Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「給料が上がらないのに物価高、岸田、何とかしろ!」国民の生活はキツくなるが…それでも物価高騰が“悪”とは言い切れないワケ

〈 財務大臣が高校レベルの経済理論を知らず、官僚から「オレたち抜きでは何もできない」と…日本の政治家とキャリア官僚の“歪んだ関係” 〉から続く
 最近、「世の中は変わらない」と投票に行かない国民が多い。その結果、経済政策の基本も分からない政治家が国政に携わってしまうことになる。すると、どうなるか。利上げ、増税、規制強化が待ち受け、ローンの利子は上がり、税金も容赦なく上がり、無駄に行動を制約される。どんなに働いても給料が上がらない世界になってしまうのだ。
 ここでは、経済学の基本をわかりやすく記した倉山満氏の著書 『これからの時代に生き残るための経済学』 (PHP新書)より一部を抜粋・再編集。経済学の盲点について、倉山氏がやさしく解説する。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)
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ミクロとマクロで善悪が逆転?
 高橋是清(1854~1936)は日銀総裁や大蔵大臣を経て、1921(大正10)年に総理大臣となり、二・二六事件で暗殺される人です。首相としてはパッとしませんが、蔵相として日本の経済を立ち直らせた手腕はたいしたものです。この高橋が経済の本質についてひらめいたきっかけとして、有名な話があります。
 芸者遊びは、善か悪か。
 遊び回る男の、家族にとっては悪です。「稼ぎを家に入れず、家族をほったらかしにして、そんな遊びに使うな」でしょう。しかし、外で金を使う親父がいるから、経済全体が回るとも言えるわけです。その家庭にとっては悪かもしれないけれども、経済全体にとっては決して悪いこととは言い切れない。
 もっと現代的で身近な例を言いましょう。
 最近(2022年秋)、物価が上がっています。そこで「給料が上がらないのに物価高、岸田、何とかしろ!」みたいなことを言い出す人もいる。結論から言うと大賛成ですが、ここで岸田さんの悪口を言っても仕方がない(笑)。
 私の近所でも、行きつけの食堂が定食を100円値上げしました。老夫婦が経営する店で、「仕入れ値が高騰して、本当に心苦しいんですが」とものすごく申し訳なさそうにしていました。
 ところで、食堂の定食が700円から800円になったことは、果たして悪いことでしょうか。物の値段が上がらないと売り上げが増えず、稼ぎも増えないのではないでしょうか。
 物価が上がることは、一見、悪いことのように見えて、経済全体としてはいいことかもしれないのです。仕入れ値が上がったということは、仕入先は儲かっていることになり、儲かったお金で食堂に来て食べてくれれば、飲食店の夫婦もまた儲かるという好循環が生まれます。
 残念ながら給料が上がるのは最後になることが多いので、生活者として物価高騰はきつく感じるかもしれません。しかし、好景気になれば巡り巡って、最終的に生活は楽になるのです
 マクロ経済は見えないもの、ミクロ経済は見えるものを扱うと言い換えてもいいでしょう。
経済は単純な勝ち負けではない
 今、自分が損をすること(見えるもの)と経済がよくなること(見えないもの)は全く違うという場合が多々あります。
 円安になると輸入品は高くなります。それで「悪い円安」などと言われたりする。
 ボクシングの元世界チャンピオンであるフロイド・メイウェザーが来日中に豪遊したり爆買いしたりしているのを見て「円が安いからドルで買い叩かれて、ムカつく」のように言う人もいます。でも、別の見方をすれば、メイウェザーが大金を日本に落としてくれているということです。モノが売れているのですから、喜ぶべきことではないでしょうか。
 かつてはモノが売れずに輸出業界がひどく悩んだはずなのに、どちらに転んでも悪く言いたがる人達が多くて困ります。
 大昔、重商主義の時代は、貿易赤字は負けという考え方でした。今でも重商主義者が、あちこちに健在のようです。経済は、誰かが勝って誰かが負けるというような単純な勝ち負けの話ではありません。
 儲かれば勝ちなのが経営でしょうが、マクロ経済では、社会全体を見なければならないのです。
国と個人は違う
 国の借金が膨大であるという話をよく聞きます。
〈 財務省は10日、国債と借入金、政府短期証券を合計したいわゆる「国の借金」が6月末時点で1255兆1932億円だったと発表した。3月末から13.9兆円増え、過去最多を更新した。国民1人あたりで単純計算すると、初めて1000万円を超えた。債務の膨張に歯止めがかからず、金利上昇に弱い財政構造になっている。
『日本経済新聞』2022年8月11日付〉
 昔から「国の借金がこんなにある。国民1人当たり、うん万円。大変だ。なんとかしなくては~」の一本調子で、耳にタコです。最近では反佀の声も大きくなってきて、ウソを信じない国民も増えていますが、まだまだ根強い信仰です。
 政府の借金とは、現代日本の場合、国民からの借金です。
 たとえるなら「倉山満事務所が倉山満からの借金を返さなければならないか」という問題に似ています。
 倉山満事務所というのは、倉山満という人が過半数の株式を有するオーナー企業です。倉山満事務所が、モノを購入し、領収書をもらい、倉山満が払います。それを繰り返すと借金がつみ重なり、事務所は倉山満から多額の借金をしているという状態になります。それ、返さなければいけないのでしょうか。自分で起業してみて、はじめてわかったことですが、財布が2つになるだけです。一応、法律上は定期的に借金を返さねばならないのですが、ボーナスみたいなものです。オーナーの倉山満さんは、また倉山満事務所にお金を貸してあげています。
 個人と会社では経済的感覚が異なります。まして国の経済に個人の感覚を持ち込むと、ロクなことがありません。そして敵はそんなことは十分承知で「個人の感覚」に訴えてくるのです。十分に注意しましょう。
原則、国は滅びないから政府の信用で造幣し、国民から税金を取る
 ちなみに、戦時中に東條英機という愚かな総理大臣がいました。この人の愚かさ、挙げ出したらキリがないのですが、さんざん「これは戦争に勝つためだ!」と国民に無理を強いながら、負けてしまいました。実に愚かです。その東條は、戦費を賄まかなうために国債を発行しました。その時の東條内閣が作った国債購入を国民に呼びかけるプロパガンダ映画の口上です。「国民の皆様、政府は今、世紀の大戦争を行っています。巨額の戦費が必要です。政府が国民の皆様から借金をしたいと国債を発行しています。愛国者の皆さんは、購入しましょう」です。
 アホの東條でも、噓はついていません。「国債とは政府の借金で国民の債権」だと、正直に言っています。
 今の財務省のように「国債は国民の借金だから、増税します」とか、大噓は言いません。それ、お金を借りといて「返すからカツアゲ」って言ってんのと同じです。
 現代において、国は原則として滅びません(ロシアの片手間の中国の片手間のイギリスの片手間にアメリカに喧嘩を売るくらいの無茶苦茶をやれば、知りませんが)。
 滅びないから、国は政府の信用でお札を発行します。また、国民から税金を取ることもできます。
 これ、個人でたとえると、お札をいくらでもコピー機で再生産できるのと同じです。カツアゲも可能ということです。
 個人がお札のコピーをしたら犯罪ですし、カツアゲも言うまでもない。でも国家はお札を刷ってもカツアゲをしてもよいのです。もちろん条件はありますが。
 国と個人は違うのです。何でもかんでも個人の感覚、家計にたとえると、経済を間違えます。

(倉山 満/Webオリジナル(外部転載))