口から「今後はかなりの期間の服役は免れないですが」という言葉が飛び出したときは、弁護士がこれを言うかと驚いてしまった。
検察官による質問でますます沈黙が増える
 もっとも、彼がいらだつ理由も想像できる。被告人のジエウは、ごく簡単な内容の弁護人質問に対してもしばしば沈黙したり、「はい」「悪かったです」といった、明らかにその場しのぎに思える表面的な返答を繰り返しているのだ。事前に弁護士と満足なコミュニケーションを取ろうとしていなかったことを感じさせた。
 彼女はおそらく、日本人の弁護士が自分を守ってくれる「味方」であることを、感覚として充分に理解できていない。裁判で用いられる難解な語彙も、たとえ通訳をされたところで意味をつかむことが難しいのではないか。
 やがて、男性の検察官による反対質問に移った。
「捜査段階では、あなたは事故現場から逃げた理由について、『死んだり怪我させたりした相手の家族から報復されると思って怖くて逃げた』と言っていますね?」
「……はい」
「本当にそういう身勝手な理由で逃げたんですか?」
「……」
 検察官は弁護士よりも温厚な口調だったが、ジエウの沈黙はますます増えた。
証言台で棒立ちを続けるジエウ
「答えてください」
 法壇から声が飛ぶ。裁判官は40代なかばくらいの、端正な顔立ちの女性である。
 当初、彼女は淡々と裁判を進行させていたが、被告人の度重なる沈黙に辟易(へきえき)したのか、途中から露骨に不快そうな表情を示すようになった。
「……答えなくてもいいですか」
 長い静寂の後、ジエウが通訳を介して言う。法廷内に「おいおい」と呆れたような空気が流れた。反対質問が進む。
「倒れている被害者の痛み、つらさは想像できなかったですか?」
「……」
「逃げればよけいに、相手の怒りが増すとは思わなかったのですか?」
「……」
 検察官が大きく首をかしげてみせた。芝居がかった振る舞いだが、半分は本心かもしれない。裁判官もうんざりした口調で「答えられないならそう言ってください。答えるつもりはないの?」と介入する。
 ジエウは小さな声で「はい」とだけ答えて、証言台で棒立ちを続けた。
紋切り型の日本語を呪文のように唱える
「本当に反省しているんですか?」
「……もうしわけないです」
「本国の家族に頼んで、遺族にすこしでも弁償する気は?」
「……私は技能実習生で家族は農業なので、お金ありません」
「できないのですね?」
「はい」
 反対質問が終わり、ジエウは裁判官にうながされて被告人席に戻った。目からボロボロと涙をこぼしている。これは何の涙なのか。いまさら泣くのなら、もっとちゃんとした態度で裁判に臨めばいいのに。
 すでに逮捕・起訴されている現在の状況で、自分の利害を合理的に考えるならば、裁判のなかで反省と更生の意思を示したほうがいい。そうすれば遺族の処罰感情や裁判官の心証がすこしでも和らぐ可能性があるし、自分の処罰もすこしは軽くなるかもしれない。
 事前に弁護士としっかりコミュニケーションを取っておくことも重要だ。彼女は裁判中に「技能実習生」と名乗ったが、実際は勤務先から数ヶ月で逃亡している。たとえば外国人労働者に対する人権問題を言い立てることも──。それが好ましいことかはさておき、自分が助かるために裁判戦略を組み立てることは刑事被告人に許されている権利だろう。
 だが、ジエウはそうした努力をまったくせずに裁判中は黙り続け、終わってから泣いている。
 とはいえ、彼女のような振る舞いは、私がこれまで取材した在日ベトナム人の技能実習生やボドイ(編注:技能実習先を逃亡するなどして不法滞在・不法就労状態にあるベトナム人の総称)たちの姿を思い浮かべてみると、比較的見慣れたものでもあった。
 相手が弁護士か、検察官や裁判官かを問わず、自分よりも立派そうな人間から難しいことを言われたときは、とにかく沈黙してしまう。もしくは「がんばります」「にほんがすきです」「ごめんなさい」といった紋切り型の日本語を呪文のように唱え、その場をやりすごす──。
 自分が置かれた環境を理解して、もっと適切な行動を取ればいいのにと歯がゆくなるが、彼らはそれをしない。そもそもジエウが日本にやってくる契機になった外国人技能実習制度にしてからが、発展途上国の内部でも判断力が低い(もしくは教育上の問題から「低くなった」)人たちを丸め込んで入国させ、安価な単純労働力として充当する仕組みとして、実質的に運用されている制度なのだ。
 私は自分の席から左手に視線を送った。じっと耐えるような表情を浮かべる遺族らしき女性と、証言台に立つジエウの背中を睨みつけるスーツ姿の女性がいる。後者の女性は、年恰好から見て被害者の事務所の同僚かもしれない。
静かな住宅街での惨劇
 事故は2020年12月19日午後5時5分ごろに起きた。
 当日、茨城県古河市東山田の天候は晴れ。郊外に自宅兼事務所を構える当時55歳の建築士のKは、長年の日課であるジョギングをこなしながら、交差点に差し掛かろうとしていた。
 本来なら、やや西にある県道17号線の歩道が彼のトレーニングコースだ。しかし、この日午後の古河市には最大瞬間風速11メートルのやや強い西風が吹いており、気温も1桁台だった。
 田んぼのなかに伸びている道路を走ると寒い。ゆえに彼は、風の影響を受けにくい住宅街に向かった。しかし、結果的にこの小さな判断がKの運命を暗転させた。
「側道からミニバンが、一時停止も左右確認もなく市道に突っ込んできた。結果、走っていた車と出会い頭に衝突した。そして、ミニバンが跳ね飛んだ先にKさんがいたんです」
 事故から約1ヶ月半後、現地に行った私に、近所の男性はこう証言した。彼は事故が起きた交差点のそばで理容店を営んでおり、被害者のKとは「在学中の付き合いはなかった」 ものの中学校の同級生だ。Kは学生時代に陸上部に所属しており、卒業から約40年を経た現在もジョギングを続けていたようだ。
 だが、理容師がそんな同級生の近況を知ったきっかけは、店の前で起きた悲惨な交通事故だった。店内で働いていた彼の妻も言う。
「物音を聞いて、様子を見るために近所の人たちが家から飛び出しました。でも、ミニバンに当たった車を運転していた女の人には『大丈夫ですか』って声を掛けにいったんですけど、倒れているKさんには、怖くて誰も近寄れなかったんです。仰向けのままで、ぴくりとも動かない。一目で『もうだめだ』ってわかる感じで」
衝突で弾き飛ばされた車を回避できず、即死
 市道を走っていた自動車を運転していたのは、近所に住む当時46歳のパート従業員の女性である。
 さいわいほぼ無傷で済んだ。その後の裁判でも、法定速度内で走っていたという古河署の捜査結果が検察側から発表されている。
 だが、衝突で弾き飛ばされたミニバンが目の前にいきなりやってきたKは回避しようがなかった。
 彼の背後には運悪くブロック塀があり、車体の左後部と塀に頭を挟まれる形となる。
 倒れたKは茨城西南医療センター病院に搬送されたものの、5時56分に死亡が確認された。脳挫傷により、ほぼ即死だった。
「事故を起こしたのは、車検が切れている古い日産セレナ。その後の捜査で、別の車のナンバーが違法に貼り付けられていたことが判明した。現場は見通しの悪い交差点だが、スピードを出すような道路ではない。本来、それほど事故が起きやすい場所ではなく、近年は死亡事故が起きた例もない」
 2021年2月7日、取材に応じた古河署による説明だ。
 もっとも、私が実際に事故現場に行ってみたところ、見通しもそこまで悪くない場所だった。事故の衝撃からかブロック塀がひび割れ、付近に自動車のライトの破片がわずかに散らばっていたが、献花などは置かれていない。注意して見なければ死亡事故の現場とはわからないだろう。
 周囲は静かな住宅街で、数百メートル圏内に小学校や幼稚園、大きな児童公園がある。住民の生活水準は付近の他の地区よりもやや高そうだ。ベビーカーを押したり幼児と手をつないだりしている家族が何組か、路肩を歩いており、子連れ世帯が多く住む地域らしい。
 凄惨な事故とは無縁──。というより、とりわけ交通事故が起きてはいけない地域だろう。もうすこし早い時間帯なら、児童公園帰りの親子にセレナが突っ込んでいてもおかしくなかったはずだ。
 Kが命を落としたのはそんな場所だった。
建物のリノベーションを依頼 9年後にカフェもオープン
 建築士だった彼は、過去に手掛けた作品がグッドデザイン賞を複数回受賞し、茨城・栃木・群馬など北関東各県の自治体のまちづくり事業や伝統建築保存事業に参画、専門学校の講師も務めるなど、地域の名士として知られていた。地元の『茨城新聞』で、大きく顔写真が掲載されて取り上げられたこともある。
「Kさんは、なんていうか……。ちょっと変わった人で、独自の世界観を持っているアイディアマンで、センスがありましたね。特に古民家の再生・保存の分野では第一人者と言っていい。歴史的観点からデザインを考える人でした。多趣味で、ジョギングのほかにコーヒー豆の焙煎(ばいせん)なんかもやっていて」
 カフェの店長はこう話す。彼は在学期間が異なるもののKと同じ国立小山高専の出身で、茨城県筑西(ちくせい)市内で兄とともに飲食店「二葉ごはん」とカフェ「二葉じかん」を経営している。
「二葉ごはん」はもともと寿司屋だったが、先代だった父が亡くなり息子たちが跡を継いだ際、Kに建物のリノベーションを依頼した。店舗の再生はさいわいうまくいき、9年後に隣の敷地にカフェ「二葉じかん」もオープンさせた。
 実際に店舗に行ってみると、単線の第三セクター鉄道「真岡鐵道(もおかてつどう)」沿いの田舎町らしからぬ垢抜けた雰囲気だった。特に飲食店のほうは、寿司屋時代の古い木板のお品書きを店内インテリアとしてわざと残す形で内装設計がなされている。
 生前のKが作った空間である。
不法滞在・無免許・無車検・無保険
 ──いっぽう、運転者のジエウは事故現場から逃走した。
 後日の裁判で明らかになったところでは、ジエウは現場を離れてから、同居している妹に電話し、やはり不法滞在者である妹が運転する別の車で迎えに来てもらって古河市外に脱出した。もちろん、こちらも無免許運転だ。
 対する茨城県警も、事故直後からすばやく動いた。まずは県内各地のコンビニの防犯カメラの映像がくまなく洗われ、事故発生から12日前の2020年12月7日につくばみらい市のコンビニに事故車両と同じナンバーのセレナが来ていたこと、降りてきた女が宅配便の発送をおこなっていたことが判明した。
 コンビニのレジに控えられていた宅配便の伝票の発送元住所が手がかりとなり、ジエウははやくも事故翌日の20日朝、自動車運転処罰法違反(過失致死)と道路交通法違反(救護義務違反)容疑で逮捕された。場所はつくばみらい市内である。
 ジエウ本人について、もうすこし詳しいプロフィールを紹介しておこう。
 彼女は1990年6月2日、ベトナムのフート省生まれ。故郷は首都のハノイの北西30キロほどの場所にある農村地帯だ。離婚歴があるシングルマザーである。
基本的な交通ルールさえも理解しないまま自動車を運転していた可能性も
 2015年10月、当時2~3歳の子どもをフート省に残して、技能実習生として来日した。当初は岡山県の水産加工会社に勤務したものの、やがて逃亡。日本各地を転々とした末、数年後に茨城県つくばみらい市に移ったらしい。事故当時は妹と、当時25歳の友人というボドイの女性3人で共同生活を送っていた。事故を起こしたセレナは、もとより車検が切れた来歴定かならぬ車両であり、この3人の共有物として使っていた模様だ。
 ちなみに、ジエウには前科がある。2020年8月31日にさいたま地裁で、出入国管理法違反(不法滞在)と道交法違反(無免許運転)により有罪判決を受けているのだ。つまり事故のすこし前にも無免許運転で警察に逮捕されていたのである。
 ただ、このときは裁判後に入管に送られてから、仮放免処分を受けて帰宅した。そして2020年12月19日、小山方面に住んでいる同胞に冷蔵庫と洗濯機を運ぶために再び無免許でセレナを運転し、今回の事故を起こした。
 事故当時、側道から一時停止を無視して優先道路に飛び出し、横断をはかった行動から考える限り、彼女はごく基本的な交通ルールさえほとんど理解しないまま自動車を乗り回していた可能性が高い。
 もちろん自賠責保険にも未加入だった。Kの突然の死は、不法滞在・無免許・無車検・無保険のベトナム人女性の運転によって引き起こされたのだった。
「カネが50万貯まれば逃げる」プライバシー“全部筒抜け”漁村を離れた技能実習生が罪を犯すまで へ続く
(安田 峰俊/ノンフィクション出版)