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安倍総理の志は死なない!!

東シナ海で中国漁船のやりたい放題を許してしまう「条約」の存在

 日本の漁業が、東シナ海から追い払われようとしている。日中間では東シナ海での漁業管理に関する条約である新「日中漁業協定」が結ばれているが、漁業問題と領海問題を切り離す意図があったこの協定は、中国漁船の尖閣諸島周辺での自由操業に根拠を与えてしまっていた。いま東シナ海で何が起きているのか? 日本人が知らない厳しい現実を、漁業経済学者・佐々木貴文氏が解説する。(JBpress)
(*)本稿は『東シナ海 漁民たちの国境紛争』(佐々木 貴文著、角川新書)から一部を抜粋・再編集したものです。
東シナ海には「200カイリ」時代は到来しなかった
 1976年から翌年にかけて、アメリカ・ソ連という超大国が、排他的な漁業資源の利用が可能な200カイリ漁業専管水域を設定し、日本が、そして世界がこれに追随した。日本は北方水域で漁場が重複していたソ連への対策として、「漁業水域に関する暫定措置法」(1977年)を制定し、200カイリ水域を主張する。
 しかし、漁業専管水域の設定に慎重であった中国や韓国には同法を適用せず、従来の2国間協定にもとづいて利害調整を図ろうとした。結果、東シナ海や日本海には、200カイリ時代は到来しなかった。
 東シナ海では、漁業専管水域の設定が世界の潮流となるなかでさえ、公海自由の原則を踏まえた旧「日中漁業協定」が機能し、漁業取締りは、対象となる漁船の船籍がある国が担当するという、旗国主義で漁業秩序が維持されることとなる。
日本近海への中国船の接近
 1970年代は、経済力の点、漁業勢力の点でも日本側の優勢が継続したことで、尖閣諸島を含む敏感な海域の問題がことさら強調されることはなかった。中国は「大躍進政策」に引き続いて、毛沢東主導の「文化大革命」(1977年に終結宣言)が失敗しており、漁業問題を吟味する余力も乏しかった。「中越戦争」(1979年)の「敗退」もあった。
 しかし、日本漁船が我が世の春を謳歌できたのはこのあたりまでとなる。1980年代以降、中国側勢力の拡大が急ピッチで進み、日本の漁業者から怨嗟の声がもれ始めた。
 中国では1980年代の中頃には、改革開放政策の成果が現れ始めており、水産分野でも流通の自由化や漁船の大型化・高出力化などが進み、勢力拡大に拍車がかかっていた。遠く西アフリカへ遠洋漁船団を仕立て、中国漁業がさらなる歴史を刻もうとしていたのもこの頃である。そのさなかの、1989年に発生した「政治風波」である天安門事件とその「動乱」(『人民日報』)であったが、民主化の頓挫と中国の国際的な孤立に帰結したものの、漁業の外延的拡大にはほとんど影響しなかった。
 日本付近では、1980年にすでに、九州北部で中国の底びき網漁船が確認されるようになり、1989年末には対馬沖で300隻ほどの漁船団が操業するまでになっていた。同時期には、中国側の海面漁業生産量が1000万トンの大台に近づいていたとみられる。その後も急激な拡大は続く。1995年頃には日本側800万トンに対して中国側は1500万トンに達したとする推計がでる。
 一方、日本側では以西底びき網漁業者(東経128度29分53秒以西で操業する底びき網漁業)らが奮闘を続けていたが、それも次第に弱体化。1990年代には完全なる攻守逆転を許す。逆転で日本沿岸に中国漁船が接近し、漁業者らの不安は高まる。九州や日本海側の各県では顕著で、地元選出の国会議員を通じて深刻な状況が東京に伝えられるようになった。
 例えば、1996年の衆議院外務委員会(5月17日)では、安倍晋三委員が夜間における領海侵犯や離島(萩市見島)への外国漁船の入港、乗組員の上陸について現状を報告し、日中の「漁業協定が新たに締結をされなければ、西日本にとっては事実上海洋法条約がなきに等しい状況」になってしまうと発言している。
「国連海洋法条約」時代の到来
 中国に対する警戒感は、日本政府内でも芽生えていた。第3次台湾海峡危機と同時期に、中国が硬軟織り交ぜて東シナ海権益を主張する行動を展開するようになったからである。
 中国は、1995年5月から1996年2月にかけて、尖閣諸島周辺海域での石油を含む海底資源調査を実施している。さらに96年4月下旬には、沖縄西方の日中中間線の日本側海域において、中国とフランスの海洋調査船が合同でと思われる堆積物調査や磁気調査を実施(フランス船のみ日本政府の抗議を受けて撤収)した。また同年の5月15日には、全国人民代表大会(全人代)の常務委員会が「国連海洋法条約」の批准を決定。中国政府が「領海基準線に関する声明」として、尖閣諸島やスプラトリー諸島に関する領海基線を将来公表する旨を示し、政治的な交渉材料化を図っていた。
 日本は、EEZの設定を可能とする「国連海洋法条約」を批准したことで、旧「日中漁業協定」の改定交渉にのぞむ。中国も「国連海洋法条約」の締約国となったことで、従来の狭い領海と広い公海を前提とする、旗国主義にもとづく旧「日中漁業協定」は旧式化しているとの認識があった。
 だが、尖閣諸島と台湾島を自らの領土と主張する中国を相手に、基点となる領土を互いに承認することは難しく、交渉はスロー・アヘッド(微速前進)にも程遠かった。
 1990年代の中頃には、日本側800万トンに対して中国側1500万トン以上というダブルスコアでの差がついた漁獲量推計も出され、危機感はより高まる。日本の漁業勢力が再逆転できるとの妄想すら木端微塵に打ち砕かれたことで、日本政府内でも早急に東シナ海に200カイリ体制を敷く努力をすべきとの声が出てきたのだ。
国際法の“常識”からかけ離れた協定
 問題が国会で取り上げられる機会も増える。当時、第一次橋本内閣を率いていた橋本龍太郎は、「沿岸国が生物資源の維持に係る適切な措置をとるという国連海洋法条約の趣旨を十分踏まえた新たな漁業協定が早期に締結されるように鋭意努力をしてまいりたい」〔1996年5月14日衆議院外務委員会〕と述べた。
 政府が危機感を抱くのには漁業以外の理由もあった。李登輝台湾総統の訪米に端を発する第3次台湾海峡危機と時を同じくして、中国が東シナ海の海底資源に対する貪欲な姿勢をあらわにしていたのだ。先ほど触れたように、中国は1995年以降、尖閣諸島や沖縄西方の海域へ頻繁に海洋調査船を差し向けるようになっていた。
 しかし新協定は難産となる。尖閣諸島や台湾の取り扱いは旧協定から継続して問題であったし、何より問題は、中国側がEEZ(排他的経済水域)を中間線で画定することを拒否、東シナ海全域が中国のEEZであるとする姿勢を貫いたことにあった。
 中国側の主張を日本政府が飲めるはずもなく、結局、日本は東シナ海の大部分でEEZの設定を諦める。1997年に署名され2000年に効力が発生した新「日中漁業協定」で、「日中暫定措置水域」と「中間水域」という2つの広大な、自由操業が可能な共有漁場が設定されたのはそのためであった。
 この海域は旗国主義での管理となっており、日本側に中国漁船の取締り権限はない。今日、東シナ海で乱獲を続ける「虎網漁船」(極めて高い出力の集魚灯でおびき寄せたサバやアジの大群を一網打尽にする中国漁船)などの問題が、広く国民の知るところとなっているが、日本側は騒ぎ立てることしかできず、独自の解決策がないのはこうした重層的な「日中漁業協定」の構造問題がある。
 事実、問題と思われる状況を目の当たりにしても、外国漁船の違法操業を取り締まっている水産庁が、中国漁船を対象に立入検査を実施したり、拿捕したりすることはかなり難しい。中国漁船の拿捕件数は、東シナ海だけでなく、太平洋や日本海を含めても、2016年からの5年で5件、直近の3年間はゼロであった。
 現場の実態と、こうしたデータは、漁業協定が内包する構造問題の根深さを浮き彫りにするとともに、「日中漁業協定」が機能不全を起こし、漁業資源の管理においては歴史的使命を終えつつあることをあらわしている。
宿痾を抱えた条約の「新たな使命」
 東シナ海では、欠陥のある漁業協定での管理しかできないため、日本漁船が優先して利用できるEEZは少ない。そのわずかな海域ですら、中国漁船の入域が可能となっていた。
 問題点はそれだけではなかった。最大の問題点は尖閣諸島の海を「公海」状態としている「北緯27度以南問題」であり、この問題が存在し続ける限り、日本は尖閣諸島周辺への中国漁船の入域を制限できず、主権を確立できない状態が継続する。
 新「日中漁業協定」では、“書簡”とはいえ、「中華人民共和国政府は(中略:引用者)、日本国民に対して」、北緯27度以南の海域において、「漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有している」とする、中国側の主張が明記されてしまっている。尖閣諸島の領有権が中国にある前提の記述で、日本漁船の操業について中国政府は「配慮」する意向があり、生物資源の維持ができれば「認める」との立場が示されているのだ。
 ここにいたる過程を思い起こせば、日本側は民間協定で、北緯29度以南が「軍事作戦区域」であることを安全操業と引き換えに認め、旧「日中漁業協定」では、「なお軍事作戦状態」であるとする中国側の主張を受け入れることで尖閣諸島を巡る問題に蓋をした。そして新「日中漁業協定」では、ついに尖閣諸島が自国領であるとした中国の主張を盛り込むことになった。民間協定時代に埋め込まれた時限爆弾がさく裂したかのようである。
 日中対立を国民に印象づけた、2010年9月7日の「中国漁船衝突事件」は、中国漁船「閩晋漁5179」が海上保安庁の巡視船「みずき」の要請に応じて素直に日本領海から退去していれば、「日中漁業協定」下の“日常”の風景であり、あれほどの大事にはならなかった。尖閣諸島の周辺海域には現実に、この瞬間も多くの中国漁船が出漁し、魚だけでなく赤サンゴなどの貴重資源を持ち帰っているからだ。
 時に中国漁船は当局の指示のもと、「日中漁業協定」に適合する形で、政治的集団行動をとる。それすらも「問題」はない。2016年8月に発生した、300隻にもなる中国漁船が尖閣諸島周辺に蝟集した事件も、「日中漁業協定」がある以上、ただちに違法行為であると認定できなかった。実際、この時に拿捕された中国漁船はなかった。
 しかし、賞味期限切れの漁業協定であっても破棄はできない。今となっては、“獰猛な獅子”に付けた、鈴と細いリードを外すことになりかねないからである。その意味で「日中漁業協定」は、これからより重要な「歴史的使命」を帯びていくのかもしれない。
 今のところ漁業分野についてみれば、日本には「日中漁業協定」を“死守”することくらいしか、中国漁船の行動を遮る術はない。
© JBpress 提供 『東シナ海 漁民たちの国境紛争』(佐々木 貴文著、角川新書)