Shinzo-Returns

安倍総理の志は死なない!!

「ゼロコロナ」志向こそが人と社会を壊していく

森田洋之医師に聞く。「ワクチン過信にも注意」
大崎 明子 : 東洋経済 解説部コラムニスト
2021年04月27日
新型コロナ流行の一方、インフルエンザは流行せず。2020年の日本の死者数は前年比減少。いつまで脅し続けるのか。
「医療逼迫」を理由に、大阪府、兵庫県、京都府、東京都では緊急事態宣言がまたも発令され、飲食、レジャー関連など対面サービス業は壊滅的な打撃を受けている。日本の医療制度をよく知る森田洋之医師は、「医療逼迫」の原因は日本の医療制度の側にあると解説している(『コロナ「医療逼迫」に「国民が我慢せよ」は筋違い』)。さらに森田医師は「ゼロコロナ」志向には大きな危険があると指摘する。コロナ感染の実態と今の対策への疑問、変異株やワクチンについてどう考えるか、話を聞いた。
飲食店などの規制は犠牲が大きく効果は乏しい


森田洋之(もりた・ひろゆき)/1971年横浜生まれ。医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表、ひらやまのクリニック院長。鹿児島医療介護塾まちづくり部長、日本内科学会認定内科医、プライマリーケア指導医、元鹿児島県参与(地方創生担当)。一橋大学経済学部、宮崎医科大学医学部卒。財政破綻後の北海道夕張市で市立診療所長として地域医療の再建に尽くす。専門は在宅医療、地域医療、医療政策など。近著に『日本の医療の不都合な真実』(幻冬舎新書)、『うらやましい孤独死』(フォレスト出版)(撮影:今井康一)
――森田さんは「医療逼迫」は医療提供側に原因があると指摘されました。ところが、テレビ・新聞は「緊急事態宣言の発令を」の大合唱でした。政府・自治体の対策で特にターゲットにされているのは飲食店、居酒屋などです。
飲食店が感染を広げているという証拠はありません。大阪府では、クラスター発生場所のうち飲食店が占める割合はたった2%でした。クラスター発生場所の大部分は病院や介護施設です。そういう意味でも、飲食店などへの過剰な規制はやりすぎというか、犠牲が大きいのに比して効果が乏しいのではないかと思います。
――新型コロナによる死者数は今年の4月22日で累計9761名との報告です。しかし、厚生労働省の昨年6月18日付け事務連絡で、速やかな把握のために、PCR検査陽性者が亡くなった場合には、新型コロナによる死と扱い、厳密な死因を問わないことになりました。そのため、過剰計上が指摘されています。
結局、PCR検査をすると検査陽性者という母数も膨らんでしまいますし、分子の死者も過剰計上とみられます。だから、実態がわかりにくくなっています。いままでインフルエンザなどではPCR検査はほとんど行ってこなかったので、それらとの比較も困難です。新型コロナがどれだけ被害を与えたかを見るには超過死亡がいちばん信頼できる統計です。超過死亡は感染症の流行によって、平年よりも死者が増えたかどうかを見るものです。
新型コロナの流行によって世界のほとんどの国では超過死亡が発生したのですが、日本は超過死亡が出なかった非常に稀な国です。2020年の日本の総死者数は138.4万人で、前年よりもむしろ約9300人減ったのです。高齢化が続く中で増え続けていたのに、11年ぶりの減少です。国立感染症研究所も日本では超過死亡は発生しなかったと分析、報告しています。

――「2020年はパンデミック流行の年で、死者が例年よりも減った」なんていう記録を後生の人が見たらワケがわからないでしょうね。
欧米は明確に超過死亡が増えていますから、パンデミック被害があった。今回の新型コロナでは世界的に感度の高いPCR検査というものが積極的に使われました。しかし、PCRの存在しない時代だったら、「欧米ではなんか酷い病気が流行ってたくさん人が死んでいるけど、東アジアではほとんど被害がなかったね」で終わっていた可能性もあります。
ちなみに、日本、中国、韓国、台湾、これが欧米の数十分の1~数百分の1の死者数です。4カ国すべてこんなに低いということが起こる確率は天文学的なものです。偶然はありえない。しかもこれらの国々では欧米のロックダウンのような強制的措置はほとんど行われず、日本の自粛要請のような比較的緩い対策が主体でした。そういう意味ではもしかしたら、感染症対策はしたほうがいいかもしれないけど、しなくても変わらなかったかもしれない。
免疫の違いは大きかったのに、欧米に引きずられた
新型コロナを例えて言うなら、「山火事が起こりました。火元は中国でした。しかし、そこではまもなく鎮火して、近隣もくすぶり程度でしたが、遠くで燃え上がりました」というわけです。なぜそんなに、違うのかといえば、燃えやすさが違うに決まっています。つまり免疫の違いです。
免疫学の世界では地域、民族によって免疫の強さが異なるというのは当たり前の話です。16世紀のインカ帝国は、実はスペイン人たちの武力によってではなく、持ち込まれた天然痘で滅ぼされたのです。欧州では当時すでに多くの人が天然痘の免疫を持っていたわけです。
昨年の春節の時期、2020年1月~2月に中国から日本には101万人の旅行者が来ていました。同時期にアメリカに行った人は35万人です。そのときに、コロナも上陸していたのかもしれません。感染対策はまだしていませんでしたが、日本では感染がそれほど広がらず、欧米では大爆発した。
――ジョンズホプキンス大学の調査では、4月23日時点で世界の新型コロナによる累計死者数は306万人です。ただ、感染症では毎年アフリカを中心に多くの死者が出ているのに、普段はあまり報道されない。新型コロナは欧米で爆発したから報道も過熱したのではないでしょうか。
そのとおりです。三大感染症(エイズ、結核、マラリア)では毎年250万人、毎日7000人がなくなっています。新型コロナについてはいろいろな面で欧米に引きずられたと感じています。
――日本で流行する感染症はインフルエンザです。今年インフルエンザはなぜ流行しなかったのでしょうか。
2つ説があって、マスクなどコロナ対策がインフルエンザに効いたというのが1つ。もうひとつがウイルス干渉。現時点では正確にはわかりませんが、状況から判断するに僕は後者が有力だと思います。なぜなら通常インフルエンザの流行は1月中頃の最も寒い時期にピークを迎えるのですが、2019年に関しては、コロナが流行する直前の11~12月にインフルエンザの流行が突然収束してしまったのです。その頃から新型コロナウイルスが広がり、インフルエンザウイルスに取って代わった可能性もあります。
(注)ウイルス干渉:複数のウイルスのうち、一方のウイルスが世間で流行すると、他方のウイルスが流行しないという現象。
インフルエンザでもPCR検査をして全例入院と言い出したら、それこそ医療崩壊になります。国立感染症研究所の分析などでインフルエンザでは毎年1000万人の感染者と1万人ぐらいの死者が出ているとされています。それでもこれまでの社会はインフルエンザの流行をある程度許容しながら通常の日常生活を送ってきました。結果論ですが、欧米のようなロックダウンをしなかったにもかかわらず超過死亡を出さなかった日本などの東アジア地域では、新型コロナもインフルエンザと同じような扱いでもよかったのかもしれません。
ウイルスの排除でなく、免疫機能を高めることが大事
――新型コロナは無症状でもうつるのが怖い、とされました。
インフルエンザでもその可能性はあると思います。ランセット誌(Lancet)の論文で、血液検査の結果インフルエンザに感染した人の75%は無症状だったと報告されています。ウイルスはどこにでもいるし、どこから入ってくるかわからない。しかし、体内に入ったからといってその人が発症するとは限らない。ウイルスを完全に排除するのは無理なのです。
――ところが、立憲民主党などはいまさら「ゼロコロナ」と言い出しました。昨年からそれを主張するテレビや新聞、経済学者がいて「大量検査で隔離」などとジョージ・オーウェルの『1984年』のようです。
僕もマトリックスの世界に迷い込んだかのように感じることがあります。人間をずっと閉じ込めておくのですか。医師でもコロナをいったんゼロにせよ、と主張している人もいます。それ自体非現実的ですが、大量検査で仮にゼロになったとして、グローバルに広がったウイルスに対して、日本はこの先ずっと鎖国を続けるのですか、と問いたい。人間が駆逐に成功したウイルスは天然痘のみで、それほど困難なのです。
ウイルスを完全に排除しようというのは困難なだけでなく、実は、人間の体、人類の将来にとっても危険なことです。私たちは事実として細菌やウイルスと共存しながら日常生活を送っています。それによって、免疫を身につけてきたのです。例えば、肺炎の原因の第1位は肺炎球菌ですが、子どもの鼻や喉の中に常在菌として存在し、それが免疫機能の低下したお年寄りにうつると亡くなることもあります。つまり感染症とは病原体と免疫力のせめぎあいなのです。
菌やウイルスが体内に入って暴れ出したときに、体内の免疫機構で制御できるようにすることが、大事です。ゼロコロナを目指すより、被害を押さえながら共存して免疫機能を強くしていくほうがいい。しばしば誤解が見られますが、インフルエンザ薬のタミフルやリレンザも増殖を抑えるだけでウイルスを殺すわけではありません。ウイルスを殺してくれるのは自分の免疫だけです。
――では、何年も過剰な対策をしながら暮らすと、人間が弱くなる?
すでに免疫のある大人はそれでもいいかもしれませんが、今年生まれた子どもが何年もそうした状態に置かれたら怖いと思います。無菌室で育ったら、と想像してみてください。
後遺症も変異株も「コロナが特別」ではない
――昨年の夏頃から若年層向けには後遺症が怖い、後遺症を恐れよ、というのがキャンペーン的に流されました。
どんな病気でも後遺症は発生しうる。当然、風邪でもインフルエンザでもあります。人の体は複雑ですから、医学の世界では「一例報告」にこだわることはしません。全体像がつかめなくなるからです。ところが、テレビの報道はそういうのが大好きですね。後遺症のあるという患者さんにインタビューして大きく報道する。その人もその後は治っているかもしれませんが、その時には報道しません。
――変異株についても、さまざまな報道があります。
変異株についていえば、ウイルスはどんどん変異していきます。ウイルスというものの性質として自分が生き残る、広まるためには宿主が必要ですから、大きな傾向としては弱くなっていくという性質があります。もちろん、その過程ではどのようなウイルスになるのか、注意して見ていく必要がありますが、一つひとつの報道に振り回されるのではなく、本当の死亡率はどうなのかなど、統計全体を見て冷静に判断していくのが望ましいと思います。
そういう視点で見ていくと、今回の変異株についても、前回1月ころの変異株についても、超過死亡が大幅に増加するとか欧米のように死亡率が激増する、というような傾向は見られません。
――新型コロナでは子どもや若者は基本的に死なないので、教育や遊び、スポーツ、芸術などを犠牲にしている現状は間違いだと思います。ただ、そういうと、「お年寄りは死んでもいいのか」という反論が来る。
新型コロナで大騒ぎしていますが、日本では肺炎で年間10万人、月に1万人、毎日数百人死んでいるのです。今まで、その人たち全員に人工呼吸器を付けろという話にはならなかった。これは、お年寄りだから付けないという話ではないし、そんな議論をしてはいけません。もちろん、回復の可能性があれば人工呼吸器やECMOも使うでしょう。
新型コロナの統計を見ていると、おそらく、亡くなった方には認知症が進んで5年間寝たきり、老衰の過程をたどっていたという方も多い。新型コロナ死亡者の4割がもともと寝たきりの高齢者だったという報告もあります。(『コロナ死亡患者の4割が「元々寝たきり」の波紋』)。そのような場合に必要なのは、人工呼吸器ではありません。まず、患者さんがどうしたいのか、医師は腹を割って話し合って、その人の人生観に沿った対応をすべきなのです。過剰な医療で苦しむことなく静かに人生を閉じることを希望されているかもしれないのですから。
医療の目的は「身体的・精神的・社会的な健康」
今、ゼロコロナを目指す結果、高齢者は家族と面会できない状況です。しかし、終末期のおじいちゃんおばあちゃんにとって今、新型コロナにかかるかどうかはもうあまり関係がないかもしれない。それよりも、家族に会い、残された日々を少しでも笑顔で過ごしたいかもしれない。そういう希望があるならそれを実現するのが本当の医療です。ところが、現実は患者のための医療ではなくて医療側のための医療になっている。
私は大病院に勤務したあと、市財政の破綻で病院がなくなった夕張市で高齢者医療に携わりました。きちんと対話すると、札幌の大病院に入院するよりも、在宅医療を選んだ人が多く、そのほうが最後まで生き生きと暮らすことができたのです。高齢者医療の実体験を本に書いていますので、ぜひ読んでいただければと思います(『日本の医療の不都合な真実』、『うらやましい孤独死』)。
医療の目的は医師法第1条に書いてあります。「国民の健康な生活を確保する」と。では「健康な生活」とは何か。WHOの定義では、「身体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」です。しかし、今の医療は身体面しか見ていない。延命だけが目的になり、精神的・社会的な健康に興味のない医者が多い。だから管を抜かないように患者を拘束するような医療が当たり前になってしまっている。
――ワクチンこそ、「自身のリスク判断」に委ねられるべきだと思いますが、テレビや新聞は打つべきとの大宣伝です。新型コロナで脅しすぎて収拾がつかなくなったので、ワクチンで救われるというストーリーを喧伝しているのではないか、そんな気さえしています。森田さんは、ワクチンをどうみていますか。
基本的にはあまり期待していません。かなりの情報が出ていますが、それでも今の時点で効果が大きいとか安全だとかいうのは時期尚早だと思います。例えば、イギリスは5割近く、イスラエルは6割の人がワクチンを打ち、感染者が急減したと喜んでいますが、統計をよくみると、昨年の第1波でも感染が減るときは急減しています。つまり、ワクチンによるものなのか、単に新型コロナのエピカーブがそうなのか、判然としません。また、チリでは4割の人がワクチンを打ちましたが、感染者数は過去最高です。ワクチンが中国製だからという人がいますが、それが原因かはわからない。
それでも、アメリカやイスラエルやイギリスは感染状況と死亡率からいって賭けに出る価値があるでしょう。しかしコロナにかかる確率や死亡率が極端に低いに日本では賭けに出る必要がないと僕は考えています。遺伝子ワクチンのような新しい薬では何があるかはわからないです。理論的に安全だと専門家は言いますが、これほどあてにならないことはありません。医学的に安全と認められた薬があとで副反応が大きくて承認取り消しになったという事例はたくさんあります。
アナフィラキシーショック(アレルギーショック)などの目先の副反応ばかりが注目されていますが、怖いのは副反応がすぐに出るとは限らないことです。ワクチンではありませんが、サリドマイドの例などひどいものです。医学的に安全だということで薬事承認が通って多くの人が使って、4年後に奇形児が生まれるとわかった。因果関係はすぐにわからず、関連がわかるまでに4年かかり、その原因が理論的に解明されたのは30年後です。
「医療の過信」「ゼロコロナ幻想」は危険
専門家をそんなに信じてはいけません。医者も国民も医療を確かなもののように思いすぎていることがよくないと思います。医学って数学や物理学のように、確かな学問じゃない。人間の体は複雑でまだほんのわずかのことしかわかっていません。人の体に新しい薬を入れたらどういう反応が出るのかはわからない、というのが本当に正しい良心的な答えです。経済学の理論も現実の社会に落とし込んでみると、理論どおりにいかないことが多いですが、似たところがあります。
先程からお話ししているように、コロナだけをゼロにすべきという幻想が広まってしまったことに危機感を覚えます。私自身、医師として多くの死に向き合ってきました。残念ながら救えない命はあります。そして人は必ず死にます。一方で、リスクを恐れるあまり多くの高齢者を「かごの中の鳥」にすることで、かえって動けなくなったり、認知症が進んだりということが起きています。
コロナ禍をきっかけに、一般の国民の活動制限が始まりました。中国や韓国のようなスマホの位置情報で個人を監視するような動きを推奨している人々さえいます。私たちはかごの中へ追い込まれていいのでしょうか。