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安倍総理の志は死なない!!

小池都知事、過労で入院時の記録を都庁が「文書なし」と回答する異常

過労による入院から一転、東京都議会議員選挙のサプライズ応援で“子分たち”の窮地を救い、IOCのバッハ会長から誕生日をお祝いされるなど、全快とはいえないまでも、活力を取り戻しつつあるようにみえる小池百合子東京都知事。だが、入院時の詳細や、副知事への業務の引き継ぎについて、都は情報公開請求に対し「文書がない」と回答。“公人中の公人”たる東京都知事の入院が「ブラックボックス」のままなのだ。(元東京都選挙管理委員会事務局長 澤 章)
リモート復帰の翌々日に選挙応援
入院先も公務の引き継ぎも「文書なし」
 6月22日に「過労」を理由に入院。7月1日にリモートで公務に復帰し、翌2日には記者会見を開催。東京都議会議員選挙の選挙戦最終日である3日には、自身が事実上率いる「都民ファーストの会」の候補者を激励するため、都内各地を回って見せた、小池百合子東京都知事――。
 ダイヤモンド編集部が、小池知事の病状や入院先医療機関について、都の情報公開条例に基づき開示請求を行ったところ、都庁内で文書や記録を一切作成していないことがわかった。
 さらに、知事の入院期間中、公務を代理した多羅尾光睦副知事への業務の引き継ぎなどに関しても同様に、請求対象となる文書は「不存在」と回答した(写真は次ページ)。
「情報公開は一丁目一番地」はどこへ?
敵を攻撃する時だけ、完全な状態で開示
 この事実を知った私は、さもありなんと思わざるを得なかった。口ではいつも情報公開の重要性を強調するくせに、自分にとって都合の悪い情報は隠し通す小池知事の本質を見た思いがしたからである。
 5年前の2016年、初当選を果たした小池知事は、「情報公開は都政の一丁目一番地」と豪語して、それまで都政を牛耳ってきた石原慎太郎元知事や、都議会自民党などの意思決定を「ブラックボックス」と攻撃した。
 そのせいもあって、一時期、都の情報公開が進み、都民に開かれた行政運営が始まったかにみえた。
 実際、築地市場の豊洲への移転問題が注目を集めていたころ、移転先の土地を持っていた東京ガスと、都の間での過去の交渉に関する記録が、ほぼ完全な状態で開示された。
 だが、この記録を元に追及されたのは、石原元知事の腹心だった浜渦武生元副知事ら、自身がターゲットとして攻撃してきた関係者だった。
 要するに、小池知事が積極的に公開する情報はあくまで、公開することが自分にとって有利に働く場合、つまり、自分の敵が痛手を負うケースに限られる。
病床の“女帝”こそ「ブラックボックス」の中
「うつ状態らしい」との情報提供もあった
 逆に、都民ファの新人都議会議員が初めて議会質疑に臨む際、小池知事の特別顧問だった小島敏郎氏が都議の質問文を作成したとの疑惑が浮上した際には、法律上の仕組みを駆使して公開を阻止しようとした。
 自分に不利な情報は、徹底的に隠す――。これが小池知事の大原則なのだ(詳しくは、拙著『ハダカの東京都庁』(文藝春秋)を参照願いたい)。
 要するに、小池知事の言う「情報公開」とは、自分勝手なダブルスタンダードで成り立っているにすぎない。
 そして、今回の開示請求に対する結果である。確かに、病気入院というプライベートな事情が絡んでおり、開示請求になじまない側面もある。
 しかし、小池知事が入院した6月22日ごろ、新型コロナウイルスの1日の新規感染者数は400~500人前後で推移し、その後増加に転じて今に至る。東京オリンピックについて、有観客とするか無観客とするかの議論も大詰めを迎えていた。
 そんな状況の中、日本の首都を預かる東京都知事が、第一線から一時的にせよ離脱するという緊急事態が生じていたのだ。もっと丁寧に、そして正確に、自らの健康状態を都民に説明してしかるべきではなかったのか。「文書は残っていません」で済まされる話ではない。
 また病状に加えて、公務を代理した多羅尾副知事との間で、どのような指示命令系統が作用したのかは極めて重要である。これこそプライベートではなく、都知事としての公務の中核に関する問題だ。入院中の意思決定は一体どうなっていたのか、行政のトップとしてつまびらかにすべきである。
 こうした基本的な部分をブラックボックスの中に隠してしまい、明確な説明をしないから、やれ小池知事本人がコロナにかかっただの、いやペットロスらしいなどと臆測が飛び交うのだ。
 ちなみに、私は都庁のある管理職から「小池知事は軽いうつ状態のようです」と連絡をもらったが、本人がだんまりを決め込んでいる以上、事の真相は闇の中である。
「バタッと倒れても」と忘れず再び発言
次の選挙に向けた「がんばってる感」
 退院後の小池知事の動きも、怪しいとしか言いようがなかった。ドクターの指示に従って、当面はテレワークに専念するとしおらしく説明し、一度は都庁の会議にリモートで参加していた。
 にもかかわらず、前述のように都議選最終日の7月3日には、電光石火、都ファ候補の応援に都内約20カ所を駆け巡ったというではないか。
 ドクターの指示は、一体どこに消えてしまったのだろうか?こんなことをするから、仮病だったと陰口をたたかれるのだ。
 これもまた、病気という「情報」を自分の思うように操作して、政治利用した典型例だといえる。やはり、この人には診断書を提出させることが必要だ。そうでなければ、都民が何を信じたらいいのかわからないではないか。
 さはさりながら、“病み上がり”のイメージを操って、大敗必至の都ファを14議席減に踏みとどまらせた手腕は驚嘆に値する。選挙こそが、小池知事を体調不良から回復させる何よりのカンフル剤なのか。入院や静養より、選挙の方が効果てきめんらしい。
 都議選後、すっかり元気を取り戻した小池知事は7月15日、来日中の国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長から、69歳のバースデイを花束で祝ってもらい、ご満悦であった。
 一方で、翌16日の定例記者会見では、弁舌爽やかであったものの、椅子に腰掛けた状態での質疑応答に終始した。
 過労の状態が、退院後2週間たっても全快していないとするなら、ちょっと解せないと感じてしまうのは、私だけではないだろう。本当の体調を知りたくなるのは人情というものである。
 この日の会見で小池知事は、7月2日の復帰後最初の記者会見で使った「どこかでバタッと倒れているかもしれない」との悲壮感を演出する発言を、再び発するのを忘れなかった。だが、こんなセリフは、人の上に立つ者の言うべきことではない。倒れることを前提に東京都知事の責務を果たそうとするのは、本末転倒である。
 会見を動画で見ていて、私は思った。ああ、この人は次の選挙に向けて、「がんばってる感」を演出しているのだな――。公平な情報公開を小池知事に求めても、結局はない物ねだりに終わってしまうのである。