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安倍総理の志は死なない!!

ワクチン接種の大混乱に浮かぶ日本の致命的弱点

政治家のリーダーシップや官僚の保身以外にも
岩崎 博充 : 経済ジャーナリスト
2021年05月29日
現場の方々は賢明に対応しているが…
日本のワクチン接種が他国に比べて遅れている。先進国どころか、世界全体で見ても大きく遅れていると指摘されている。メディアは連日、ワクチン接種率が世界的に見てどん底に近いと報道し続けている。
実際にNHKの報道によると、世界のワクチン接種回数は累計で、中国の約4億5000万回(5月21日現在)を筆頭に、アメリカが2億7000万回、インドが1億8000万回なのに対して、日本は750万回と2桁も違うのが現実になっている。
こうしたワクチン接種の遅れを、メディアはさまざまな角度からさまざま方法で分析しているが、その大半が「国内ワクチン開発の遅れ」や「ワクチン接種の準備不足」「ワクチン接種の現場での混乱」「東京五輪を優先した弊害……」といったアプローチでの分析となっている。
とりわけ、メディアの格好の取材対象となっているのが、各自治体でのワクチン接種の混乱ぶりだ。余ったワクチンを捨ててしまう、行政のトップが医療関係者と称して先に接種するといった話題が、日々機関銃のように報道されている。
しかし、日本のワクチン接種の遅れは、もっと奥深いところ、根源的な部分にあるのではないだろうか……。一部メディアでは「日本人の完璧主義による弊害」や「法律の不備」といった曖昧な部分での指摘も相次ぐ。毎日毎日、同じニュースを流し続けるテレビや新聞に対する弊害を指摘する人もいる。
なぜ、「日本のワクチン接種は遅れたのか……」。今回のパンデミックによって、日本政府はむろんのこと、日本国民全体でも「リスク管理」がきちんとできていなかったことは間違いない。とはいえ、日本人全体が能天気に平和ボケしてきたわけでもない。現場は、いまでも24時間体制でコロナと戦い続けている。なぜ、こんな状況になったのを正しく分析することで、次の「有事」の糧としなければならないだろう。
日本のワクチン接種が遅れた4つの要素
すでにさまざまなメディアで報道されているように、日本の新型コロナウイルスのワクチン接種が遅れた理由は、数多くが指摘されている。ざっとその内容を整理してみると、その本質が見えてくるはずだ。
①ワクチンが調達できなかった
②ワクチン接種の準備が遅れた
③ワクチン接種で混乱が起きた
④ワクチン接種のロードマップが見えない
簡単に整理すると、こんなところだろうか。順番に見ていこう。
ワクチンが調達できなかった点について、大きく分けて日本には2つの問題がある。ひとつは、国内の製薬会社がいまだにワクチン開発に手こずっていること。これは、「日本のワクチン開発が企業任せで政府の後押しがなかったため」という一言で説明できる、という報道が多い。
ワクチンは「安全保障の切り札」にもかかわらず、政治家や行政に安全保障の認識が欠けていた、という視点だ。日経新聞によると、アメリカはトランプ政権が「ワープ・スピード作戦」と称して、バイオ医薬品開発の「ノババックス」に16億ドル(約1720億円)の助成金を出している。モデルナも、アメリカ生物医学先端研究開発機構(BARDA)から最大で4億8300憶ドル(約520億円)の助成金を受け取ることで合意したとウォール・ストリート・ジャーナルが報道している。
アメリカ政府が、ワクチン開発に補助金を出した金額はBARDAを通したものだけでも192億8300万ドル(2兆0825億円、2021年3月2日時点)に上ると、アメリカ議会予算局が公表した資料で報告されている。
イギリスも、2020年5月にオックスフォード大学に対してワクチン開発のために6億5500万ポンド(約1000億円)を支援すると発表している。ちなみに、ファイザーはトランプ政権から資金を受け取らなかったことはあまり知られていない。科学者を政治的な圧力から守るためにアメリカ政府の補助金を受け取らずに、研究開発費は全額自前で賄ったとニューズウィークが伝えている。
日本政府も補助金は出しているが…
一方、日本の厚生労働省はどうか。定期的に「新型コロナワクチンの開発状況について」というレポートを発表しているが、この3月22日の更新情報によると日本の国内ワクチン開発は、塩野義製薬、第一三共、アンジェス、kmバイオロジクスなどの各グループが開発を急いでいるが、いまだに実用化のめどは立っていないそうだ。日本最大の製薬会社である武田薬品はノババックスと委託業務契約を結び、今年の下半期から年間2億5000万回分以上のワクチン供給を実施する予定と報道されている。
塩野義製薬のグループには、生産体制等緊急整備事業から223億円が援助され、第一三共グループにも同じく60億3000万円の補助が行われている。アンジェスのグループは同93億8000万円、KMバイオロジクスは同60億9000万円が補助されている。日本政府も補助金は出してはいるものの、桁が1つ違う印象を受ける。NHKでは、こうした政府の対応を「平時対応」という言葉で、東大医科学研究所教授の言葉として取り上げている。
もっとも、本来製薬開発で日本は世界的に見ても、スイスと並んで優れた技術を持っているといわれる。にもかかわらず、スイスと日本はコロナのワクチン開発には揃って手こずった。今回のコロナのワクチン接種では、最速で開発したファイザーも、2番目となったモデルナも遺伝子分析による開発技術を使った「mRNA」ワクチンで成功した。日本の第一三共やアンジェスも、mRNAによる開発を試みているが、もともと日本は官民を挙げてワクチン開発には消極的だったと指摘・分析する見方も多い。
日本独自の薬事検査で2カ月の出遅れ?
日本には、1970年代に天然痘による副作用をめぐる集団訴訟があり、天然痘は絶滅に至るものの、政府自身が予防接種に消極的になったという経緯がある。
1990年代には、麻疹、おたふくかぜ、風疹の3種混合ワクチンが、小児無菌性髄膜炎の原因と指摘されて任意接種に切り替えた。さらに、子宮頚がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンも、海外ではその有効性が高く評価されているのに、現在の日本では集団訴訟に発展したために、積極的な摂取推奨を取り下げている。
ようするに、厚生労働省や政府は、訴訟のリスクを重視して、全体の利益=予防接種の方針を曲げてしまう。今回のコロナワクチンでも、なぜか日本は独自の薬事審査にこだわった。たとえば、ファイザーのワクチンに関しては、アメリカでは昨年12月10日にFDA(食品医薬品局)は、緊急使用の許可を出している。
イギリスでも2020年10月に承認申請が行われ、12月2日には承認が下りている。2カ月弱で承認申請にこぎつけたということだ。
日本はどうかというと、2020年12月18日に承認申請が行われたものの、ファイザー製ワクチンが正式に承認されたのは2021年2月14日となった。なぜイギリスで12月に承認が下りている同じ薬が、日本では2月になってしまったのかということだ。これについては、欧米とは違う基準での審査を日本でも行わなければならず、独自の審査が行われたとの報道がなされている。
通常、ワクチン開発の臨床実験では第1相から第3相までの段階に分かれて、それぞれ100人未満、数百人単位、数千人単位と段階を踏んでいくのだが、今回の審査では日本独自の審査として160人に対して臨床実験を行い安全性や有効性に関するデータを揃えたといわれる。
筆者は医療の専門家ではないことをまず断る。そのうえで、160人という数字が「とりあえず審査はやった」というアリバイ作りにしか思えないのは筆者だけだろうか。政府主導で、早期に積極的なワクチン接種を実施していれば、また違った展開になったはずだ。
もともとワクチンの有効性についての審査は、副反応の分も含めて数万人単位で実施してみてはじめてその実態がわかるものだ。後でなんらかの副反応がある可能性は高く、アストラゼネカのように100万人当たり4人に血栓ができるといった指摘も出てくる。
よく自国でワクチン開発ができなかったために、日本は遅れたという指摘を耳にするが、イタリアやフランス、スペインでも自国でワクチン開発はできていない。にもかかわらず、日本のワクチン接種率を大きく上回っている。それが、この2021年1~3月期のGDP成長率にも現れている。ワクチン接種が進んでいるアメリカや欧州は、大きくプラスに転じているにもかかわらず、日本はいまだに前年同期比で-5.1%とリーマンショックを下回る経済成長率しかない。
ワクチン接種の準備が遅かった
イギリスのオックスフォード大学などのグループが集計しているデータによると、5月10日時点で人口に占める1回目の接種を終えた人の割合は、イスラエル63%(NHKホームページより、以下同)、イギリス52%、アメリカ46%。日本はわずか2.91%で、世界で131番目となっている。発展途上国にも大きく遅れをとっているのが現状だ。
なぜ、これほどワクチン接種の開始が遅れたのか……。たとえば、イギリスは、昨年の夏にはワクチン接種の準備に取り掛かっていたと報道されている。菅政権の支持率がこうした報道で大きく下げたのはやむをえないにしても、8年も続いた安倍政権が、ほとんど何の準備もしなかったことが大きかったのではないか。他の国が、ワクチン接種に取り掛かっているときに、日本では呑気に「Go To トラベルキャンペーン」の準備にかかりきりだったとも言える。
海外で承認されたワクチンだからといってすぐに国内で認可されるものではない――という発想は、いってみれば「平時の発想」だ。しかし現在はコロナという「バンデミック=戦時下」にある。日本政府にはこうした「有事」の発想がなかったのかもしれない。「最悪の事態を想定して行動する」という有事の発想があれば、また違った展開があったはずだ。
ワクチン接種の準備が遅れたのはセキュリティーに対する意識が低かったといわれても仕方がないが、その後のワクチン接種のスタートでもさまざまな問題があった。予想された「混乱」や「トラブル」は、メディアも加担して大混乱となった。
自衛隊による大規模集団接種が始まった5月24日の新聞報道を見てみると、朝日新聞は「ワクチン予約サイト、プロが示す『最悪シナリオ』対処法」の中でワクチンの予約サイトがITのセキュリティーが弱く混乱に拍車をかけている。さらにサイバー攻撃の標的にされるのではないかと懸念も示している。
日本経済新聞も「都市部で接種予約停滞 計画前倒し、対応難しく」(2021年5月24日)の中で、政府は高齢者向けのワクチンを7月4日までに配送完了する計画を立てたといわれているが、大都市圏では滞りが目立っており、まだ接種券も届いていないというところが多い。なかには9月までかかると答えた自治体もあるといわれている。自治体が主催する大規模接種会場の進捗状況次第ではこれからも混乱が予想されるかもしれない。
なぜこれほどまでに、ワクチン接種が遅れ、しかも混乱しているのかと言えば、一言でいえば政府がすべてを「自治体任せ」にしたことに尽きるのではないか。厚生労働省全体の問題なのか、それともワクチン接種チームのせいなのか、はっきりはしないが、自治体任せにして一元的に管理するシステムが構築されていなかったことが大きい。
総務省が莫大な税金を使って進めてきた「マイナンバーカード」はなぜ使えなかったのか。厚生労働省と総務省という「タテ割り行政」の弊害に見えるが、いまだに日本政府はこんなに無駄なことを既得権を守るためにやっているのかと思うと、かなり情けない気持ちになる。
そもそも、自治体任せにするということで、国家公務員や政治家は、自分たちの責任を回避したように思えてならない。せめて混乱を避けて平等性を保つためには、国が強いリーダーシップを発揮して、ワクチン接種の「全国統一のプロセス」を示すことが必要だったと言える。
新潟県の上越市が実施して高い評価を得た方法のように、高齢者の自宅に「×月●何日14時、A会場」というように、時間と場所をあらかじめ指定すれば、そこにいけない人だけが、決められた連絡先にアクセスすることになり、少なくとも大混乱は避けられたように思えてならない。
日本全体が「責任回避社会」に
日本全体が「責任回避社会」になっているとも言える。まさに、日本では「責任を持って物事を決めていくリーダーシップ」を発揮できる人材が、決定的に不足しているのではないか。
もっとも日本国民もそういう政治体制を支持してきたのだから責任は国民にもある。
こうした一連のワクチン接種が遅れた状況について、さまざまな分析が行われているが、その中に「ひとつのミスも許されない完璧主義」という雰囲気が日本のワクチン接種を遅らせたのではないか、という指摘があった。ある意味で当たっているのかもしれないが、完璧主義であるかどうかはかなり疑問だ。
ひとつのミスも許されない、という雰囲気になってしまっているのは、日本の場合はテレビや新聞、そして週刊誌に至るまで、同じ報道を繰り返し、繰り返し報道する傾向が指摘されるからだ。政治家や行政の失敗を批判するニュースが目立つ。それも通常のニュースだけではなく、「ニュースショー」と称するバラエティー番組で繰り返し、細かな点にまでミスをついてしまう傾向が強い。
ワクチン接種について、日本政府が消極的なのも、メディアが長年にわたってワクチンによる副反応をことさら強調する報道を繰り返してしまったのもひとつの要因といっていいのかもしれない。日本のメディアは、記者クラブ制があって、すべて横並びで報道するため、きちんとしたエビデンスや調査に基づく報道が弱い。感情的な報道をしたほうが視聴者や読者にも受けて収益も上がる。
こうした報道ができるのは、資金面で余裕のある大手メディアしかないのだが、残念ながら日本ではその大手メディアほど記者クラブで得た情報をだらだらと報道する傾向が高い。こうした傾向は日本だけの問題ではないが、日本のコロナ対策が後手に回っている要因のひとつといっていい。
ミスをした人間を容赦しない日本のメディア
そもそも、日本にはメディアに一度叩かれたらとことんやられてしまう、という恐怖心が官僚や公務員、政治家、そして一般の国民にあるのも事実だ。日本のメディアはとりわけ、ミスをした人間を容赦しない。タレントであろうが政治家であろうが一般人であろうが、どことなく許せないという雰囲気を作ってしまう。
こうしたメディアの姿勢が、パンデミックのような状況には大きな負の要因になってしまった傾向がある。日本は太平洋戦争のときにメディアも揃って政府・軍部の言いなりとなって、一直線に戦争に進んでしまった経緯がある。これと似たような状況が、現在のメディアには見え隠れする。
これは、ある意味でメディアの驕りなのだが、スポンサーである企業や視聴者である国民にもその責任の一端があるのではないか。感染症という病気と闘う以前の日本全体の雰囲気に原因があるような気がしてならない。
日本の教育制度は、ある一定の枠の中に人間の個性を封じ込めて集団行動させることに大きな意味を見いだしている。個性を伸ばす教育が不足している。ある意味で、第2次世界大戦前の教育の方向性が本質的なところでは変わっていないと言ってもよい。そして、企業も個性を捨てた人間の集団をつくり続けている。
パンデミックという「有事」に巻き込まれている今、日本はこうした根源的な部分でももう一度立ち返ってみる必要があるのかもしれない。
法的整備の不備は政治家の怠慢?
そして、もうひとつ忘れてならないのは、法律がないからという理由で何もしなかった政治の怠慢がある。法律がなかったのはどこの国もほとんど同じだ。しかし、イギリスではすぐに新しい法律を作って対応した。
日本では、そもそも議員立法という概念が希薄で、ほとんどの政治家がパンデミックの中で結局何もしなかった、といっても過言ではない。せっかく莫大な予算を使って立法府のシステムがあるのに、なぜ日本の政治家は法律を作らないのか……。ここにも制度上の欠陥がありそうだ。
そもそも、日本には「通達行政」という便利な制度がある。法律など改正しなくても、通達1本で国民の生活スタイルを変えてしまうことが何度かあった。官庁相手のみならず、民間企業である私立大学への通達などはそのいい例だ。
そして、最後に東京五輪の存在だ。オリンピック開催にこだわったことが、コロナ対策に大きな影響を与えた。政府与党が東京五輪開催によって、総選挙を有利に導こうとしていることは明らかだし、逆に総選挙で政権を明け渡すようなことだけは避けたいと考えている。“日本売り”が始まり、株式や円、国債をも売られることになるはずだ。
日本のワクチン接種が遅れた原因は日本が固有に抱えるさまざまな問題点を浮き彫りにした。政治家や行政だけではなく、国民自身も省みなければならない。